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仕事を通して味わった「母」になるという感覚

結婚せず、子供を持つこともなかった私が、管理職になった時、ひとつとても素晴らしい体験をした。それは、仕事を通して「母」になるという感覚を味わったことだ。

40代前半、外資系のジュエリーブランドで働いていた時のこと。当時30人あまりの部下がいたが、そのチームでの日々が、私に母親の感覚を味わわせてくれたのだ。

当時私は、売上のことで、外国人の上司から毎日檄を飛ばされる日々を送っていた。売上で苦労するのは生まれて初めてで、精神的にかなりこたえる毎日だった。当時毎週月曜日に売上予測の会議があり、日曜日の午後は、家から各店舗の店長に電話をして売上の状況を把握する。週末は、催事のため出勤することも多く、ほとんど休みのない状況が続いていた。

精神的にも、体力的にも限界に近い中で、自分のことよりも先に、なぜか部下のことが気にかかる。「みんな大丈夫かしら、ちゃんと食事ができているかしら、幸せかしら」と。私以外のスタッフも、死ぬほど働いていたのだ。いつ自分自身が倒れてもおかしくない状況なのに、そんな風に考える自分のことを、「雛鳥のためにえさを巣に運ぶ親鳥」のように思えて、一人で笑ってしまった。

人間は年を取るにつれて、自分の成長にだけ躍起になって取り組む時期が過ぎ、チームとして成長できることが喜びになるように変化していくのだ、と感じた。

子供たちを心配するような気持ちを、口に出して言葉にしたとしたら、30代~40代の部下にとっては、きっと「うざい」だけだったと思う。だから、そのことを前面に出して表現することは、ほとんどなかった。自己を犠牲にするというより、「みんなが幸せと感じる」こと自体に達成感があり、私自身の喜びがあったのだ。

その頃の部下だった男性店長に言われた印象的な言葉がある。「母性は本能なので、女性はある程度の年齢になると、母親の要素が出てきて、性格が丸くなる。反対に、父性というのは本能ではないので、男性は実際に子供が生まれて初めて、自分の思い通りにいかないことがあるのだとわかる」。

私は仕事人間で、結婚せず、子供を産むこともなかったので、「男気がある」と言われることはあっても、自分の中の母親の要素や母性本能を意識したことはなかった。だからこそ、こんな形で自分自身の母性本能からくる愛情を発見できたことに、感動し、感謝した。

「母」の大切な役割として、静かに見守り、頑張った時に褒める、というものがある。見守られ、褒められることにより、達成感を味わい、褒められた人は更に次の頂を目指すようになる。高額品が売れた時、予算を達成した時、そんな時に、褒める言葉と共に交わす会話に、私自身大きな達成感があった。

また、こんな体験もあった。月末が週末に当たると、売上を締める作業のために、休日出勤が必要だった。ある月末、当時、部下の退職のことでひどく悩んでいた私は、胃が痛い中、誰もいないオフィスに休日出勤した。普通の食事が取れない状態だったため、自分で野菜を煮たものをオフィスに持ってゆき、売上の締めの仕事をしていた。

スタッフに電話をかけて、当月の売上を聞いて、電話を切った。私はいつものように話をしていたし、通常の他愛ない会話だったと思う。しかしこの時、電話を切った直後に、すぐにそのスタッフから折り返し電話があり、すごい勢いで「どうしたんですか?」と訊かれた。私は意味がわからず、「何のこと?」と訊き返すと、「電話の声を聞いて、様子がおかしいと思いました」と言われ、とてもびっくりした。接客のプロは、電話だけで相手の気持ちがこんなにもわかるのかと、心底驚いた。

部下の退職のことで、悩んでいることを、そのスタッフに話すと、一気に気持ちが軽くなり、持ってきた野菜を一気に食べて、元気になった。温かい気持ちになった。家族のような関係だと、不思議な「以心伝心」があり、「母」のような私のことを気遣ってくれていることが、うれしかった。

愛情は愛情で返ってくる。そして、愛情が人を育てる。それは、家庭でも会社でも一緒だ。誰かが見ていてくれるという思いだけで、人は元気になれる。本当に頑張った時に褒めてくれる人がいると、また次のゴールに向かって行くことができる。愛情は、無償で、無限大。与えたらなくなってしまうこともない。

「母」になる体験を通して、私は大きな成長ができたと感じていた。私を「母」にしてくれて、本当にありがとう。

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