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「表現の自由」と創作児童ポルノ~AI時代に子どもをどう守るか②

表現の自由は大切な私たちの権利だが、無制限ではない。憲法上の「公共の福祉」によって制限される。では、マンガやアニメ、ゲーム、あるいは画像生成AI等で、子どもへの性的虐待を娯楽として描く『創作児童ポルノ』についてはどうだろうか? 重要なのは「バランスのとれた表現基準」の策定だ。(解説: 渡辺真由子/シンクタンク『メディアと人権研究所MAYUMEDIA』代表)


「表現の自由」の重要性

マンガやアニメ、ゲーム、あるいは画像生成AI等で、子どもへの性的虐待を娯楽として描く「創作児童ポルノ」。こうした創作物に対する規制をめぐり、従来わが国で頻出してきたのは、「表現の自由」に関する観点からの議論である。「創作児童ポルノを規制することは、日本国憲法が定める表現の自由を侵害するのではないか」というものだ。

確かに憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」とうたう。表現の自由はわれわれ国民にとって、非常に重要な基本的人権だ。

この権利が守られているからこそ、われわれは自分の意見を自由に発言したり、ネットに書き込んだり、音楽や絵画などの芸術活動をしたりすることを通して自己実現ができる。政治に対する批判的な言論も、自由に表明することができる。民主主義を維持するにあたり、不可欠な権利といえよう。

表現の自由の限界

だが忘れてはならないのは、その憲法が第12条で、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と定めている点である。

さらに第13条では、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」としている。

すなわち、われわれにとって表現の自由とは、あらゆる表現に対し濫用してよいものではなく、あくまで「公共の福祉に反しない限り」という制約付きの権利なのである[i]。

「公共の福祉」とは?

「公共の福祉」とはどのようなものを指すのだろうか。代表的な学説は、基本的人権と公共の福祉について、「人権は個人に保障されるもので、個人権とも言われるが、個人は社会との関係を無視して生存することはできないので、人権もとくに他人の人権との関係で制約されることがある」と説明する[ii]。

つまり公共の福祉とは、個人が自分の人権ばかりを主張するのではなく、「他人の人権をも保障すること」と理解されよう。われわれが持つ表現の自由という権利も、「他人の人権を侵害しない限り」において、行使が認められると考えられる。

これを踏まえ、創作児童ポルノに対する規制を議論するにあたっては、公共の福祉の観点からの丁寧な検討が不可欠である。

「特定の個人」を対象としない表現について ー 制限は合憲(最高裁判決)

ここで着目されるのが、創作児童ポルノの特性だ。創作児童ポルノは創作物であるため、そこで表現される性的虐待等の対象は、特定の実在する子どもではなく、不特定多数の「子ども全体」といえる(特定の実在する子どもを描くものもあるが、それについては別稿で述べる)。

特定の個人ではなく「不特定かつ多数の人々」を対象とする表現活動について、公共の福祉との関連性をどう考えるべきか。

この点について、最高裁判所が2022年に示した判断がある。最高裁は、不特定かつ多数の人々を対象とする表現活動についても、表現の自由を制限することは「憲法に違反しない」とした(大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例をめぐる判決)。

そもそも表現の自由とは、「無制限に保障されるものではなく,公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあるというべきである。」と、最高裁は指摘する。

その上で、不特定かつ多数の人々を対象とする表現活動への制限が認められる理由として、その表現が「差別の意識、憎悪等を誘発し、もしくは助長する」ものであること等を挙げた。このような表現は、公共の福祉に反するとの判断を最高裁は示したのである。

バランスのとれた表現基準の策定を

一方、公共の福祉という概念について、国連の自由権規約委員会は「曖昧かつ無限定」であるとして、日本政府に繰り返し懸念を表明している[iii]。公共の福祉を盾に、あらゆる表現をやみくもに規制することは許されない。

では、どのような点を重視して、表現基準を策定すべきだろうか。
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は2012年、「差別、敵意又は暴力の扇動」となる表現の解釈基準として、『ラバト行動計画』を採択した。同計画は、差別等表現に対する国内での制裁において、以下の3つの表現形態を慎重に区別する必要があるとする:

(a) 犯罪を構成する可能性がある表現
(b)刑事罰の対象にはならないが、民事訴訟を正当化し得る表現
(c)刑事罰や民事罰の対象にはならないが、寛容さ、礼節、他者の信念の尊重という観点から懸念される表現

国連人権高等弁務官年次報告書、2013)

日本も、憲法が保障する表現の自由を踏まえつつ、公共の福祉とのバランスを取りながら、創作児童ポルノ表現への対処基準を明確化すべき時期にきている。

渡辺 真由子 (twitter)
(出典:『メディアと人権ジャーナル』2023 Vol.1 No.1、p.4 /一部加筆修正)


[i] 小説『チャタレー夫人の恋人』のわいせつ性が争われた裁判の最高裁判決は、憲法第21条が保障する表現の自由について、「公共の福祉によって制限される」ことを示した(猥褻文書販売被告事件 昭和28年(あ)第1713号 同32年3月13日大法廷判決)。

[ii] 芦部信喜・高橋和之補訂(2011)『憲法』第五版、岩波書店:p.98

[iii] 日本弁護士連合会(2015)

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参考文献

『メディアと人権ジャーナル』2023 Vol.1 No.1


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