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表現することを恐れない操縦士になりたい。

末っ子の成長っぷりが凄まじく、写真を撮るとポーズをして見せてくれます。

『わー可愛い!』と言うと、照れ恥ずかしそうに微笑み、もう一度ポーズを決めてくれたかと思うと、恥ずかしさがピークになったのか、プイッと顔を背けて逃げていく。

その姿を見て、こんなに幼い時から恥ずかしさが、行動を制限させてしまうんだなーと気がつきました。

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小さい時って、「恥ずかしい」とか「恐れ」よりも、「単純に見て欲しい」とか「嬉しい」などの気持ちが勝って、行動に制限なんてないと思っていました。

いつから、表現することを恐れるようになるのだろう?

日本では、学校に入ると右向け右の精神を叩き込まれて、周りと同じでいないとって気持ちが強くなり、自分を抑えるってことが増えていく。また、親の教えや家庭環境も左右される。

となると、いつからという基準ではなく、その子の個性ですね。

少なくとも私は、自分の気持ちを言葉として外に出すことをあまりしてこなかったので、音楽やアートが唯一の表現方法になっていました。

特に絵を描くこと、ハンドメイドを作っている時は、無心で時間を忘れて取り組んでいました。

長女も言葉下手なので、自分の気持ちをうちに込めがち。でも、音楽が彼女にとって最大の表現方法なので、1人部屋にこもって音を奏でている時は、とても自由で解放されているし、楽しいとか悲しいとか音に気持ちがのって聞こえてきます。

言葉を通して以外でも表現方法って色々あるけど、どんなツールを通しても純粋に自分から湧き出るものを表現したいと思って、今もこのnoteも書いています。

どうも大人になるにつれ、「こうした方がウケがいいかな。」とか、「こうした方が喜んでもらえるかな。」とか、他人目線で考えてしまいがち。

もちろん、こうした文章に関しては、「読みやすくする」とか、「誤字脱字に気をつける」とかいくつか読む方の目線に立って書くポイントはありますね。

でも、それが書くことに制限をしてしまうのであれば、そこは無視して書いてもいいと私は思います。きっと、その方に必要な時にブラッシュアップされる機会がやってくるから、まずは恐れずにありのままで出していけばいい。そうすることで、表現したい自分への気持ちには対応しているから、心は豊かに感じますね。

私の文章力なんて、小学生レベル。でも、読んでる方に伝えたい。シェアしたい。と思うから、毎日noteを書いています。

読みにくいところが多々あるかと思いますが、それでもコメントやいいねをくださる方がいて、感無量。感謝しかありません。ありがとうございます。

また、人に絵を描く時、ふと他人目線の考えが頭をよぎります。でも、そんなときは”私が伝えたいこと”に意識を集中して、自分目線に戻るようにします。

私が表現したいことは、私の中にしかない。それをアウトプットできるのも私しかいない。誰も変わりはいないんだ。

自分をドライブする操縦席に他人をのせてはいけない。

私の行きたいところに行きたいから。

恥ずかしさや恐れは常にあるけれど、それを上回る楽しさやワクワク感を楽しみながら、自分が向かえたらいいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


Mayumi🦩

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