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知っていることと使えることは違う

呼吸シェアリストⅢ、動的瞑想の講座の受講の日。
電車の乗る時間を間違えて、時間が余ってしまい、海でぼーっとする時間があった。とてもよかった。
波乗りしている人がたくさんいた。子どもたちも、はしゃいだ声をあげていた。そういう風景を見られたのがよかった。

動的瞑想というのは、身体のコーディネーションのことで、身体と対話しながら動き、意図と本能のバランスをとるもので、息が止まらない動き方で生きる、みたいなことである。

ほっとくと、人間は、意図だけに偏りがちになってしまうので、感じるがおざなりになっていく。「感じる」ということがどういうことか?わからなくなっているので、「感じる」とはどういうことか?をこの動的瞑想では、シンプルに伝えてくれる。
もうこれは、素晴らしい技術である。

「呼吸を感じてみてください」

とか言われたことある人は考えてみてほしい。
呼吸を感じる??
わたしは、産後ヨガクラスで、そのように呼吸について言われたことがあるが、その時、わたしがしていたことは、インストラクターの真似をして、正しく呼吸しようとする、ということだった。
今思えば。

「感じる」は、練習すれば、取り戻せる。
そして、それは、身体が一番よく知っているなと思う。感じるは、感覚でもあるから。
まず1段階目は、やり方を知る。技術を覚える。知らないだけで、能力の問題ではない。
2段階目に、やり方はわかっているし、知っているけど、使いこなせない段階がくる。頭ではわかっているけど、そのようにできないというような時期。この時期が苦しい。踊り場にくる。踊り場が結構長かったりする。
最後に、やり方がわかっていて、さらにできる段階がくる。無意識でもそれができる状態。
ちなみに、一段とびに、3段階目に行ける事はない。

わたしは2段階目の段階にいるけど、ここで踊り場はなんどもやってくる。
そのたびに、大事な事は、諦めない事だと思っている。
ただ、はたから見たら、単調で面白みもなさそうな地味な作業を、淡々と量を積み重ねていく必要がある。
量だけじゃなくて、質も大事だけど、質は後からついてくる面もあるし、量は大事。
ここを諦めると、もうその段階から先の景色を見ることはできない。
でも別に見なくてもいいのだ。
見ないという選択もありだし、違うことやったっていいのだ。

だけど、知ったからにはもっと知りたい。
そのさきにあるものに、かすかに触れている。
そこが知りたい。
という人は、どんどん変態の道を歩んでいくのだと思う。
変態というと、言葉が気色悪く感じる人もいるかもしれないけど、もう本当に極めている人は、みんな変態だと思う。
それで、わたしはもう強欲なので、どこまでも探求したい。という欲にまみれながら、「淡々とやる」を続けている。

話を動的瞑想に戻すと、この技術のすごいのは、ものすごくシンプルで、この動きができない人はいない、ということ。
それなのに、内側で起きることを感じ取る力に、気づく力に、ものすごい差がでる。やればやるほど気づく。気づくし、自分を識る。
やるか、やらないかだけ。
やれば必ず、絶対に変わることができる。
難しいことは何一つないので、やるだけ。
難しいことは何一つないから、言い訳できないのがつらいけど、それはただ単に自分だと思っているものが言っているだけとも言える。
やるだけで確実に変わる、のだから、変わりたかったらやったらいいよね!という希望だなーと思う。
変わりたくないならやらなくてもいい、というのがポイントでもある。
別に誰にも強要されない。

そして、インストラクションを学ぶと、さらに、インストラクションに全部自分が出る。
自己実践しているだけでは気づききれない自分が出る。(ほんとは自己実践してるだけでも気づくのかもしれない・・・インストラクションすると、立場が変わるから気づきやすいってことかなと思う。)
出まくる。今日も、ああ、これな!と思う。
知ってるけど、まだ抱えてた!というやつ。
もう手放していいやつ。持ってる。
そういうことに気づける幸せ。
まだまだ伸びしろがあるなーと思う。(←ちなみにこんなこと書いてるが、わたしはいつからこんなにポジティブ思考になったのだ!という驚きがまだある。)

そんな訳で、また次の講座まで、自己実践しながらインストラクションの練習に励みます!


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