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「予言」はなぜ必要なのか

少し前から占星術界隈では

「2025年7月に日本で何か起きる可能性がある
 しかも、それはあまり良いことではなさそうだ」

という風な予言が囁かれています。

占星術では
星と星がある特定の角度を取る時に
何かインパクトを伴うと考えるので

それを読み解いたうえで
来年の7月の「予言」という形になって
伝えられているわけなのですが・・

そもそもですね
どんなにネガティブな「予言」が
なりたつとしても

わたしたちって
もはや「予言」を恐れなくてもいい時代に
生きているんじゃないだろうか…?
そんな風に私は思っていたりします。

ということで
今回は、そのあたりのことを書いていきます。

ちなみに、この記事では
2025年の具体的な予想については触れないので
それが知りたいって方は
こちらの動画を見てくださいね♪


占星術の予言の変化

私はこれまで

・予言にはどういった意味があるのか
・予言をどう受け止めればいいのか

について占星術の視点から
あまり語ってこなかったのですね。

それはなぜかというと・・

説明すればするほど
不安を煽るものにしかならない
そう思っていたからなんです。

でも、最近Youtubeのライブ配信などで
見てくださる方々の意識の進化とか
受け止め力の進化を肌で感じながら

自分なりに
もう一度「運命」とか「予言」とか
そういうものを捉え直していたんですね。

そんななかで
ようやく準備が整った感じがしたのです。

それはね
世の中にある「予言」や
占星術がおこなう未来予想が

時代の流れとともに
ちゃんと変化してきている
それを改めて自分なりに確信できたから。

まずはそのあたりを書いていこうと思います。


その昔、ルネサンス時代(16世紀頃)の占星術師は
今と違ってかなり具体的に
予言をバシバシ当てていたみたいなんです。

これはちゃんと資料が残っています。

それこそ、国王のお抱えの占星術師がいて
国王の死とか、他の国の失墜とか
時期だけではなく要因や、どんな風に死を迎えるのかまで
細かく予言して当てていました。

かの有名なノストラダムス さんとかもそうですね。

そのなかで1番有名なのは
ご存じの方も多いかもしれませんが
フランス国王のアンリ2世のエピソード

当時37歳だったアンリ2世は、占星術師から

「40歳の夏に、あなたは一騎討ち中に頭部を負傷して死にます」

と予言されました。

そして、その予言通りになってしまいます。

アンリ王は40歳の夏
祝宴の中での一騎討ちのイベントの際に
兜のバイザーの締め忘れが原因で
槍の破片が頭を貫いて亡くなりました。

予言をしたのは2人の占星術師
ガウリクスとノストラダムス

この2人がどういう風に
星を読み解いたのかについては
記録が残されているので

今の私が見ても
「なるほど、そう読みとくのも分かる」
という感じなんですね。

この一件だけじゃなくて
当時の占星術師の予言はかなり正確だった
という記録が残されてい ます。


ところが・・・

今はどうでしょうか。

今は、あまりそんな風にはなりませんよね。

単に見えてないだけ
ということもあるかもしれませんが
当時とはだいぶ違った感じになってると思います。

それはなぜなのか?

リズ・グリーン氏という
有名な占星術家・研究家がいらっしゃるのですが

予言が当たらなくなっている理由を
集合的無意識を提唱した精神科医のユング
の文を引用してこんな風に述べています。

少し難しいですが、
彼女の言葉をそのまま引用した方が
伝わる気がしたのでそのまま引用します。

Jung writes about the ‘canalisation of libido’ in Volume V of the Collected Works, and suggests that psychic energy tends to transform from instinctual compulsion to meaningful inner experience through the mediation of the symbol. In other words, psychic energy ‘introverts’ if the image which corresponds to the outer compulsion emerges within the individual and if he is able to contain that compulsion through the mediating power of the image. In the end, the compulsion may still demand actualisation.

<一部日本語訳>
ユングは(中略)象徴の媒介を通して、心的エネルギーが本能的な強制から意味のある内的経験へと変化する傾向があることを示唆している。言い換えれば、外的な衝動に対応するイメージが個人の中に現れ、イメージの媒介力によってその衝動を封じ込めることができれば、精神的なエネルギーは「内向化」する。最終的に強迫観念はまだ現実化を求めるかもしれない。

『The Astrology of Fate 』リズ・グリーン著

前後を省いているので、
これだけだとちょっと分かりにくいかもしれませんが
私なりに解釈すると

占星術が教えてくれる情報によって
私たちはうっかり現実化してしまいそうなことを
単にそのまま強迫観念によって現実化してしまうのではなく

占星術が教えてくれる情報があれば
それを心の中で処理して
現実化せずに済ませてしまうことができますよ

ということ。

たとえば

ある人が
占星術の情報(象徴の媒介)を聞かずに
道を歩いていて
こけて怪我をしたとします。

でも、あらかじめ占星術を読み解いて
「どうやら私の本能は怪我をしたがっている」
という情報を事前に知ることで
それを心の中で処理するだけで済むよ、ということ。 

つまり、占星術から
事前に読み解いた情報を
心の中で処理することができれば
現実化せずに済むということですね。

そして、これは
逆からも言えると思うんです。

起こる出来事は、その人の本能が半ば強迫的に
起こそうとしているから起きるだけのことであり

その衝動を内面で処理すれば
内面的な物語で終わるとも言えます。

そして、リズグリーン氏はこうも言ってます

 In general, the sixteenth century did not know the word ‘inner’, or the concept of ‘individuality’, let alone that of ‘individuation’ or the reality of ‘psyche’. A man was, in the most profound sense, his persona; he embodied his position in society, be it king, duke, priest, artisan or peasant. His inner being, such as it was, consisted only of what he had been taught to feel and think and believe. 

<一部日本語訳>
一般的に、16世紀は「内面」という言葉も、「個性」という概念も、ましてや「個性化」や「精神」という現実も知らなかった。(中略)王、公爵、司祭、職人、農民など、社会における自分の立場を体現していたのである。

『The Astrology of Fate 』リズ・グリーン著

その昔は「私らしく生きよう」という概念も
「内面が現実を作り出している」という情報もなく

社会的な役割に応じて、
個人は強迫的な観念から出来事を引き寄せていた
という感じでしょうか。

占星術の情報を内面でどう処理していいか分からない
というだけではなく
そもそも、そういう概念も発想もなかった。

それはつまり
内面を旅することができなかったということ。
だから外側で起こることが全てだったわけです。

自分らしさという個性を
模索して生きているのではなく
自分の役割や立場を生きていた。

それぞれの役割や立場を生きる
というストーリーの中で

その本能から強迫的に立ち上がる衝動が
そのまま現実になりやすかった
ということなんですね。

(この時代の内側の世界の住人というのは
きっと芸術家とか占い師とかだけ
だったのだろうと思います。)

だとすると、ルネサンス時期の
物事を読み解く占星術の予言は
そりゃ当てやすいし、当てはまりやすいわけですよね。

それに対し、今は様子が変わっています
リズ・グリーン氏の言葉ではこう表現されています。

But the response to planetary pressure such as Gauricus might have understood as fatal seems to vary a good deal more today than it did in the sixteenth century. 

<一部日本語訳>
惑星の圧力に対する反応は、16世紀よりも今日の方がかなり変化しているようだ。

『The Astrology of Fate 』リズ・グリーン著

現代の私たちは、今は16世紀と違って
自分の内面を客観的に観察する術があることで

自分の内面で起こることと外側の現実を
行ったり来たりするという意識状態で生きています。

そうすると
単に自分の中に湧き上がってきた衝動を
封じ込めるだけではなく

心の中で起こってる内戦を
平和に導く選択肢もあるのではないか
という見解をリズグリーンはこの本の中で述べています。

予言の捉え方

このリズ・グリーン氏の主張から
現代を生きる占星術師として
私は自分の予言の捉え方が間違ってないことを
あらためて確信したんですね。

占星術という
ホロスコープやチャートを読みとく営みは

もちろん外側で起こることを予想はできるけど
それだけに留めておいてはいけない
ということだと思うんです。

星読みで、争いや葛藤が読み解けるのであれば
それをちゃんと自分の内側に引き戻さないといけない。 

昔の人は自分の内面を
客観的に見る視点を持っていなかった。

だからこそ、
予言が現実化してしまうことが
普通だったわけです。

でも、今の私たちは
客観的に物事を見る視点を持っていて

そのうえでさらに
もう1つの視点も育みつつあります。

それは
私という存在は
世界を形作っている一員である
という集合的無意識の視点です。

この視点や意識の進化を上手く活かすことが
今を生きる私たちに託されていることだと思うんです。

じゃあ、
結局私たちは「予言」を
どのように捉えるといいのかというと

「悪い予言はそれを外すためにある」

という捉え方。

もしネガティブな予言が
なりたつのだとしても

そのネガティブな未来を
実際に現実化しているのが
私たち一人ひとりの意識なのであれば

一人ひとりの意識を
変えていくことによって

予言が表している未来を変えていくことは
十分に可能だよね、ということです。

「悪い予言は、それを外すためにある」

こう捉えることで
「予言」というものを
より生産的に活用していくことができる
と私は思っています。

予言がもたらしてくれるもの

だから
はじめに書いた通り
私たちはもはや
予言を恐れる時代に生きていない

「予言」を恐れている場合じゃないんですよね。

じゃあ、予言は無意味なのかというと
決してそうではない。

予言を知ることで
私たちは今外側で起きていることや
来るべき未来の在り方に思いを馳せて

自らの心の中で起きている
争いに目を向けることができる。

つまり
何が言いたいかというと・・

予言が私たちに
もたらしてくれるのは

「内省する機会」

ではないかなと私は思うんですね。

ちょっと地味ですが・・

あらかじめ悪い未来が
予想できるのであれば

私たち一人一人が
その予言を内側に引き当てて
意識のなかでそれを消化しようと努める
(要は「内省」です。)

それによって
ネガティブな未来を
引き起こさなくても良くなる。

そう、

予言は怖がるためにあるのではなく
自分の内面の中で処理するためにある

ってこと。

もちろんね
外側に起こってることに対して
具体的に何かしなきゃいけないことも
あると思います。

だけど
私は心のプロであり占星術師なので
「内省する」ということに予言を使いたいし

より生産的な占星術の使い方を
広めていきたいと思っているんです。

そのために大切なのは

・星が教えてくれる配置は
 私たちの集合的無意識が起こす出来事である

・占星術でいう予言は、世界で起こってることを含め
 私たち1人1人がそれを起こしている

という集合的無意識の視点だと思うんです。

そうすると
私たちにできることは
自分の心の内戦を収束させること
なんですよね。

一人ひとりの
心の中の内戦を和平に持っていく

和平条約を自分と結ぶみたいなところに持っていく
まずここを確実にしていくこと

これが今、すごく必要じゃないかなと思っています。

そして、これをみんなが世界中でやったら
世界は本当に平和になると私は思っています。

私はスターウォーズが好きなので
ついそれで例えてしまうのですが・・

スターウォーズのアナキン君が
ダースベイダーになるまでの道のりを

ダースベイダーにならずに帰ってくるみたいな。。

そんな風なことが「予言」を通して
できるってことですね。(伝わるかな・・笑)

まとめ

今回の内容をまとめると

・その昔、16世紀ころの予言はすごく正確に当たっていた
 だけど、今はそうじゃなくなっている。それは私たちの意識が進化したから。
 「悪い予言は外すためにある」という捉え方を採用するとより生産的に占星術を使える
・予言を「内省するため」に使っていくことと、
 私たち一人一人の意識が現実を起こしているという視点が大切。
 私たちにできるのは自分の心の内戦を収束させること。それが世界平和にも繋がっている

そして、
最後に付け加えておくと

予言の捉え方として

・大難を小難にするため
・備えあれば憂いなし

そういった捉え方ももちろんあると思います。

だけど、これって予言があってもなくても
大切なことだと思うんです。

私たちは過去の経験から、もう十分に実感していますよね。
本当にいつどこで地震や災害があっても
おかしくない時代を私たちは生きている。

私も阪神淡路大震災のど真ん中で被災したんです。
生きてる間にこんなことが起こるんだ!っていうのは
あの時本当に痛感しました。

だから「備えあれば憂いなし」というのは
もう予言とか占星術とかも関係なく必要なことだと思うんですね。

もしかしたら生きている間に
もう一回大きな地震が起こるかもしれない。

そのときに、誰かの力になれる自分であるために
準備ぐらいはしておいた方がいいとは思います。

でも、これと予言とは別の話なので・・・

予言があってもなくても
災害への備えは十分にしておきましょう
というのは、改めてお伝えしたいなと思います。

ということで
今回もお読みいただきありがとうございました。


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