私の居場所を作ってくれた、ばぁちゃんとの話

私の勤める社内の中で、異動があった。
私は介護職になり、2年半。社内敷地内の、通所型施設から入居型施設へ異動だった。
敷地内といっても仕事内容が違う為、スタッフ同士あまり交流が無く、アウェイな場所へ行く不安が募っていた。
私が異動して程なくして、部屋に空きが出て、新しい入居者の、ばぁちゃんが入ってきた。
人見知りもあり、なかなか職場内の人間関係にも馴染めず、一週間泣きながら働いていた私。

新しい入居者のばぁちゃんは、認知症を患っていたのだが、気分の浮き沈みが激しくて、怒ると手も足も出る、なかなかのバイオレンスばぁちゃんだった。
でも、このばぁちゃんの事を、私は大好きで、激しく人に怒りをぶちまけるが、その分、凄く優しさに溢れた人だった。よく私達を、自分が寝る布団の中に入れてくれた。
『寒くないかい?風邪引くんじゃないよ』

対応は基本的にマンツーマン対応になる事も多かった。怒りや悲しみの感情が爆発すると、怒鳴ったり手を上げたりがあったから。
他の施設に入っていたら、過剰な薬でコントロールされちゃっていたんじゃないか?と思う。
不思議と他の利用者さんに手を出す事は無くて、手を出すのは決まって私達スタッフに。
でもそれは、ちゃんと理解しているということ。
ここにはお年寄りが多い場所なんだと、ちゃんと分かっているという事。
夜勤もしていたので、このばぁちゃんとの関係は、少しずつ確実に信頼関係に変わっていった。
孫とばぁちゃんの喧嘩みたいに、激しく罵り合う事だってあった。
認知症と言えども人間だから。人を傷付けていい理由にならない。
そもそも、私に怒りたくて怒っているんじゃない。
今までの人生の中で、怒りたくても怒れなかった時間がたくさんあって、死ぬ前にそれを分かって欲しくて怒っているのだ。
認知症は、キッカケに過ぎず、人間は死ぬまでに、やり残した事や思い残した感情をこの世に置いて、一生を終えていく。
介護の仕事で看取りを経験して学んだ事だ。

ある日、ばぁちゃんとドライブへ行った。
怒りが収まらず、車を出して公園へ行った。
健脚な人だったので、歩いて歩いて、エネルギーを消費する。
その帰り道、渋滞にハマった。
ああ、やってしまった。トイレに行くのが遅くなってしまう。
ばぁちゃん大丈夫かな。。。
近くのコンビニでトイレに寄ったが、間に合わず、ズボンが汚れてしまった。

濡れたズボンは不快に決まっている。
また、ひと波乱あるな。
私は、そう覚悟して、車に戻り、ばぁちゃんに謝った。顔が怒っていたからだ。
日々のケアの疲れが、どっと来た。
上手くいかない人間関係、馴染めない環境。
ばぁちゃんとの対応に、身体は限界に来ていた。

また怒り狂うだろうな。ああ、疲れてる。私疲れてるんだ。泣きそうだ。どうしよう。とにかく謝ろう。

『たかさん、申し訳ないです。私がタイミングを見れなくて、ズボンが汚れちゃった。ゴメンネ。ホントにごめんなさい!すぐ家に戻るからね!私がいけないの。私の事、煮るなり焼くなり好きにして下さい。』

と、謝る私に、ばぁちゃんは言った。

「アンタが謝る事じゃないんだよ。子供産むとね、色々緩むんだよ。仕方ないさ。みんなそうなるんだよ。嫌んなっちゃうよ〜!あはははは。運転に気を付けて帰ろうよ〜。アンタが悪いんじゃないんだよ」

え?!笑ってる?

水が冷たい!と場面が変わり怒り、醤油がカラい!と場面が変わり怒り、ちょっとした変化で気持ちが切り替わり今までだったら怒り狂っていた場面で、笑って私を慰めてくれている。

ゴメンネゴメンネ、と謝る私に、頭を撫でてくれ、ニコニコしながら施設へ戻り、風呂に入って穏やかに就寝。

いつもなら大暴れするシーンで、追い詰められていた私の気持ちや心を見抜き、優しく接してくれた、ばぁちゃん。
スタッフの皆も驚きを隠せず、よく無事に帰ってきたね、オツカレサマ!と声を掛けてくれた。

この時を境に、このばぁちゃんと私は一気に距離が縮まり、何でも言い合える様になった。
この時を境に、職場内に私の居場所が出来た。

それまで私は、「してあげる」のが介護だと思っていた。
が、違った。
介護って、支え合う事なんだ。今まで何をしてきたんだろう。誰の目を気にしていたんだろう。
支え合う事の意味を、ばぁちゃんとの出来事で教わった。
入居して2年くらいかな。ばぁちゃんは施設の自分の部屋で、背中が痛い、と言っていた2〜3日後、亡くなった。
病気だった。

後に、娘さんからメールを頂いた。
『お母さんは自分を出し切って亡くなりました。お母さんはダイゴさんに会う為に、そちらに入居したのだと私は感じています。本当に御世話になりました。ありがとうございました。お母さんもきっと、ダイゴさんに感謝しています。』

感情が激しく、笑ったかと思えば怒り始める、と思えば泣き始める。認知症の症状なのかもしれないけれど、私は性格もあったと思っている。
そのばぁちゃんの事があって、その職場で8年働いた。
あの時、ばぁちゃんに出会えてなかったら、もっと早く心が折れていただろう。
してあげる、という傲慢な介護を続けていたかもしれない。
ケアをする人間として、大事な事を、このばぁちゃんに教わった。
あのドライブの時の、あの優しさに出会えたから、私は今も、介護の仕事に誇りを持っている。

お空から見てくれているかな。
あの世で聞いてもらいたい話が沢山あるよ。
いつかまた出会えたら、また私の頭を撫で撫でして、よく頑張ったねって褒めてね。

優しさを、ありがとう。
人生の先輩は偉大だ。

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