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03. ゆべし。

 あべし。(←言いたいだけ)

 小さい頃、「どこに居ても誰と居てもしっくり来ない」と思っていた。転勤族ゆえか、はたまた幼少期から感じていた両親との価値観のズレゆえか…
  「ゆべし」は小さい頃から山形のおばあちゃんちに行くと必ず洋間のテーブルの上にあった。無かったら叔父さんがわざわざ買って来た。甘じょっぱくてネトネトしていて、すぐお腹いっぱいになるし、あんまり好きではなかった。基本的に餅は好きじゃない。臼と杵でついた餅は美味いから食べるけど。だからだんごも白玉も好きじゃない。ぼたもちは好きかも。そもそも「ゆべし」って名前なに?!イミワカラン!

  しかしながら、人間四十路を超えると"あの頃"の味が懐かしくなったりもするもんだ。なんならそれが美化されていたりして。過去って美しい…  …じゃなくて、ゆべしを侮っていた!という話だ。先日たまたま銀座に行った時に、山形のアンテナショップで買ってしまった。しかも6個入り。(多いな…食い切れるかな…)と思いながら、甘さとクルミの渋みが絶妙!日々1個ずつ、楽しんで勿体ぶってひとりで食べてしまった。

 


「私の本当の居場所はどこなんだろう?」

 …これも昔よく思っていた。自分の思い描くような両親の愛や理解を得られずに、精神的・金銭的軟禁状態で過ごしたひねくれねじくれ暗黒実家暮らしだったからね。

 でも、おばあちゃんちの記憶やDNAレベルに染みついた食の好みを自覚すると、そんなに悪いもんでも無かったのかもしれない。そんな「記憶の中の故郷」があるというだけでしあわせなことなのかもしれない。

 

 おばあちゃんが施設に入ることになって以降、もうここ数年は親戚で集まる場所も機会も無くなってしまった。それまでは盆・GW・正月と年に3回も集合していたのに…。

 これまで、おじいちゃんがそんな「場」や「歴史」を創り上げ、おばあちゃんがずっと守ってくれていたんだな…と思ったのと同時に、これからは自分で自分の場所を創ったり探したりして行かなきゃならないんだなと思ったのが30代の終わり。

 もう私たちの時代なんだ。

 そして、きっとあっという間に過ぎ去ってしまうものなのだろう。

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