改めましての自己紹介 音楽への渇望が私の人生を作った
2021年11月7日より
noteを開始しました。
60代既婚 夫と2人暮らし。
独立した息子が2人おります。
持病持ちで子育てが精一杯だったため
社会復帰できずずっと専業主婦です。
元々書く事が好きで、子供の頃からずっと日記をつけていました。
ブログ、Instagram を経て
こちらに辿り着きました。
◆ヴァイオリンを始めたきっかけ◆
42才の時、息子の中学の文化祭で、
ヴァイオリン2台とピアノの演奏を至近距離で聴き、この世にこんな美しい音があるのだと感動し、
その場で「いつかやる!」と決めました。
その3年後、下の子が中学に入学したのを機に
NHK文化センターのグループレッスンを受講開始。
1年8ヶ月後に個人レッスンに移行。
その後紆余曲折ありましたが
歴8年の時にアマチュアオーケストラに入団して、
今年2月で10年になります。
ヴァイオリンを始めてから、今年4月で満18年。
主婦の趣味だからレベルは知れたものですが、
継続出来ている事が自信になっていると感じます。
◆ピアノで経験したトラウマ◆
幼少期から中学1年までピアノを習っていましたが、
ピアノを買ってもらえずずっとオルガンで練習していました。
中学生になり
オルガンでは鍵盤が足りず
音量調節もできず
そもそもタッチが全く違うから
ピアノが欲しいと懇願しても叶わず。
先生が私の親に「今は分割払いも出来るからピアノを買ってあげてください」と手紙を書いてくれたにも関わらず
経済的な理由で無理だと頑として認めてくれず
その結果オルガンでの練習に喜びを見出せなかった私は、練習不足が原因で、
中1の発表会で大失敗してしまいました。突然真っ白になり演奏ができなくなってしまったのです。
恥ずかしさのあまり、なかなか席に戻れなかったあの日の事は生涯忘れられません。
発表会のあと、反省会を兼ねた打ち上げお茶会みたいなのがあり、その時皆の前で先生は私に向かってこう言い放ちました。
「今日は、大変な事をしてくれましたね」
この一言に、その後ずっと苦しめられる事になります。
その後その先生は引っ越す事になり
別の先生を紹介してくれたのだけど、
「あなたはこれが一番まともに弾けるからこれだけ練習して」と言われ次の先生にバトンタッチされました。(ソナチネの1番でした。たぶん今でも弾ける)
13才という年齢で、
大人は子供のためではなく
自分の名誉のために生きているのだということを、肌で感じた体験でした。
「失敗」を、してはダメなことと教えられたら、人は失敗を回避しようとし、何も出来ない人間になってしまうのではないでしょうか。
あの先生は、生徒の成長より、
自分の栄誉が大事だった、と気づいてしまった。
あの時、「失敗したっていいんだよ、また頑張ろう」と言ってもらえていたらどんなに救われたことか。
そして私はピアノをやめました。
◆トラウマが原因で極度のあがり症になる◆
高校の授業中 教科書を読まされている時、それは突然起こりました。
発表会の時真っ白になり何も弾けなくなり止まってしまったあの時。
会場がざわざわし出したあの時の事が突然蘇ったのです。(フラッシュバックというものに似ているかも知れません)
心臓が、他の人にも鼓動が聞こえるのではないかというほどバクバクし出し、呼吸が荒くなり声が震えて教科書を読めなくなり
教室はあの時と同じようにザワザワしました。
その事がきっかけで、
人前で声を発する度に同じ症状が繰り返し発現するようになってしまいました(T . T)
◆親の困窮に巻き込まれる◆
高校3年の冬、
私の親は念願だったマイホームを持ち引越し。
その半年後、短大1年の6月、
私の父が脱サラして興した会社があっけなく倒産。
うちはローンを抱えたまま無職の父(何故か再就職せず家でブラブラしていた)と、毎日泣き暮らす母
というどん底の日々に突入したのです。
ローンが払えない事を銀行窓口に言いに行かされた事もありました。(謎すぎる出来事だった)
当時高校2年生だった妹の学費は私が稼ぐつもりで
退学したいと担任の教授に相談に行くと、
当面の学費は自分が建て替えるから
大学は続けなさいと言ってくださり
ました。
大学を辞めずに済んだのはあの教授のお陰です(何もお礼をしてませんが^^;)
教授のご尽力で、奨学金を異例で2つも受給できる事になり(育英会と、大学の奨学金制度を同時受給)
家からは1円も援助を受けず
大学とアルバイトの日々を経て
卒業。
就職試験の際、
当時父親の勤続年数を書く欄があり
そこに正直に「4ヶ月」と書いた事で
苦労している事を買ってくれたのか、
ある企業に就職する事ができました。
ところで、
親が家を購入したのは、ピアノを買えないと言われた6年後です。ピアノは当時25万円位。家は少なく見積もっても2000万位?全くわかりませんが、多分それ以上したと思われます。私はその家に、結婚するまで8年間住みました。
親は、「この家はあなた達がお嫁に行く時に恥ずかしくないように建てた」と言っていたけれど、
本当は自分の欲望のためだったのだと気づいたのは50才を過ぎてから。
なんておめでたいんでしょうか(T . T)
(真相は不明ですが)
私と妹が自力で学校を卒業したあと、2人とも当然のように家にお金を入れていましたが、
今思うとローン返済に当てていたのではないか。
安月給からの支出、そして
奨学金を自分で返しながらです。(‼︎)
なんだか、私と妹はいつも利用されていたのだと思えてならない(T . T)
◆お金を出し惜しみした母◆
12年前母が亡くなり財産相続の時
母が意外なくらいお金を持っていた事を知り愕然としました。
私たちに学費を返すと言われた事は一度もないし、
常にケチケチ主義だった母が悲しい。
父が経済的に安定していなかった事で、きっとお金の病にかかっていたのでしょうね。
まぁそんなわけで、
私は、
幼い頃からピアノをやらされていたのに続けられなくなり、
得意だった英語を活かす道は閉ざされ(大学はだめ、短大へ行け、それ以上出せるお金はないと。私が短大に行くのは母の夢だったと後で知りました)
就職の時は奨学金を2つも受けている人は金融関係は受からないと学生課で助言され…
いつも親が私の進む道を閉ざす人生だった。
親は、私の持っている資質(音楽や英語が得意)を活かす道を応援してくれなかった。
その事が今でもとても悲しい。悔しい。
母親が亡くなった今
父親が認知症になり
未だに私達に迷惑をかけ続けている状況にも納得できないでいます。
◆逆境をバネに生きてきた◆
でも、ヴァイオリンを続けて来れたのは、たぶんこれらの悔しさがバネになっていると思う。
逆にいうと、
このような困難があったからこそ、
今の私がある、のかもしれません。
45才から始めたヴァイオリンでしたが、
どうしても避けられない「発表会」。
大人は敬遠する人が多い中
2年目から頑張ってトライし、
13回ほど出ました。
倒れるかと思うほど緊張したけど、少しずつ慣れてきて、毎回胃がキリキリと痛くなって毎回もう辞めたい、でも次の曲何にしよう?の繰り返しで
ここまで来ました。
コロナきっかけで個人レッスンは辞めたので、一昨年2019年の発表会が最後となりましたが、
10分の曲を、なんとか最後まで止まらずに弾けた事が
私の自信となりました。
(バッハのヴァイオリンコンチェルト2番1楽章を弾きました♪)
少しずつ落ち着いて弾けるようになったのは、
間違えちゃダメ→「間違えてもいい」
止まっちゃダメ→「止まってもいい」
と、思考を転換した事が大きかったと思います。
今も、親への恨みがましい気持ちは消えてないけれど、今は
その思いを抱えて生きて行こうと思っています。
消そうとしていた時、許そうとしていた時の方が苦しかった。
そうできない自分を責めていたから。
◆まとめ◆
資金面でできる限り子供の援助をするのは親の責務では?
本当に出来ない場合はもちろん仕方ないが、
本当は出来るのに出し惜しみする親がいる。
そういう親は、自分の子ども時代に満足感を持てていないのだろう。
しかしそれはあなたの問題。
子供で解消しようとしてはいけない。
実際問題として、
子供がたとえば音大に行きたいと言い出したら(音大は学費が高い‼︎)
全財産をつぎ込んで背中を押してあげられるのか⁈
確かに、難しい問題ではある。
でも、苦しい中で応援し支えてくれた親を、子は恨むような事はしないのではないだろうか。
✳︎✳︎✳︎
親との確執があったからこそ
音楽への渇望が今もあり、
継続する力になっている
というお話でした。
長文をお読み頂き
ありがとうございました❤︎