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無限の可能性を感じて過ごすこと。

友人の話を聞いていて、このフレーズがリフレイン。

カテゴリーし過ぎない。

友人の言葉

話の流れはさておき、そのフレーズだけが気になった私。なぜ気になるのか、自己対話をしてみましたので、お付き合いいただけると幸いです。

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そもそもカテゴリーって何を基準にされるだろう。例えば、日本人、アメリカ人みたいなものは、生まれた場所を基準にカテゴリー分けされている。他にも職種とか、年齢とか?たくさんある。

なんで人間はカテゴリー分けするのが好きなんだろう。

医学の視点で考えるとカテゴリー分けって重要な判断基準であったりする。女性に多い病気とか、子どもだったらこのウィルスに感染しても重症化しない。など、カテゴリーによって、たくさんある病気の中から「この病気ではない」を選択できる。

逆に、

時に人を傷つける役割をする。例えば、人種差別。私はアメリカ留学中、何度か人種差別を受けた。アジア人だからというだけで、のけもの扱い。話の輪にも入れないどころが、一言話しただけでも笑われる。とっても悲しかった。

アメリカって、肌の色や目の色の違う人種がたくさんいて〇〇系アメリカ人のように色んなルーツがあるのに、なぜ「日本から来た」というだけで、のけもの扱いされるのだろうか。とても不思議だった。歴史的な背景が隠れているのは分かるけど、今もそれが残っているとは、その時は想像もしていなかった。人種って人付き合う上で、そんなに重要かな?

また、学歴というカテゴリーは、その人が持っている才能を潰す可能性があるんだなと感じた時があった。本人は何がしたいかよりは、親が描いた理想を押し付けてその子が持っている才能が開花するチャンスを逃してしまう。

高学歴でなければなれない職業。それに憧れる親がその憧れを我が子に託した時、子どもにプレッシャーを与える。この学校でなければならない。この学校に入れたのだから、ある程度高い点数を取るでしょ?と期待をする。それができないとガッカリして怒ったり、さらに塾に入れてもっともっとプレッシャー与える。

世のマーケティングによって、もともとの意味とは違った使われ方をしたカテゴリーもある。HSPもその一つ。

上記の記事にも書いたけど、HSPってカテゴリーも自分を知る上で一つのツールになるけれど、なんでもかんでもHSPだから。としてしまうとその人が持つ更なる可能性を潰しがちだと感じる。

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たくさんあり過ぎて書いていると今日が終わってしまいそうなので、ここら辺までにします。

カテゴリーし過ぎない

友人の言葉

このフレーズの意味は、自分または周りを枠にはめないこと。カテゴリーに焦点を当ててしまうと、本質を見逃したり、本来持っている才能を闇に葬ってしまったりする可能性があるから、カテゴリーによって生まれた価値観は本当に必要なのか、今一度自分に聞いてみることの重要性を私に伝えてくれていたのだと感じました。

もともと人間は凸凹にできているから、持っているもの、持っていないものがあるのが当たり前。だから、人と人って助け合って生きていますよね。凸凹はとても素晴らしい個性であり、無限に広がっていく可能性があるんです。私は子どもを見ていてそれを痛感しています。

その可能性を潰さないように、俯瞰した目を持ってジャッジすることなく、今まで作られたカテゴリーや価値観を取っ払うくらいの感覚、すなわち子どもの視点でいることで、見えないものが見えてくるということだと受け取りました。

なぜなぜ期の子どものように過ごしていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Mayumi🦩

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