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転職3回目で"天職"を見つけた話

世の中にどれだけの人が人生で”天職”を見つられるでしょうか?

「天職」とは、自分にとって最も適した仕事や役割のことを指しますね。一般的に、天職とは個々の能力や才能、興味、情熱に基づいて選ばれた、自己実現や満足感をもたらす職業や役割のことを指します。と定義されています。また、その人の成長や幸福に貢献する仕事です。

「天職」を見つけることは容易なことではなく、多くの人々が試行錯誤を経験することがあります。 

さて、今回は、私が「天職」を見つけて今に至る話をさせていただきます。


私が新卒で入った会社は大手の人材派遣業界で、当時、”派遣”と言う働き方に世間がとても注目し始めた頃で、その会社は業界のパイオニア的な会社で、とても勢いの良い時期でした。東京採用で東京だけでも150名、大阪で150名くらいの新入社員を採用していた頃です。

私は、イギリス留学帰りということで、外資系の多い東京港区を中心に派遣の営業部門に配属になりました。

とても福利厚生が素晴らしい会社で、東京神楽坂という一等地に会社の寮はあるは、営業手当は付くは、会社で朝食から夜食まで作ってくれる環境はあるは、と社員にとって、とても手厚いベネフィットがある会社でした。 


ただ3年もするうちに、毎日朝決まった時間にオフィスを出て、自分の担当エリアへ行き、一日中派遣の営業に回るのですが、途中で飽きてくるんですよね。限られたエリアの中で、越境も出来ず、当時はセキュリティーも緩いので、”落下傘営業”なんて言って、ビルの一番上の階から1件1件回っていくんです。そんな営業のスタイルに飽きてしまって、でもそのまま続けることも出来たはずです。営業ではなくても他の仕事に異動願いをすることもできたんだと思いますが、当時の私には、”海外転職”しかないと考え、3年で退職。香港へ転職をしたわけです。 


香港で盛んな業種の一つに金融業があり、私は、大手日系の銀行で部長のアシスタントからアシスタントマネジャーまで4年間勤めました。しかし、前の投稿でも書きましたが、経営破綻してしまった銀行から転職するべく、その時に”金融業界”には上には上がいると感じ、頑張ってもせいぜいマネジャー止まりだろうと。次にアメリカ人の経営する会社へ転職。小さいながらも日本人のいない環境、マルチナショナルな環境でドバイまで出張にも行かせてもらいましたが。

しかし、20代後半。今度は”自分のアイデンティティー”をふかーく考えたのです。 その時に、このままではまたアシスタントマネジャー止まり、給与もこの規模の会社では香港のインフレ率どおりで上がっていくだけだと。この会社で1年が過ぎるころ、”人材会社経験者。既に香港に居る人”の条件で、日本の派遣会社では、私が新卒で入った会社のライバル会社が香港事務所を立ち上げた前任者が退職するので、香港事務所の営業マネジャー兼オフィス責任者として後任を探しているとのことを耳に、早速応募をし、直ぐ面接に呼ばれました。 

この会社は、日本にいる時から、ファウンダーである社長の魅力をよく聞いてはいました。何度もアメリカのビジネス雑誌フォーブスなどでも世界で活躍する女性経営者に選ばれ、アジア内では続けて数年一位を取っていた経営者です。篠原欣子さん。家族以外で、私が今までの人生で一番尊敬する方です。

香港事務所は一番最初に開いた海外事務所。当時は篠原さんが自ら海外を見ており、篠原さんに面接もしてもらいました。一番印象に残る質問が、「将来どんなことをしたいの?どんな風になりたいの?」と聞かれ、全くマネジメントの経験などないのに「いつかは社長になりたい。いつかは自分の会社を持ちたい」そんなことを言ってしまったのです。
がしかし、他にも候補者の方がいるとは言っていたものの、その日の夜には採用の通知をもらい、1か月後には晴れてこの会社に入ることになったのです。 

ここからが私の16年間の全てをかけた第二のキャリア人生の始まりでした。 

全く会社の経営などしたことない私。パートも入れて5人という小さい所帯で、私が入って数か月で私のやり方に合わないと前任者が採用したスタッフは全員退職。次に採用したスタッフも香港の労働市場の回転が速い香港で勤務期間が1,2年が良いところ。やっと香港人の核になる二人を採用してからは落ち着き、5人の会社も人数も増え、香港オフィスも2か所。最終は3か所、中国の事務所も広州という中国の南では最大の都市に事務所を開設。当時、中国では外資系の会社は独自の現地法人を設立するのが難しかったのですが、数年がかりで動いた結果最終的に人材紹介業では初めて100%外資の現地法人を設立することが出来、深浅という別の都市にも事務所を開設。 そのころにはスタッフ数も3倍の数になり、間違いなく業界大手の自負が。

その後、アメリカの会社とJVの会社を作ったり、日本の人材紹介会社を買収したりすることで、香港と中国事務所は最終的に100名近い人数に。 

人数だけではなく、クライアントへのサービスを怠ることなく、求職者への仕事を取ってきて、紹介をし、満足いくキャリアを積んでもらえるように導いてあげる。

これが、私の”天職”なのです。 

私は、多くの人をストレスなく、転職を成功させ、その後も満足いくキャリアを積んでいけるようにサポートしてきて、求人募集のクライアントさんへも適した人材を見つけてくることにたくさんの力を注いできました。 

社内のスタッフへも人種は違えど私のやり方で愛情をたっぷりと注いでいったつもりです。 

おかげさまで、今でも日本へ帰れば苦楽を共にした海外支店の当時責任者たちと集まり、本社にも顔を出し、現社長ともランチをご一緒してもらい、結婚だ、出産だと元社員には連絡をもらい、退職をするとなると退職のメッセージを未だに送っているのです。 

正直、16年間は相当辛いことや大変な時、動機息切れがするくらい、行きつく暇もないくらい、働いていました。それでも辞めたいと思ったことや、つまらないなと思ったことはなかったんです。 毎日、朝早く会社へ行き、やることが山済みで、社員が私のアドバイスや提案をしたいと待っていて、日々、企業の社長さんや採用担当者が適した人材を求め、求職者はキャリアを積むために登録に来るのです。 


沢山自由にやらせてくれる会社には感謝しかないです。 

そして、会社を退職した後もその時の経験を生かして、海外転職をしたい方に特化したキャリアコーチとして独立できたことはとても嬉しいことで、私は人と人の間に入った仕事に”天職”を感じ日々仕事が出来ることはとても幸せなことだと思っています。 

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