涙を贈る
「子どものころ、自分の部屋に閉じこもってよく泣いた。
不思議と大泣きした後、心は晴れていた。
いつからだろう?ちゃんと泣かなくなったのは。
ちゃんと泣かないのは
ちゃんとおこっていないから。
ちゃんとくやしがっていないから。
ちゃんと笑っていないから。
ちゃんと感動していないから。
ちゃんと愛していないから。
日々の暮らしの中で
面倒臭くなっている大切なことー
思い出すため、涙の粒をつくりました。」
辻和美さんのインスタレーション「居心地の良い部屋」を本で目にした時から、
金沢を訪れた際には、factory zoomerでこのガラスの涙を手にしてみたいと思っていた。
そして、20歳の時、私は一粒の涙を購入した。
そのとき、直感的に「私に家族ができたら、一人にひとつ、この涙の粒を贈ろう」と心に決めた。
なぜだかわからないけれど、冒頭に載せた、辻さんの言葉を読み、そう決めたのだと思う。
自分の感情は自分にしかわからない。
どんなに愛している家族だとしても、その悲しみや、怒りや、不安や感動を完全に共有することはできない。
そんなとき、この一粒の涙に、自分の感情をうつして、自分の心と向き合い、少しでも心静まる時間をつくれたら…
まだ、結婚すら想像もつかない時分に、そんな祈るような気持ちになったのをはっきりと覚えている。
一年後、学芸員資格を取得するために受講していた大学での講義の途中、講師として教壇に立っていたクレマチスの丘の学芸員の先生が、ポケットから見覚えのあるガラスのかたまりを取り出した。
「手軽に求められるアートピース」として紹介されたそれは、まさしく私が金沢で手に入れた、ガラスの涙と同じ代物だった。
私は、アートピースを購入したんだ!
その時はじめて気がついて、高揚した。
私が生まれてはじめて、自分のお金で手に入れたアートピース。
そらから10年が経ち、私は自分との約束を果たすため、金沢を訪れた。
当時、たくさんの中から選ばせてもらったガラスの涙は、もう4つしか残っていなかった。
その中から、2つ、彼らの涙を選ぶ。
夫と、まもなく私たちの元へやって来る我が子へ。
私が息子に贈るはじめてのアートピースだ。
私は自分の子どもには、花の美しさや、人を愛することの喜びといった、楽しいことばかりではなく、多くの失敗や裏切りを経験して、傷つくことを恐れず、それを含めての人生の機微を味わってほしいと願っている。
このガラスの涙があれば、感動や嬉し涙ばかりではなく、存分に悲しみや、憤りや、悔しさや、不安や、時には、憎しみや、絶望の涙を流し味わってほしいと
安心して思えるだろう。
こうして私たちは、
ようやく、家族になれた気がした。
麻佑子
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