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東京お散歩日記#3(上井草②)

お散歩日記(上井草②ちひろ美術館東京)

・・・1月○日 晴れ ・・・
❀前頁(上井草①街のコーヒー屋 SLOPE)からの続きです。

世界初の絵本美術館だというちひろ美術館東京は、いわさきちひろの自宅兼アトリエ跡に建てられている。けやきの木が目印の邸宅のようなその美術館は二階建てで、高さがないので、近隣の住宅にもうまく溶け込んでいる。

入ってすぐのところにある受付でチケット(石内都展 ~都とちひろ ふたりの女の物語~)を購入し、作品リストを受け取る。美術館のわりにここの天井はあまり高くないけれど、狭さを感じないのはたぶん、窓からの採光がよく、木調で明るく、穏やかな雰囲気があるからなのかもしれない。

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まず二階にあがり、展示室2のなかに入る(いつも順番を無視して2から見てしまう)。ここには写真家の石内都さんの『Mother’s』より出展された作品(石内都さんの母親(藤倉都[享年84/2000年])の亡くなる直前の身体や、遺品となった肌着や口紅等を撮ったモノクロ写真やカラー写真)が展示されている。

見たとたん、息をのむ。
繊細なレースのシミーズやガードル、使いかけの口紅が妙に生々しく、母である以前に一人の女性であったことを沈黙のなかで語っている。それらは他界されている人の物のはずなのに、写真におさめることで逆に、「生」を感じてしまう。静謐な小さな部屋はそれら写真から発せられる強さにも似た静かなエネルギーで満ちていて、なぜだろう、圧倒されたせいか、あまり長くはいられなかった。

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階下に降りてきて、次に展示室1に入る。
ここにはいわさきちひろ[享年55/1974年]が生前、身に着けていたワンピースや帽子などの遺品を撮影した『1974.chihiro』の作品が展示されている。写真家は同じく石内都さんだ。

同じ「遺品」という被写体なのに、こちらはまた雰囲気ががらりと変わる。
ちひろの遺品はすべてカラーなので印象が違うのもあるだろうし、そもそも違う人間の持ち物なので雰囲気が変わるのは当然なのかもしれないけれど、それ以前に、展示室内の空気感がさっきとは違う。

さきほど見た『Mother’s』は、亡くなって間もない母親の遺品を撮影したものだからか、喪失や個人的感情が少なからずそこに含まれているのを感じる一方、『1974.chihiro』に関しては、喪失といったものよりもむしろ、光やきらめきのようなものを感じてしまう。

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ちひろの遺品である洋服や小物はどれも少女的で愛らしく、彼女がおしゃれに興味のある人だったことが自然と窺える。また石内都さんが撮ることにより、それらは写真のなかで確実に輝きを増しているようにも思う。

たとえばそこに写しだされていたのは、少女らしい花柄の紺色のワンピース、ビーズをあしらった生成り色のセーター、くるみボタンが愛らしい桜色のブラウス、美しい練色の光沢感ある手袋、あざやかな赤い花模様の刺繍のスーツ、うすいエメラルドグリーンのネグリジェ、リボンを巻いた麦わら帽子―。

それらが持つ優しい色合いや彩りは、ちひろが描く絵の色合いや彩りそのものだった。そしてどの写真も透明感があり、光の粒子をまとっているようで美しい。

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『Mother’s』にしても、『1974.chihiro』にしても、石内都さんの作品として生みだされると、「亡くなった人」の衣服ではなく、「生きていた人」の衣服として意味合いが変わるように思う。あるいは、今現在も「生きている人」の衣服のようにさえ感じる瞬間もあった。

写真って不思議だなあと改めて思う。
以前、ちひろ美術館に訪れたときにショーケース内で展示されていた洋服(実物)が、今回、写真のなかにおさめられていたのだけれど、不思議とその実物を間近で見たときよりも、写真のなかの洋服を見たときの方が胸にぐっときた。

また写真のなかの遺品を見ていると、物には色んなものが付着していることにも気がつかされる。その人の想いだとか、記憶だとか、その人自身が持つ特有のエネルギーみたいなものだとか―。持ち主がそこにいないだけに、生前の姿をより想像し、勝手に物語を思い描いてしまうからこそ、胸に迫るものもあるのかもしれない。

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これまで自分がこの場所で見てきた展示はいつも絵画が中心だったので、今回はこれまでとは違ったちひろ美術館に訪れたように感じた。

しばらく展示室で鑑賞したのち部屋をでると、すぐ右手にある「ちひろの庭」が目に入った。そこには、ちひろが愛し育てた草花や樹木が植えられていて、今は咲いている花は少ないけれど、その小さな庭に、幼い女の子と母親が楽しそうに植物の観察をしている姿があった。そのままちひろの絵になりそうな光景で、この美術館にいると、こうした温かみある光景をよく目にする。

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そういえばちひろ美術館は、子供たちが人生ではじめて訪れる美術館=ファーストミュージアムとして親しまれるよう、館内設備を整えているらしい。絵の高さを子供の目線に合わせていたり、子供用のカフェメニューを用意していたり、「こどものへや」なるものがあったり、絵本をとりそろえた図書室があったりと、要は子供が訪れやすい環境を整えている。

だからだろうか、今日も小さな子供を連れた人やベビーカーを押している人たちを多く見かける。彼ら子供たちはでも、ちひろの絵を見てどう感じるのだろうか。

私自身は、小さい頃からちひろの絵を知ってはいたけれど、当時はあまり惹かれず、大人になってはじめて、その良さや魅力を感じるようになった。
にじみが特徴の優しい水彩の絵から癒しを感じたり、ちひろ自身の優しい眼差しを感じたり。単純に微笑ましく思うこともあれば、その絵に慰められるようなこともあった。

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一階の渡り廊下を渡ったその先には、そんなちひろの優しい水彩の絵画が展示されてあり、そしてかつてちひろが過ごしたアトリエが復元されている。画机には絵筆等の画材があって、本棚には色褪せた本がずらりと並んでいて、べつの棚には小さな民芸品のような置物もたくさん置かれてあって、今にも作業が始まりそうな雰囲気が見ていて楽しい。

そして床続きにそのまま展示室3に入ると、人物の素描の展示がある。そこにあるのは柔らかい鉛筆線ではなく、力強い線で描かれたデッサンの数々で、こうした日々の修練や観察があるからこそ、ちひろの優しい水彩の絵が生まれたのだろう。

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最後に展示室4に入る。
ここでは空間にたっぷり余白を残しながら、藤倉都といわさきちひろ、それぞれの年譜と生前の写真等が展示されてあった。

同じ時代を生きてきたこの二歳しか年齢の違わない二人は、不思議と共通点が多かったという。満州での結婚と別れ、年下の男性との再婚、女性が仕事を持つことが珍しい時代に職種は違えど手に職を持ちながら家族を支えたこと(都はドライバー、ちひろは画家)。

当時まったく接点のなかった二人が時間を経た今、こうして交わる機会に立ち会えていることは、他人の自分にとっても、なんだか不思議で貴重な経験のように思えてくる。

そういえば、この展覧会のタイトルは「都とちひろ ふたりの女の物語」だけれど、この都というのは写真家の石内都さん*ではなく、その母の藤倉都をさしていることにふと気づく。つまり娘の都さんの写真を通して二人の女が出会い、彼女らの物語をわたしたちが垣間見ていることになるのだろう。
          *石内都さんは母の旧姓名を自身の作家名としている

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すべての展示室での鑑賞を終えて、一息つこうと併設の絵本カフェでりんごのアイスティーを注文して席につく。

通路に面して並ぶ丸テーブルには小さなお花が飾られてあり、どの席からもガラス越しに中庭を眺めることができる。青空のした、茶色く枯れた芝生のうえには仔馬と子供の彫刻が飾られてあり、以前、青々とした芝生の季節に訪れたときには、父親に付き添われた小さな子供が楽しそうにその仔馬の背に乗っている姿を見かけたことがあった。

静けさのなか、すっきりした甘さのりんごのアイスティーを飲みながらくつろいでいると、「この展覧会は今月で終わりですか?」と言っている声がした。見ると、年配の男性客が受付カウンターにいるスタッフに尋ねていて、そうです次回は三月になります、といった回答を得た男性は「では、また次回も来ないといけないですねえ」と嬉しそうに話してから美術館を出ていった。展覧会の内容が変わるたびにここへ訪れることを楽しみにしている人はきっと多くいるのだろう。

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しばらくゆっくり過ごしたあとは、ミュージアムショップに立ち寄った。
ここではポストカードやメモ帳、マグカップなどのグッズがたくさん売られているのだけれど、なかでも個人的に好きなのは「りんごの天使」という長野県松本市にある開運堂が作っている小さなアップルパイだ。しっとりめのパイのなかには煮詰めたりんごがたっぷり詰まっていて、甘酸っぱくてとてもおいしいのだ。

また食べたいなあと思って立ち寄ったものの、その日は品切れ中とのことでがっかり肩を落とし、じゃあ、と気になるポストカードを数枚だけ購入して美術館をあとにした。(あとで開運堂のHPをみたら「りんごの天使」は3月~11月にかけての期間限定販売商品とのことでした)

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今回の展覧会ではあまりちひろの絵画を見ることは出来なかったけれど、石内都さんの写真を通していわさきちひろ自身のことをべつの視点から知ることができたように思う。そしてちひろ美術館を訪れたあとは決まっていつもそうなるように、気持ちがちょっと柔らかくなった。優しさに触れたようで、心がふんわり和むのだ。

胸にささやかな余韻を残しながら、駅の方を目指し歩いた。
静かな道には人もいないし、車も少ない。
穏やかな時間の流れるこの街で、ちひろのたくさんの作品が生まれたのだなあと思いながら、まだ柔らかい日が残るなか、ゆっくりとした歩調で歩いてみたら、なんだかとても心地よかった。

※「石内都展」は1/31で終了しています
※ちひろ美術館東京は、2/1~2/29までは冬季休館とのこと

◇◇◇ 今日のお散歩写真② ◇◇◇

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石内都展「都とちひろ~ふたりの女の物語~」*1月31日で終了

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静かなエントランス

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受付でかわいらしいチケットと作品リストを受け取る

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今回のチラシ 
展示室内は撮影禁止なので、目と胸に焼き付ける

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ちひろの庭 今はお花がちらほら咲く程度

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鑑賞後は絵本カフェでひと休み ここでは絵本も読める

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りんごのアイスティーは二層になっているのでよく混ぜてから

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ちひろの絵画はカフェにも飾ってある

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中庭には仔馬と少年の彫刻「ポニーとリトルジョー」がいる

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購入したポストカード

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なんとなく優しい気持ちになって美術館をあとにする

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来た道を戻る ひとけもなくて、とてものどか

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空はまだまだ気持ちのよい青空でした

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お読みいただきありがとうございます。