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今を生きて未来が描けない私と未来を見て今を我慢する夫の夫婦関係

私たち夫婦は、年末年始だったり、ふとした時に未来のビジョンを語り合うことが好きだった。先日も、キャンプで焚き火を囲み、子供達がテントでまったりし始めた時に会話が始まった。
「ねー、あなたは10年後にどうなっていたい?」という私からの問いに彼は即答した。
「僕は大学の先生になりたい。北海道で家族でゆっくり暮らしたいなぁ。」

私は彼が5、6年前から大学に戻るという選択肢を自分のキャリアに入れ始めたのを知ってるし、ちょうどコロナになる直前に受験して古巣の大学で社会人博士課程を取得していた。余談だが、めちゃくちゃ忙しいし子育てもあったなか、彼は一歩を踏み出して毎月通う!と関西の大学を受験した。運良くコロナになり、すべてがオンライン授業になりかつ彼の仕事も金曜がお休みになったのですごく良いタイミングだったといえる。

「そうだよねー、ずっと頑張ってるもんね。そういえばさー、なんで先生になりたいの?研究好きなの?」と私が聞くと
「研究が好きというよりは、子供たちや家族ともっと一緒にいたいからかな。」とのことだった。

私はその答えに少し驚きとともに違和感を感じた。

惚気に聞こえるかもしれないが、彼は出会った頃から優秀な人で、ロジカルだし、礼儀正しさもあり、上司にも好かれる人だった。そして事実出世して行ってた。そして、彼の思いとはうらはらにマネジメントとして求められることが増え、帰りも遅くなって行った。次男出産の際には、仕事で立ち会えなかった。そのときの恨みがいまも消えないのはまた別の機会に。
彼の申し訳ない思いも感じながら、言葉だけで変わらない彼を受け入れ、彼は彼の人生を生きているんだろうなと思ってた。

そこへ今回の言葉をうけて
「10年後!?おい、なにゆってんねん、おそすぎやろー!!!!」
思わず口から出そうになった暴言を、ぐっと飲み込む。

ふーと一息ついて、冷静をつとめて言葉を紡いだ。

「10年後にあなたの時間が空いても、子供たちは立派な大人で自律してるし、私もいないかもね、はは。」
笑いが渇いた。


未来を描く夫と今を生きる私の違い


考えてみると夫婦の中での価値観の違いがあるんだろうなと思った。私が日々の生活の中での変化を重視する中、彼は未来を強く意識しているように感じた。
私は、結婚や子供の誕生といったライフイベントを経て、自分の生き方を柔軟に変えてきた。自分のあるべきに固執せずに、どうやったら子供と家族の幸せのバランスが取れるか、環境を変えてきた。そのために住む場所も千葉→東京→茨城と変えたし、仕事もコンサル→リサーチャー→フリーランスと変えてきた。今の自分の環境や限界を受け入れながら、その中で最善を尽くすことをやってきた。一方、夫はキャリアを一貫して追い求め、少しずつ未来にむけて方向転換をしながらその道を歩み続けてきているように見えた。またまた余談だが、仕事がら人事やらなにやで人生のキャリアグラフを描いてもらうことがあるが、決まってワーママの転機は出産などのイベントなのに、男性の転機で出産を挙げる人はほとんど見たことがない。これが痛いほどに私が感じたジェンダー格差の事実だ。

ちょうど昨日読んだnoteが面白かった。過去と今を繋げる人と、未来を見る人。いろんな思考をもった人がいる。

私は今を生きてるから未来を描くというよりも今この状況から脱するために毎日変化し続けている人だし、彼は未来を描きながら少しずつアジャストしてって今を我慢している人。
私たちは価値観が違うね、と突き放し、距離をおくのではなく、あなたはそんな価値観なのねと受け入れ、互いの違いを尊重し、繋げていくのがいいんだろうな。

私の場合、いろんな制限があるからこそ未来を描くよりも今の制限のある中で変えられるパラメーターはなんだろうと動いてきている。でも、一旦制限は横において、あなたは何がしたいの?と自分に問い続け、未来を少しでもゆめめるのが大事。一方、彼は、未来を描いてバックキャストして今を生きる時に、自分の変えられないことの範囲はほんと?と問い続けるのが大事なんじゃないかな。

過去と今と未来は全て繋がってる。
木も見て森も見る。
過去を今が幸せなように解釈して、未来を描き今の自分を本当の願いにストレッチさせていく。

私たち夫婦の、デコボコしてるこの価値観の違いは、一見すると摩擦の原因にもなりえるけれど、実はピタッとはまるパズルのピースのように、その違いを通じてお互いを深く理解し、共に生き豊かな未来を築く鍵となるのだと思う。そのために私たちは対話し続ける。

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