【582/1096】「やる」のに、やる気は関係ない
「やる気が起きないからやらない」というのはよくある常套句である。
そして、やる気が起きないことを責めて、やらない。
もしくは、やる気が起きるまで待つと言って、やらない。
やる気が起きれば、イヤな気持ちにならずにやれると思うからだろうか。
呼吸・整体の学びで、「やる気とか気持ちとかいらないので、淡々とただやってください」というのがある。
これがすごく新鮮だった。
やる気(つまり、情動)と、実際の行動をきっちり分けるというのは、それまでやっているようでやっていなかった。
行動には何らかの感情がくっついてしまっていて、
そうなるのが当たり前だと思っていた。
なので、結果的に、情動に振り回されることになる。
機嫌や気分がよいときは好調で、悪い時は不調。
そして、良い時の方が少なくて、悪い時のしのぎ方ばかりを考えるようになり、ぐるぐると蟻地獄の渦に落ちていく・・・。
情動に振り回されずにいたい、というのがあった。
機嫌を一定に保ちたい。
ジェットコースターのように振れ幅が大きいので、それだけでエネルギーが消耗してしまう。
だから、情動と身体はわけてみるのがいいのではないか?と思ったのである。
それまでは、やる気がないままやると、イヤな気持ちだけが残るのではないか?だってやりたくないことをやっているのだから、という理由で、やる気がないときにはやらないと決め込んでいた。
要は、いやな気持ちになりたくないのだ。
そして、イヤな気持ちになったら、それを身体に即反映させていた。
自分の気持ちのやり場のなさを、ひたすら身体に守ってもらっていた。
身体はものすごく寛容なので、全部引き受けてくれる。
相当不調になっても引き受けてくれるのである。
しかし、よく考えたら、一方的に押し付けてひどい・・・と思った。
気持ちばかりを優先して、身体は無視ではないか。
それに、やりたくなくても、やり始めたら、楽しくなったと言う経験もたくさんあったのに、そう思っても、やる気を起こさせないのだ。
気持ちでどうこうするのは無理がありすぎる。
やる気に頼るのをやめるのだ。
だから、やりたかろうが、やりたくなかろうが、「やると決めたらやる」ということがとても大事だ。
それを続けるうちに、習慣が変わる。
たとえ、「やるべきだからやる」でやってもやり続ければ変わるというのもある。
ただ、やるべき、べき、べき、べき、とべきがいっぱいになってくると、身体が動かなくなる。
だから、べきはあまり発動させないほうがいいと思っている。
自分がやったほうがいいと思っていて、やったらいつもよくなることは、やる気があろうがなかろうが、やるのがよい。
私の場合は身体調整がそうで、運動が嫌いだし、できれば動きたくないと思っていたから、はじめた最初の頃は、やる気のあるときだけやっていた。
しかし、それでは、いつまで経っても、「やったらいいのはわかってるのだけど、やる気が起きないからやらない」から抜け出せなかったのである。
やる気に頼ってはいけない。(2回目)
やった後、よくなるのである。必ず。
何がよくなるかというと、息が楽になる。だから、気分も改善することが多い。
たとえ、気分は改善しなくても体は楽である。
そして、どんどん健康になった。
私は、相変わらず気分の乱高下は激しい。
特にそこが改善はしないのである。
ただし、気分が乱高下しても体調は乱高下しなくなった。
ここ3年、ほとんど風邪もひかないし、家族がコロナになっても、インフルエンザになっても移ることもなかった。
ほんとうにこの身体に感謝している。
やったことだけが、結果になる。
逆に言えば、やってないときは、やってない結果になる。
どっちの結果がほしいのか?を考えたらいいのだなと思う。
やる気があるときだけやって、やる気がないときはやらないでいると、変化がめちゃくちゃ遅くなる。
変化したいときは、やる気があろうがなかろうが、やるだけを実行するとよい。
では、また。
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