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シンポジウム【地域から次世代映画を考える】

 2018年1月27日(土)、京都文化博物館で開催されたシンポジウム【地域から次世代映画を考える】。映画やその周縁について考えるシンポジウムは関西ではなかなか催される機会が少ない&主催されているNPO法人独立映画鍋さんの活動も前から気になっていたこともあり、頑張って行ってきました。短編・長編合わせて3本、予告編1本の作品上映もあり、6時間の長丁場。シンポジウムは、第一部は、制作者側4人の「映画はどこでもつくれる!か?〜地方で映画を作るわけ〜」、第二部はインディペンデント作品の受け皿となっている地方ミニシアター館主を中心とした「関西次世代映画ショーケース」という内容。私は作る側でもなく、上映する側でもないのですが、(いや、映画祭の人だから強いて言えば上映する側かもしれないけれど)少しだけ映画に携わる人間として、いろいろ考えさせられるシンポジウムでした。

 まずは、インディペンデント映画ってなんぞや?というところから。明確な定義はまだなく、お隣の国、韓国では下記のように定義されているよう。

「韓国における多様性映画の5つの定義」
1 芸術性や作家性を大事にする映画
2 映画のスタイルが革新的であり、美学的価値がある映画
3 複雑なテーマを扱い、大衆が理解しがたい映画
4 商業映画の外で、文化的社会的政治的イシューを扱う映画
5 他国の文化や社会に対する理解に役に立つ映画

 インディペンデント映画と多様性映画を同列に扱って良いのかどうかはわかりませんが(多様って言っちゃうと、商業映画も多様の中の一部なんじゃ・・・)、少なくとも韓国では「多様性映画」についてこのように定義付けを行っているそうです。一方、日本はどうなのか。東京で行われたイベントでは下記のような意見が多くの制作者の賛同を得たのだそう。

「東京フィルメックス連携企画 『インディペンデント映画ってなんだ!?』(17/11/18)で交わされた意見」
1 作家の視点が色濃く織り込まれている映画
2 作り手の実人生と切り離せない映画

 韓国のものにしても東京のものにしてもなんだか曖昧な点が多く、これで定義付けと言えるのかどうかは疑問が残るところ。個人的には、第二部のシンポジウムで土田環さんがおっしゃった「作品の内容というよりも、作り方や見せ方なのではないか」との意見が一番しっくりきました。こういう定義付けはなかなか難しいものだと思うので、インディペンデント映画の定義についてはこんなもんにして・・・

第一部
①労働(生活するためのお金を稼ぐ手段)と仕事(使命感をもって取り組んでいること)
  →今は別々だけど、一緒になると理想だよね
②地元など地方では上映できるけれど、東京ではなかなか上映できない
③資金集め→撮影→編集、まではなんとかできても、広報まで手が回らない

第二部
④「インディペンデント映画」の増加
   →デジタル化+映画学科を持つ大学の増加
⑤良い「インディペンデント映画」と観客がなかなか出会えない
⑥関西ミニシアターのラベリング(品質保証みたいな)

 第一部と第二部で私のフックに引っかかったのはこんな感じ。①の労働と仕事の生々しいお話は、私も非常に共感するところで頷きすぎて首もげるかと思った・・・。②の地方で映画を作るがゆえの、そして東京一極集中であるがゆえの弊害というのも考えさせられました。地元や関連地域での上映はできるが、その他の地域、特に東京ではなかなか上映ができないそう。東京に行くだけでお金がかかるし、一度東京以外で上映してしまっていると「そっちで上映したんでしょ?」となるらしい。このような話を聞くと、独立映画鍋さんのサイトでも深田晃司監督が触れておられる韓国の助成制度が大変素晴らしいものに思えてきます(http://eiganabe.net/diversity)。というのも、制作にしか助成が出ない日本に比べ、その前段階の「企画」、制作後の「配給」にも助成が出るのが韓国。隣の芝が青く見えているだけかもしれませんが、映画って撮ってるだけが映画じゃないんだよってことをきちんと理解しているんだな、というのが率直な感想です。

 そして③にも通ずることですが、お金を必死で集める、そして撮る、編集する、出来た!とここまではいいが、そこで精神的にも財政的にも疲弊しきってしまい、せっかく出来た作品を広めることに注力できない。広報・宣伝のプロを雇いたくてもお金はない。映画って作って終わりじゃなくて、たくさんの人に見てもらってこそのもの。でも、その「たくさんの人に見てもらう」のが一番くらいに難しいことでもある。なのに、そこに対する助けがない。これはキツイ(うちのような弱小映画祭でも、少しでも作品を広める助けができればなぁとも思いました)。助成金ばかりに頼るのも良くないことは身をもって経験しているのですが、この助成金、現行の(多くの)制度を見直せば使い勝手が良くなるのに、と思います。

 多くの助成金制度は、結局お金があるところにしか使えないようになってるんじゃ・・・と訝しんでしまうほどに使いにくいのが現状。どう使いにくいのかと言うと、支払いを済ませ、領収書や銀行振込などの証拠を提示しないとお金が振り込まれない助成金が多いのです。助成する側からすれば、そうじゃないといくらでも誤魔化されるから、だと思うのですが、これじゃあ元からお金を持っていないと助成金をもらえないことになってしまいます。いや、その元手がないから助けて欲しいのですが、このままの制度ではある程度最初からお金を持っている人しか申請できず、持ってない人は申請すらできないのと同義になってしまいます。聞くところによると、海外の助成金は事前にお金が振り込まれるらしく、心底羨ましい限り。不正に助成金を使う人がいるのかもしれないけれど、それこそお金を振り込んだあとで、どこにいくら振り込んだかがわかればいいんだし、そこをきちんと見るようにすればいいんじゃないの?と思うけれど、仕事が増えるから大変なんですかねぇ・・・。

 こうなってくると、やはりフランスのようなチケット税を導入して、映画業界内でお金を循環させられるとみんなハッピーだよなぁ、という妄想が広がるばかり。こういうことを実現させようと思ったら、どんなことをすればいいんでしょうね。みんなで頑張るしかないのかな。と、第一部だけで紙幅を随分割いてしまったので、これくらいにしておきます。

 とりあえず、日本では映画が文化として充分な扱いを受けられていない、だけど、一人一人が出来ることを頑張りつつ、みんなで大きなものを動かせるように協力していけたらいいな、というざっくりしたことを思いました。

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