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Vol.1 男子校出身の繭果に至るまで

現在、46歳。性同一性障害(言わるゆ性違和)のMtF(遺伝子上は♂であるが、♀で生きたい)、若い頃には、性転換手術も考えたこともあったが、

それから15年ほどが過ぎた今は、性転換手術は受けないことにした。

というよりは、そのままの、ありのままの自分で生きることを選んだ。

今からでも遅くは無いのかもしれない。

けれど、今その性転換手術費用をかけるならば、その費用を自分を磨くことにかけたほうが、より自分らしく生きれるのではないかと思った。

もちろん、他の悩める方が性転換手術を決意し、実行することは、その人が選んだ人生なので否定致しませんし、できません。

むしろ、応援したいと思っています。

よく聞かれる質問として、
いつ頃、自分の性別に違和感を感じましたか?
と聞かれます。

私の場合は、ものごころついた頃からでした。
当時は今と違って「男女2択」しか選択肢が無かったので、違和感を持ちながらも「男」として生きてました。

身の回りに同じような悩みを持つ人はそれまで居なかったため、私だけ「普通じゃないんだ」と半ば諦めていた。

そんな中、インターネットが普及し、様々な情報が得られるようになり、私は自分の感覚がどうなっているのか?を調べることに没頭していました。

ちょうどその頃、テレビで「はるな愛さん」をよく見かけるようになり、生い立ちなどを聞いた際、「はっ!」と気がついたのです。

私と同じような人がいた!と。

当日、27歳くらいになっていたでしょうか。
この頃から女として生きることへの願望は強くなりましたが、どこからどう始めたらいいのかわからずにいました。

ただ1つ、心のなかでは、
女性物の服を着る。メイクをする。というのは、一番最後にしようと確信していました。

それは「私は女装がしたいのではない」という強い思いがあったからかもしれません。

生まれながらの女性って、
スッピンでも、寝起きのパジャマ姿のような格好をしていても女性だからです。

そんな事を思い悩みながら、男性サラリーマンとしていましたが、

自分の生き方と、性別について悩んでいる中、仕事のことも重なり、最初にうつ病になった訳ですが、多くの考える時間もあり、私は女で生きることを決意しました。

ココが私の人生の転換点となりました。

続く…。

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