洗濯機とゆらぎ
変化の中を、生きていると感じる
最近はバスルームの洗面台とトイレを大家さんに新しくしてもらって
大きめの新しい洗濯機を購入した
運んでくれたひとにチップを渡すから設置までしてほしいとお願いしたかったのに、わたしは断られるのが怖くて言えなかった
結局自分のちからでやってみる
説明書を片手に重い洗濯機をひとりで運んで
やっと出来たと思ったらホースの接地部分がうまく繋がらず水が漏れて使えない
洗濯物が山になっていて仕事ができないので
元の洗濯機をもどして夜中に洗って乾燥機にかけて朝アイロンした
ホームセンターに2日間に3回も駆け込んで必要な部品を買ってお店の人にわからないと助けを求めた
無理してネジを回し過ぎて手と身体が痛くなった
ひとりで洗濯機と格闘して身体がぼろぼろだと顔を合わせたヨガスタジオのオーナーに話すと
その人のお父さん(大工が得意)に頼もうか?と聞いてくれた
わたしは自分ひとりでは何もできないのに
何でもひとりでやろうとしてしまうことが問題だと思った
能力やお金がないことよりも
こんなときに頼れる友達がいないこと(頼ることができない自分がいること)の方が苦しいと知って
小さなことなのに、少しのあいだセンチメンタルな気分を味わった
助けを求めたり、質問したり自分の意見を言ったり言葉を発することは、責任が伴うことだと思う
一方で、差し伸べられる助けを受け取ったり話をただ聞いたり偶然のなりゆきに身を任せることは
選ばなくていいし責任がなくて楽なことだった
わたしは、自分ひとりでは何もできないという事実を受けとめて
失敗の代償を払っていく
自分の癖や弱さを知り失敗を経験に変えて
わたしの責任を取り戻していく
いつか、そこにある事実を主観的にも客観的にも揺らぎのなか落ち着いて見ることができるようになったら
扱えることや見える世界がまた変わると思う
そんなことを考えていた
あなたはあなたらしく、わたしはわたしらしく。