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ヘルパーさん


私は専業主婦なので、仕事があるからとか用事があるからという理由で、物理的に一緒にいてやれないというわけではなかった。

長時間一緒にいても、イライラするような子でもなかったので、レスパイトが必要というわけでもなかった。

それでも、年に数回とはいえヘルパーさんを利用し続けているのは、家が核家族で一人っ子、父、母、本人しかいない状況だから。コミュニケーションが全くとれないという障害では「友達」を得ることは至難の技で、「教育者や親以外の人間と関われない」ということに危機感を感じたからだ。


保育園で、彼の存在が認識されはじめてから小学校低学年くらいまでは、近所に住む世話好きな女の子が、自分の友達を連れて家に遊びに来てくれることもよくあった。でも、2年生も終わりになってくるとそういう子どもたちも塾や習い事などで多忙になる。一人で家で過ごすことが増えた。

小学校3年生からは、母親が男の子を連れて女湯に入ってはいけないという条例もあって、彼の「遊び」の選択肢が激減した。

一緒に遊びに行ける同年齢の友達が作れないというのは不幸なことだ。でも、実際に作れないのだからしょうがない。私達は家以外の他者の存在を彼自身に知ってもらうためにヘルパーさんを利用することを選択した。


ヘルパーさんという福祉に携わる人は、もともと親切で優しい人が多く、彼のために滅私奉公してくれる。でもそれはちょっと困ることでもあった。

利用をはじめて初期の頃に、利用先の施設の障子を面白がって破いてしまったことがあった。ヘルパーさんは「(彼は)まだ小さいし、自分が張り替えれば済むことだから」とそれを彼の「遊び」にしてしまった。

そこで許されたことは、他でも許されると思ってしまうのが子どもというものだ。きちんと叱って、できる範囲で後始末もさせてやってほしかった。そしたら障子を張り替えるのがどれくらい大変かもわかるだろう。

「完全受容」も大切なのはわかる。でも、暴力、破壊行為など普段の生活でやってはいけないことは、どんなときでも認めてはいけないと思う。

叱るときにはきちんと叱ってやってほしい。それが彼の「これをやったら(親でなくても)誰にでも叱られる」という認識を育てることになる。


この考え方は当時の利用者では少なく、そんなことで注文をつけたのは私が初めてだったので、ヘルパーステーションは多少混乱したようだ。きっとモンスぺだと思われていたんだろう・・・。

何度も「叱るときにはきちんと叱る」ということについて相談し、理解してもらえたところを選び、安心して利用させてもらっている。

その他にも、ヘルパーさんがやりたいことも盛り込んでほしい。彼がボーリングを淡々と投げるのを見守るだけでなく、一緒にボーリングをして楽しんでほしい。などなど。迷惑この上ない「注文の多い親」だった。

それでも、親の希望を理解してくれて、友達や兄貴分として接してくれるヘルパーステーションと巡り会えて、彼は運がよかった。

ちなみにヘルパーさんの利用料だが、例えば電車に乗ってボーリングをして帰ってくるという場合、通常のサービス利用料以外に経費がかかる。当然のことだが、それはこちらの負担になる。

なので、ヘルパーさんは本人の負担が増えないように自分はただ見守る。本人が一人で遊ぶということを勧めてくれたりする。本人が好きなことをひたすらやって楽しむためだけに行くのなら、それでも良いかもしれないが、うちの場合はなるべくヘルパーさんにも一緒にプレイしてほしい。

確かにひたすら見守りの方が事故は少ないかもしれないが、一人で淡々と投げ続けるのは、かなりボーリングが好きでないと楽しくはないだろう。カラオケにしてもそうだ。彼が楽しむために最も大切なのは、一緒に楽しんでくれる人の存在だと思う。


年に数回しか利用しないけれど、親戚のお兄さんのように振る舞ってくれるヘルパーさんは、長い年月でだんだん役職が上がって、ついに責任者になってしまった。本来なら実際的なヘルパーとしての支援活動はしない立場なのだが、「僕が行きます。楽しみにしてます」といって予定を組んでくれる。

ヘルパーさんというのは、本当にありがたいもので、私や旦那さんが倒れたりして入院ということになってしまったときなど「彼をみてくれるところがない」という愚痴にも「予約がいっぱいで無理かもしれないけれど、声をかけてください」などと言ってくれる。

そういう緊急時に、何度もお世話になって慣れたヘルパーさんに来てもらえたら、子どもも少しは安心できるだろう。その時にたまたま空いているというラッキーがあることを願うばかりだが。


人との縁はほぼ運で決まる。いろんな意味で彼は運がいい。悪かったことも多々あるが、その都度対象を選んできたから、相対的にみてかなり良い。

私から見れば聖人のように見える、福祉に携わる人達も本来は普通の人だ。人の考え方、根本に持つ価値観はそんなに大きく変わらない。なので「理解してもらう」ことには限界がある。

もし、ヘルパーステーションや放課後等デイサービス、作業所などで「合わない」と感じているなら、早々に他を探してみるのが良いと思う。無理して合わせることも、理解してもらおうと努力することも、結局は本人の苦痛を長引かせてしまう。

障害を持つすべての子どもが、自分に合った(必要な)環境を得られるといいなぁと思う。


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