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小澤征爾著『ボクの音楽武者修行』を再読した(ネタバレあり)

今年2月6日に亡くなった、世界的な指揮者・小澤征爾さん。
私も大好きな指揮者だったので、本当に悲しい。

高校時代吹奏楽部だった私は、既にマエストロ小澤のファンで、リムスキー=コルサコフ作曲、マエストロ指揮・ボストン交響楽団の『シェヘラザード』をよく聴いた。

その頃、マエストロ著『ボクの音楽武者修行』という本を手に取った。
私が読んだものは1980年新潮文庫から出た文庫本だったが、単行本は1962年音楽之友社より出ている。もう60年も前だ。

1959〜61年にかけて、マエストロはヨーロッパに留学している。
マエストロ24、5歳の頃だ。
お金をかき集め、スクーターを手に入れ、ギターを背負って、知り合いの伝手で貨物船に乗り込んでの留学だった。
そこからのヨーロッパやアメリカでの「武者修行」を、瑞々しく踊る言葉で表現している。

これを初めて読んだ高校時代、マエストロのあまりの天才ぶりや、日本とは全く異なる戦後間もない文化、そして20代前半にして目が眩むような華麗な人脈に、自分とは異次元な天上人の体験談だと感じながら、しかし本当に楽しく読んだ。
特にマエストロの音楽観はとても興味深く勉強になった。

当時私から『ボクの音楽武者修行』を勧められたという後輩(音大を出てヨーロッパ留学後、音楽教師になっている)曰く、「これは読むべき。是非読んでほしい。いろいろありすぎて、とにかく読んで!」と私は言ったらしい(笑)。
(こういう懐かしいことを語れるのは、若かりし頃にこの本を読んでいたから成立するのであって、やはり若いうちにたくさん本を読むべきだと思う)

再読してみるとかなり内容を忘れていて、新鮮な気持ちで読むことができた。
同じく音楽をやっていると言うだけでもおこがましい田舎の高校生が、新進気鋭のお兄さんの煌びやかな文章を読んでからン十年経って(当時はすでにマエストロだった)、小澤青年よりン十歳年上の大人目線で読むと、この才能溢れる青年の行動は、まことに痛快そのものだ。

ヨーロッパに行くと決めて入るものの、具体的にどこの学校に入るか決めている風が全然ない。
そして、ヨーロッパに着いてから棲家を探したりしていて、今よりもずっと海外に行くことが難しかった時代に「何てことするんだ」とこっちが心配になるのであるが、小澤青年は飄々としている風なのだ。
「いや待てよ、ちゃんと段取りを踏んでから行く方が堅苦しいのではないか」と、脳内がバグる感じだ。

歴史あるブサンソン音楽祭での指揮者コンクール(ブザンソン国際指揮者コンクール)で優勝するのだが、何か労せず優勝しているように思わせられる。
いや、決してそういうことはないだろうし、だいいち、桐朋学園では師匠である斉藤秀雄氏からこれでもかってくらい厳しい指導を受けているはずだし、スコアの勉強をハチャメチャにしているのも確かに垣間見られる。
だがこの本では、小澤青年は実にサラッとそこいらへんを語っている。
ブサンソンは、指揮者への道を歩み始めるスタートラインだと認識しているからなのだろう。
事実、この「武者修行」期間は、そこからの出来事の方が膨大なわけだし。

(余談だが、斎藤秀雄氏のお弟子さんのチェロ奏者が語っているのをTVで見たことがあるのだが、基礎練習でピッチが少しでも狂っていると、1時間説教されたそうだ)

日常でもどこか飄々としていて明るく、ピアノ断念にまで至った、有名なラグビーでの指の骨折のことを出てくるのだが、ちょっとケガしたぐらいにしか書いていなくて、笑った。
それに、日本から持ち込んだスクーター(と言っても125ccぐらいはある)をヨーロッパで乗るのに、「日本の免許で許してもらった」とか書いてある。
さらに、自動車運転免許も「オレは日本の免許証は持っているから、なんとか簡単にフランスの免許証がもらえるようにはからってくれ」とか自動車学校で頼んでみたり、「免許証の代わりに、学生証か米の通帳の古いものでも見せればいい。写真と何か日本語が書いてあれば、どんな物でも大日本国自動車免許証になる。国際語でない日本語の利点だ」などと、今だととんでもないことを言っていて、おおらかだったんだなーと思う。
もちろん小澤青年、ちゃんと試験にパスして運転免許証をもらっているので、ジョークの類ということで、ご心配なく。

ヨーロッパに渡る前も、そしてフランス、ドイツ、アメリカでも、小澤青年は実に多くの人々の助けを得ている。
ミンシュ、カラヤン、バーンスタインという小澤青年の一流すぎる師匠たちはもちろんだが、前妻でピアノスト・音楽プロデューサーの江戸京子さん(奇しくもマエストロが亡くなった2週間前の1/23にお亡くなりになられている)、堂本尚郎画伯、声楽家で女優の田中路子さん、古垣駐仏大使、広中平祐氏など、華麗なる人々から日本食をご馳走になったり、いろんな手配を手伝ってもらったり、別荘に招待されたり、羨ましい限りだ。
小澤青年は渡欧前の学生時代も多くの仲間がいたようだし、仲間や知人を大切にする人なのだろうと思えたし、何より小澤青年自身が人懐っこく、陽キャなのがいいのだと思う。

仲間や知人だけでなく、家族もとても大切にしていた。
それは、時々挟み込まれる家族への書簡でよくわかる。

「開作おやじさん、さくらおふくろさん、上の兄さん、下の兄さん(ミュージシャンの小沢健二さんの父)、ポン(弟をそう呼んでいる)」などと呼びかけて、旅のこと、暮らしのことなどを手紙にしたため、写真を同封している。
そして「手紙をくれ」と、小澤青年の方からも催促している。
時にはお父様に『おやじさんも無理をせず、ゆっくり温泉へでも行って、帰りには馬の突っ走るのを見て財布をはたいて来たらいいでしょう』などというメッセージも送っている。
(競馬を「馬の突っ走るの」と表現している人、初めて見た)

この家族の絆の深さはなぜなのかは、テレビマンユニオン初代社長であった萩元晴彦さんが解説の中で書いているので、読んでみてほしい。

そして、もちろん随所に小澤青年の、音楽に対する観念が散りばめられている。

例えば、ヨーロッパの古い教会でのクリスマス体験で、とでも貴重な音楽的経験をしている。
「お世辞にもうまいとは言えない」(本文より)素人の村人たちの混成合唱団が、ヘンデルのミサ曲全曲を歌った際、村人はキリスト様の生誕を心から祝福するために真面目に聞いているのを見て、小澤青年はこんな感想を述べている。

ぼくはその時、新しい音楽の意味を感じた。それは、いってみれば神様のためにだけある音楽ーーそのためならば、たとえどんな演奏でも、ヘンデルは限りなく美しいということだ。神様に感謝する気持ちがヘンデルを弾かせているのであって、問題は音楽する人たちの心にあり、技術の上手下手ではない。その心が人をうつのだ。そういう意味での音楽の使われ方、そういう意味での音楽の価値をぼくはその時初めて知った。純粋という点ではこれほど純粋なものはないような気がする。

『棒ふりコンクール』p100より

新しい音楽の価値観を目の当たりにしたことは、その後の小澤青年への音楽観に多大な影響を与えたのだろう。

一方、日本の音楽家の置かれた環境には、こんな言葉を残している。

外国の音楽会を見て回り、いま、日本に戻ってみると、日本の音楽会について気になることがある。それは、欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいいということだ。それ以外のことを何も心配する必要がない。ところが日本では、対人的な感情、派閥、こねーーこれらのことを無視しては世には出られないということである。それだけ日本が貧乏国であり、音楽のマーケットが狭く、音楽ファンが少ないからだということも言える。

『日本へ帰って』p225より

日本の音楽家が、しがらみだらけで音楽に集中できないことに対する嘆きだ。
当時の言葉の使い方でもあるのでいささかキツい言い回しもあるが、音楽家(ここではクラシックの音楽家を指していると思う)を取り巻く環境は、改善されているのだろうか……

また、後輩である桐朋学園の学生たちに対してなかなかに厳しいことも書いており、それは音楽や後輩を愛する故の、心からの言葉なんだろうと思った。
あえてここには引用しないので、興味がある方は読んでみてほしい。

その他にも、引用しきれないほどの音楽観、指揮者やピアニスト評が書かれていて、音楽、特にクラシックをやっている人はぜひ読んでほしい。
いやはや高校時代の私の感想「これは読むべき。是非読んでほしい。いろいろありすぎて、とにかく読んで!」は正しいと思う(笑)。

そして本編の最後に、小澤青年はこんな言葉を残している。
……いや、引用するのはやめておこう。
読み進めた人だけが、この言葉を感じてほしいから。
小澤青年がマエストロ小澤となっても、ずっとこのことは変わっていないと思う。

そして、前にも書いたが、若い頃に読んだ本を、いろいろ経験した今また手に取って読むのは、感じ方の差があったり、変わらない感性もあったり、本当に楽しい。
齢を重ねてからこの楽しみを味わうために、若いうちに、ぜひいろいろ読んでほしい。

最後にもう一度言おう!
「『ボクの音楽武者修行』、これは読むべき。是非読んでほしい。いろいろありすぎて、とにかく読んで!」

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