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市川沙央さんが、連れてきてくれた

連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」の第一回が、市川沙央さんだったのは全くの偶然だった。

4月から連載開始しようと、各文学賞の発表時期をまとめていたら、どうしても12個うまく埋まらない。

地方の小さな文学賞が初回というのもインパクトないし…。

編集長から、「無理に四月からじゃなくてもいいんじゃない? 五月なら、文學界の結果出てるし」とアドバイスをもらって、文學界から取り上げることにしたのだ。

ライターになって一年。初めての連載で、しかも自分の素性や夢を前面に出す記事。勝負どころだ…これで無風だったら…と、とてもナーバスになっていた。

発売日に文學界を手に入れ、「ハンチバック」を読んだとき、なんてこの連載にぴったりな作品だろう、私はなんて幸運なんだろうと、叫びたい気持ちになった。そこには「書くこと」「読むこと」への狂うほどの恋慕があった。

そして、市川さんのお話を伺った帰り道。

勝負の初連載ということよりも、私の名前がどうとかこうとかよりも、今聞いたことをできるだけたくさんの人に届けたいと思った。

そして、ほんとにそうなった。

告知ツイートがどんどん拡散され、ランキングが即日1位になり、版元からは「ハンチバックの予約注文が記事配信以降に急増しました」とメールをもらい、朝日新聞読書面に紹介され、ヤフーニュースに載り、noteを見てくれる人が増え……。

その後の夢野寧子さん、村雲菜月さんの記事も、アップするたびにRTしてくれる人がいた、読んでくれる人がいた。「人気連載」のカテゴリーに入れてもらえた。いろんな出版社から「あの記事、見ましたよ」と声をかけてもらった。

市川さんが、私をここに連れてきてくれた。

そして今日、保育園にお迎えに行こうとしたら、編集長からメールが来た。
「市川さん、とった!!」
お迎えはいつもより20分遅れた。
晩御飯は40分遅れた。
ごめんよ、でもいまママ、ママじゃないんだ。

市川さんのあの話を最初に聞いた、清繭子なんだ。だからどうしても、見届けたいんだ。

おめでとうございます。市川さん。

市川さんは会見で、同じ病気のお姉さんに一番に報告したいと言った。
読書のバリアフリーを訴えていく、と話していた。

市川さんはこれから、いろんな人を連れていく。
歩けない人も、読めない人も、小説家になりたい人も、連れていく。
その力を手に入れた。
市川さんが言っていたとおり、それはきっと天から授かった。

芥川賞受賞、おめでとうございます。



写真/武藤奈緒美


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