見出し画像

藤原和博著「父親になるということ」/自分の呪縛を解く事で子も親も癒されていく

藤原和博さんは、
東大〜リクルートを経て
中学、高校の校長先生になられた、
少し変わった経歴のお方です。

ご長男の玄さんが4歳の時に渡英。
玄さんが保育所や学校になかなか馴染めなかった事や、
同時期に次のお子さんが生まれ
奥様の体調もなかなか回復しないという中、仕事のストレスも重なって激動の数年を過ごされた。
その数年の間玄さんとの触れ合いを通じて得た学びの記録です。

それまで日本で
ごく普通のサラリーマンとして過ごしてきた著者が、勘違いしていた事とは。
おそらく、多くの日本の親は
ほぼ全員と言っていいほど
根っこに抱えているのでは
と思われる思い込みが浮き彫りになっており、はっとさせられます。

イギリスでの育児に絶望的な気持ちになりながらも、
自分を客観的に見つめ
親として成長していく様は、
自分の育児期と重なり
胸が詰まりました。

以下抜粋です。

私はやっと、自分に刷り込まれたものの根っこの深さに気付き始めた。
(中略)
私は呪縛されていたのだ。
受験によって。
時代によって。
社会によって。
会社によって。
そして何より、仕事そのものによって。
早く、ちゃんと、いい子に。
三拍子そろった標準的なサラリーマンとして。

子供達が幼児期の、あの数年間、
どうしてあんなに焦って過ごしていたのだろう?
と、今になって思います。

我が子はどちらもよく熱を出して幼稚園を休む事が多く、
先生は「体力がなさすぎる」「体力をつけろ」
ジジババは「風邪を引かせるな」
と私を叱咤しました。
体力がない事をマイナスのようにジャッジする先生(全員ではありませんが)に、
風邪を引かせるのは親がいけないと言わんばかりの我が父母。
幼児期って、風邪をひきながら大きくなっていくものなのではないのでしょうか。

もっと言えば、主婦が皆家にいたあの時代、幼稚園て必要だったのだろうか。
親の側の都合で、入れたかったから、
あるいはみんな入れてたから入れただけではなかったか。
子供はもっと自由に遊びたかったのではなかったか。
小学校に上がる前の幼児期モラトリアム時代?を、いろんな制限に縛られず過ごさせてあげる事もありだったのかもしれないと、この本を読んで
少し思いました。

ちなみに、私自身は幼稚園は1年保育。夫は田舎なので
行ってないそうです。

まぁ、核家族化は私の親世代から進んでおり、共働きが当たり前となった現代の子育てでは、そんな理想郷のような現実は幻想でしかありませんが。

✳︎✳︎✳︎

私も、藤原さん同様、
いつのまにか社会のシステムにまんまと組み込まれ
たくさんの、本当に大事な事を見失っていた事に
この本を読んで改めて気付かされました。

玄さんは、
最初に入った学校にどうしても馴染めず転校したのでしたが、
藤原さんが、見失っていたものに気付いていく過程で、
不思議なもので、
次の学校で玄さんは段々と馴染んていったのです…

自分の呪縛、「早く」「ちゃんと出来る」「いい子に」高度成長を支えた日本の教育制度のキャッチフレーズが、私の中に巣食っていた。
自分が負っている時代の呪縛に気づき、その呪縛から自分自身を逃がそうとする時、子供は親を救ってくれる。

何もかもわかっているのは
実は大人ではなく子供なのではないか。
子供は、自分の身を削って
大人にそれをわからせてくれる存在なのかもしれないという藤原さんの言葉に、深く共感しております。

それではまた。
今日も、ここまでお読み頂き
ありがとうございました❤︎


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,023件