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創作怪談 『湖の声』

 大学生の遥は、長期休暇を利用し、母の田舎の祖母の家を訪れた。祖母の家は湖のほとりにあり、自然豊かで静かで美しい場所だった。大学での講義やバイトで疲れた心身のリフレッシュには最適の場所だ。

 到着した日、祖母は遥に一つの注意を促した。
「夜遅くに湖の近くに行ってはいけないよ」と言うのだ。そういえば、子どもの頃来た時もそんなこと言われたな……
そう思い、その理由を尋ねると、祖母は少し困ったような表情を見せ
「昔からの言い伝えなんだよ」とだけ答えた。

 次の日の夜、好奇心に駆られた遥は祖母の忠告を無視して湖のほとりへと足を運んだ。
月明かりに照らされた湖面は静かで美しく、ゆったりと心地よい風が吹いている。
その穏やかな光景に心が癒された。
遥は湖畔に座り込み、静かな時間を楽しんでいた。      しばらくすると風が止み、周囲の音が消えたかのような静寂が訪れた。
遥は不思議に思いながらも、その場に留まっていたが、突然、湖の方からささやき声が聞こえてきた。

「助けて…」

  か細く小さな声、普段だったら聴き逃しているだろう声、しかし確かに彼女の耳に届いた。
遥は驚きと恐怖を感じながらも、声の主を確かめようと湖の方を見つめる。
湖面には何も見えないが、ささやき声は聞こえてくる。

「助けて…」

遥は恐る恐る湖に近づいたが、何も見つからなかった。
彼女は一度引き返そうとしたが、三度、声がした。

「助けて…」

  その声に誘われるように、遥は再び湖に近づき、地面に膝をつけ、水面に手を触れようとする。
その瞬間、背後から誰かに肩を掴まれた。
振り返ると、そこには祖母が立っていた。祖母の顔は青ざめ、厳しい表情で彼女を見つめていた。

「遥……帰るよ……」

祖母は穏やかに言ったが、その顔は今までにないぐらい怖い表情をしていた。
引きずられるようにして家に戻る途中、遥の心臓は恐怖と興奮でドクドクと激しく鼓動していた。
家に戻ると、祖母は重い口調で話し始めた。

「昔、この湖で多くの人が亡くなったんだ。命を落とした人々の魂が、今でも湖に取り憑いていると言われている。彼らは生きている人間を引き込もうとするんだよ」

その話を聞いた遥は、全身に鳥肌が立つのを感じた。とてつもない恐怖が込み上げてきた。
祖母の話を完全に信じたからという訳では無い。

  なぜなら遥は泳げない……正確には泳げなくなった。
友人が水難事故で亡くなった。
海水浴での出来事だったのだが、その場には遥もいて、友人の死を目の当たりにした。
その日から、どうしても水辺に近寄るのが怖くなってしまった。
海はもちろん、川やプールでさえ行けなくなってしまった。
友人の事故以来、この家に来ることを避けていた。   

そんな遥が、自ら湖の近くへ向かい、手を伸ばし、その水面に触れようとしていた。

遥は体の震えが止まらなくなった。

祖母は、ただ、抱きしめながら背中を優しく撫でてくれた。

  それ以来、祖母の家を離れた後も時折、寝静まった夜に窓の外から、かすかなささやき声が聞こえてくるような気がして、背筋が凍るような思いに駆られる。

「助けて…」

その声は、遥の耳にこびりついて離れなかった。湖の静けさの中に潜む何かが、今でも彼女を呼び続けている。

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