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斎藤幸平著 「人新世の資本論」/脱成長するしかない。

今の今まで私は、「お金を回す」「経済を回す」事が良いのだと思い込んでいました。
この10年、それまで長年の間抑えていた物欲を適度に開花させ(?)ていた私でしたが、このまま今まで通りのいわゆる「豊かな」ライフスタイルを続けていたら、地球は大変な事になるよ、という戒めの本でした。

正直なところ私にはなかなか解読困難な内容で途中斜め読みしたところも。でも、とにかく読了出来た事で得る事は大きかったように思います。

長くなってしまったので、お時間のある方のみ、お進みください🙏

今歯止めをかけなければ大変な事になる。
止まらない気候異常現象を今食い止めなければ近い将来地球は大変な事になる。この事を真剣に考えている人がどれだけいるのか。

私達は、生まれた時から既に資本主義に取り込まれた生活をしており、その加速たるや凄まじかったのはご存知の通り。(私の幼児時代お風呂は薪、トイレはボットン便所、結婚した頃やっとビデオデッキ登場、CDはもう少し後…枚挙にいとまがないほどの成長ぶり)
消費はいつしか「美徳」となり、
車、電化製品、買っては捨て買っては捨ての生活。

しかし、50代に入ると会社員の給料は少しずつ減額され、リタイア後の家計は年金のみでは人間らしい生活ができるレベルではないという結末。
人が心を病み社会に適応できなくなるのも当然ではないか。そんな気さえします。

私達先進国の繁栄の裏に、犠牲となっている国と人々がいる。
先進国の便利な暮らしを支えている遠くの貧しい国の人々の暮らしを私達は薄々気づいている。しかし見なかったことにして(これには、マスメディアの責任もあると感じます)快適な暮らしをもっともっとと求め続けてきた。
そのツケが、近い将来地球を再生不可能なほどに覆い尽くすというのだ。

地球温暖化の恐怖は既に始まっている。気温上昇がこのまま進めば、東京の江東区、墨田区、江戸川区のような地域では、多くの場所が冠水すると言われている。
世界規模で見れば、億単位の人々が現在の居住地から移住を余儀なくされ、人類が必要とする食料供給は不可能となる。

グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける地域、住民の事)の悲劇は、先進国の帝国式生活様式によるものであり、我々は、彼らの資源や命を搾取して、豊かな生活を享受している。
この不公平は可視化されにくく、今享受している便利な生活を失いたくないがゆえに「知らない」から「知りたくない」に変わってしまう。
こうして、危機対応は未来へと先延ばしにされてきた。
その報いが、ついに気候危機として忍び寄ってきているのだ。
大洪水はすぐそこまで来ている。

SDGsは耳障りのいい言葉
少しでも何かやっていれば、省エネに貢献しているという勘違いが生じる。
レジ袋廃止も然り。結果的に、エコバッグの生産が増えゴミが増えただけ。
ガソリン車が消え、電気自動車に置き換えられる事は一見良い事のように見えるが、巨大な新市場と雇用が生まれるに過ぎない。
電気自動車に必要不可欠なリチウムイオン電池に使われるレアメタルの多くは、アンデス山脈沿いの地域。大量に地下水を汲み上げる事で、生態系に影響を与える。
コバルトも不可欠であり、これは6割がコンゴで採掘される。
そこでは、奴隷労働や児童労働が蔓延している。
発展途上国の人や土地や資源が先進国の豊かな生活のために犠牲になっている事を認識しなければいけない。このままでは地球全体が病んでいき、いずれ先進国だろうがもろとも絶滅の危機に瀕する事になる。

ではどうしたら良いのか?
地球を絶滅から救うには、
経済のスケールダウンとスローダウンするしかない。脱成長である。
その目安としてよく言われるのは、1970年代後半のレベルにまで生活規模を落とす事。
現実逃避をしている場合ではない。
「脱成長」しなければ、地球の未来はない。

対策
それでは実際に何をすれば良いか。

例えば、元来潤沢にあった河川の水。それは昔コモンズと呼ばれ、誰もが自由に、しかし上手に管理し無償で共有できるものであった。
そこに資本が入り、ペットボトルに詰めて売る。そこには希少性が不可欠であり、そこに群がる消費者の登場で利益が生じる。貧しい者は水を買うことが出来ず、富はほんの一握りの人々が独占する。気候変動が、ビジネスチャンスとなる所以である。
コロナショックにおいても然り。

かつて人間は、1日のうち数時間働いて、必要な物が手に入れば、あとはのんびりと昼寝をしたり歌を歌ったりして過ごしていた。
ところが、今や、貨幣を得るために、他人の命令の元で長時間労働を余儀なくされている。これを、マルクスは、しばしば「奴隷制」と呼んでいた。

資本主義の元での消費の過程で、人々は豊かになるどころか借金を背負う。その事で、人々は従順な労働者として、つまり資本主義の駒として仕えることを強制される。
その最たる例が住宅ローンである。
ローン返済のために節約生活をする。もはや、何のための生活なのか。

無限に利潤を追求する資本主義を今のまま続けるなら、地球の未来は絶望的である。GDPの増大ではなく、人々の基本ニーズを満たす事を目指す社会にするべき。

必要のないものを作る事をやめる。深夜のコンビニも、年中無休もやめる。
報酬は減るが、総労働時間は減る。意味のない仕事が減るだけで、社会の繁栄は維持される。人間が賃金奴隷の状態から解放される。

労働を分業化した事で、私達はかつて出来る限り自分でやってきた事を何でもかんでも外注化する事に慣れ(それは資本主義における基本)その結果まんまと腑抜けにされてしまった。
勿論、闇雲に、科学やテクノロジーを拒否する必要はない。
分業に奴隷的に隷属するのではなく、労働そのものが第一の生命欲求になることが望ましい。

◆まとめ◆
グローバル・サウスからの富の収奪と環境負荷の転嫁によって、先進国の豊かな生活が可能になっている事にきちんと目を向ける事。
環境負荷をグローバル・サウスに押し付ける歪んだ資本主義の夢を見続けるのはもうやめよう。

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以上、引用と自分の言葉が混在しておりますが、ざーっと書いてみました。

私達の年代は逃げ切れるかもしれないが、今の子供達の未来に責任を持つ必要があるという事。
それは理解は出来た。
しかし、「成長」こそが生きる証と刷り込まれている私達にとって、成長してはいけないという新たな難問題が今投げかけられているという事、これは顔面を殴られたようなショッキングな新しい概念。はぁ〜…(ため息)

この本が提唱している「脱成長」の具体的な取り組みについては正直曖昧な感じを受けましたが、誰かが率先してやらねばいけない緊急課題なのだと、気持ちだけは引き締まりました。
資本主義に直結している政治には期待できないから、民間でそういうムーブメントを起こさないと難しいと、斎藤氏はおっしゃっています。

何か、変えていかないといけない。
例えば、家電、車など、壊れたら買い換える→修理して長く使う。
自分で出来る家のリフォームなどは外注せず出来るところまで自分でやる。など?
…しかしこれだと経済は回らない。悪循環。
どうすればいいのか???
さっぱりわかりません。
エネルギー問題も、いまやじわじわと私達の生活を蝕みつつありますから、
まずは個人レベルで、不要な物は買わない、エネルギーの無駄遣いを減らす、など取り組んでいかなくては!と思いました。

うまくまとめられず長文になってしまいごめんなさい。
何か、考えるきっかけにして頂けたら嬉しいです。

最後までお読み頂き
ありがとうございました❤︎

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