13. 意外と人間、いつも死と隣り合わせだよという話。
23歳から理学療法士として病院で働いていた。
今は40越えにしてぷらぷらしている(笑)
若くして頭部外傷で四肢麻痺になってしまう方や、19歳で脳梗塞になった方。お庭の花に水をあげていたら車が突っ込んできて外傷性くも膜下出血になり、意識はあるのにあまり会話は通じない別な世界に生きてる方、仕事中ベルトコンベアーに腕を引き込まれて神経を引き抜き損傷した方、自転車でトラックに突っ込んで足の骨折った若僧(治ったのにもう1回同じことやって帰ってきた!(笑))、乳癌の治療と再発入院を繰り返している方… いろんな方が居た。
人生って本当に色々あって、残酷で、神なんかいねーんだなぁ…とか思ったり。私の命を分け与えてでも助けてあげて欲しいと願っても叶わなかったり。
でも、人は乗り越えてゆくし、割と頻繁に奇跡を起こせるものなんだ…ということも知った。(逆に、これが運命か…と思うしか無いような死を遂げる方も居た)
そんな仕事柄、20〜30代は「明日死ぬかもしれない」「後悔だけはしないように生きたい」「今しか出来ないことをしよう」と思って走り続けた。人生の前半を親に抑圧されていた、ということも原因かもしれない。
日々、人生の暗い闇に落ちて闘っている方々と向き合っていたので「"生きてるって素晴らしい!!"と心の底から伝えるには、私が誰よりも全開で人生を楽しんでなきゃならん!」という想いがあった。極端である。偏屈である(笑)。
…というか、全部顔に出ちゃうから本気でやるしかない(笑) 。思ってもないことは言えないタチなのだ。
当時は「自分なにしてるんだろう…一体何のために?」と迷子になり、どん底まで落ちる日も多かったけれど、今ようやくそれらの経験がすべて繋がって活きていることを感じる。たくさんの方々の人生が私に染み込んでいる。
「私がその方々をも生きる」そんな感覚に陥ることもあった。おこがましい話だけれど…。 人を深く知る事が出来て、自分をどんどん変えてくれた。ぶ厚くなった。恩返しの方法としてはそれしか無いんじゃないだろうか?
死を見ないで済む国
いつから死が遠くなってしまったんだろう?いつかみんな死ぬし、死をしっかり受けとめ考え、突き詰めなければ『生きること』は極められないのに…。
昭和の後期くらいかな?その頃はすでに病院で死ぬのが当たり前だった。(現在その頃より、少しは在宅死を選べる機会も増えたのかなぁ…?)
何をどこまでやったら死ぬのか、自分で対処出来る範囲の事か否かがみんな解らなくなった。
病院に行きすぎ。検査しすぎ。
でも、自分じゃ判断出来ないことが多すぎる。
どこから分断されてしまったのだろう??
ご近所付き合いが無くなり、気軽に相談出来る年上の方々(生き字引的な方)が周りに居ない。いつでも気軽に相談に乗ってくれるような医者も居ない。
「プライバシー」って勿論大事だけど、日本にその考え方は合わなかったのかもしれない。
それでいて、↑が言われ始めてからようやく「女」や「長男の嫁」は自由を得られ始めたようにも思う。近所や親戚・家族でも付き合いたくない人めっちゃ居るもんな(笑)
結局、
昔よりは選べる時代になったなと思う。女ひとりでもまっとうに生きる手段があり、呑み屋にも入れる!(笑) ほんっっとにイイ時代だ。
生き方も死に方も、医者や治療法も選べる。人とつき合ってもつき合わなくてもいいし、どこに住んでも良い。(今も場所によっては人づき合いが無いと生きてゆけない、ハブられる地域はあるだろうけど…)
世の中暗いニュースばかりだけど、身の回りだけに(なんなら自分1人だけに)フォーカスしてみることも必要だ。結構平和なもんだよ。
人間、割といつでも簡単に死ねるもんだから、どーせならやれるだけやって楽しく悔いなく生きよう!という話です(笑)
(死にたくても死ねない運命の人も結構いるっぽいけどね…それはまたの機会に書こう)
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