終活は財産だけではなくメンタルの整理
こんにちは。中田真弓です。
先日九死に一生を得た父についての記事を書きました。
なぜ自分は生き長らえたのか、何かやり残したことがあるのではないか。
父も私たち家族も、実はだいぶ前からもう父が今世でやり残したことはないだろうと割り切っていたので、問いかける日々が始まったのです。
退院してしばらくすると、父は一日に一度、夕食の度に一つ、大昔の出来事について懺悔し出しました。
家族ももう今となっては忘れていたり、何とも思っていなかったりすることばかりです。
娘の日曜参観日に行かなかったこと、本当に申し訳なく思っている。
教育方針についての食い違いを、母に任せているのでお前の責任だと攻めた自分に余裕がなかったこと。
車を買い替えたときの車種の選定で揉めたこと。本当は家族旅行に行きたいという憧れがあったのに実現せず、宝の持ち腐れとなってしまったこと。
たしかに、そう言われれば、そんなことあったなぁというレベルの家族内でのいざこざについて、生死の境を彷徨って一部記憶を無くしてさえいる父の口から、ポツポツと出ることが不思議でした。
申し訳なく思っていたのだな。当時は強がって怒ったり人のせいにしたりしていたけれど、内心ではそんなこと考えていたのか、と驚くことばかり。
父にとっては毎日一つずつ家族に謝っていくことが、やり残したことなのだという認識のようでした。
半年以上経った今では、もう懺悔して謝る出来事の記憶もなく、逆に感謝を伝えるようになりました。
あのときは一人でよく耐えてくれた、と母に言うことが圧倒的に多く、仕事が忙しかった父に頼らず、母が一人で家族を切り盛りし、決断力がないなりに子育てでも方針を決めていたんだなと、両親を尊敬するばかりです。
気持ちの整理がつくまでには、時間がかかります。
終活は財産だけでなく、心の整理をする時間でもあるのだとつくづく感じる今日この頃。
私は後でまとめてではなく、今その場で謝罪や感謝を伝えるようにし、やっぱりいつ死んでも後悔しない人生を日々生きようと心に決めたのでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今後も私の人生や暮らしへのこだわりについて発信していきます。
今日もあなたにとって素敵な一日になりますように。
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