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「平凡恐怖」からの脱却/優秀でないとダメ なんて事はない。

早稲田メンタルクリニックの
益田裕介先生の動画を拝見しました。↓

タイトルにある「平凡恐怖」って
初めて聞いた言葉ですが、
何が何でも、自分の強みを見つけないといけないと思っていると
逆に何もない自分に向き合うのが怖くなるって、ありがちですよね。
あまりよろしくない強迫観念(というのかな?)の一種ではではないでしょうか。

人と比べて優秀でないとダメ
と思い込んでいる人が未だに多いように思うんです。

そんな事は全くないよ、
人は生まれただけでそのまま全肯定されるべき存在なのだよという事が
懐にストンと落ちれば
皆ハッピーになれるのになと。

そうは言っても、
優秀であるに越した事はないでしょ、
その方がたくさんお金が手に入って幸せになれるに決まってるでしょ、と言われそうですが、
その確率は高くなる可能性は否定できないけれど
実際幸せになれるかどうかは別ですよね。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

人より秀でているものを見つけて
それを仕事や趣味にしなきゃダメ。
でもそれが何なのかわからない、と言って行動出来ない人というのは、…

もしかしたら、
人からけなされたりバカにされた経験がトラウマになって、
新しい事にトライする事が出来なくなり、失敗を恐れるあまり一歩が踏み出せない。何も出来なくなってしまう。
そんな経験をお持ちなのかもしれません。

思うに、
劣等コンプレックスなども実は同じ構造ではないかと思うんですが。

人と比べて上か下かでしか判断出来ない人は残念ながら前へは進めないと思う。それは、いつも人の評価でしか自分の価値を見出せないから。

例えば、
偏差値60以上が素晴らしいと考えている60以下の人は、自分を卑下し、さらに自分より下の人をバカにする?
それって、自分にも他人にも失礼な話ですよね。

身長は155cmはなくちゃ!
と思ってる152cmの人は(ちなみに私^^;)148cmの人を見下し優越感で生きている?(私は見下してませんよ〜)

何cmでもいいのにね!

だから、自分でその事に気付いて、思い込みブロックを外していく事。
思考のクセをなくす事。

そうして、続けられる何かを探す。
何が続けられるかはやってみないとわからないから、途中でやめてもいいからやってみる。

何もやってないけどyoutubeは観るという人は多いと思いますが、何も始められない人は、ぼんやり見てるだけという事が多いのではないでしょうか。(人生には、そういう時間もあっていいとは思うけれど)

取り込もうとしない人、ある意味素直さがない人は、それがダメという事ではないけれど、
いつまで経っても失敗もないけれど成長もない。

何に対してもヤル気が出ない、
好きな事が見つからないという人に実際に届けたいという思いが実はあります。(リアルの親戚に、です。)

でも、届けても、受け取ってくれないとわかってる。結局は全て自分が決める事であって、「勧めて」も動いてくれる事は難しい。
そんな、諦めの境地にいます。

周りの人間は非力でただ見守るしか出来ない。歯痒く思っても、本人のやる気を待つしか出来ない。

生きていれば「比べる」事から逃れる事は出来ないけど
比べて落ち込んだり優越感を持つ事に
メリットはないし成長もない。

優れてたらそれはそれでいいけど、
別に優れてなくてもいい。

少し上を目指す事、
少し負荷をかける事は自分の成長のために有効な手段であると思うけれど、
「成長しなければならない」
は違う気がする。

結局、「自己受容」なのかなと思う。

……

私自身が本当に「自己受容」出来ているのかと問われたらYesと答えられるか謎だけれど、最近前よりは出来てきたと思っています。

少し論点がずれてしまったかもですが、
要するに、他人軸で生きるのをやめ、自分主体の人生を歩みましょう、という事です。

本人に届かないのがもどかしいですが、あくまで本人の問題。なのだと思います。遠くから声なき声援を送るのみです。

今日は、だいぶ前に書いた下書き記事の投稿となりました。

それではまた。
最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎



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