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装う

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目に見える部分だけを飾って、本質を隠し別の何かに見せかけること
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ファッションの大学に入ったらファッションを仕事に出来なくなった話

こんばんは。服飾大学で出会った「みっぽ」と「キキ」がサブカル的な態度でコンテンツについて対談形式で語る「サブカル女子って呼ばないで」です。 今回は、いつものように何か「コンテンツ」として映画や音楽を掲げる訳ではなく、少し趣向を変えて自分自身をコンテンツとして見たときの自分らしさというものについて考えてみました。 すると、わたしたちの共通点である「ファッションの大学に入ったらファッションを仕事に出来なくなった」過去に辿り着きました。 ■捻れた自分らしさ キキ 突然なんだけ

「思うだけでなく動く」―普通の大学生がファッションデザイナーになった話

「やりたいことはあるけど経験ないし・・・」 「もう若くないし、未経験じゃ今からじゃ無理だよな・・・」とか そんな風に思って、自分のやりたい事をあきらめようとしていませんか? 人にはそれぞれ思い描く未来の姿があります。その実現が日々の活力になり仕事やプライベートでの生きがいにもなっています。 私は31年間ファッションデザイナーとして仕事をしてきました。フリーランスとしても17年のキャリアになります。専門学校も出ておらず全くの未経験で、デザイナー志望だったわけでもないのに長い

「ファッション」が私たちにもたらすもの

『衣食住』の中で、一番贅沢品とされがちなのが『衣』、つまりファッションという分野なのではないかと思う。 もちろんどれも最低限必要なものだし、食事も住居も豪華にしようと思えばどこまででもお金をかけられるものであることに違いはない。 でもなぜか『食べること』『暮らすこと』に比べて、『装うこと』は余剰で贅沢なことだとみなされがちな気がしている。 それはパリコレをはじめとするコレクションブランドの煌びやかなイメージのせいかもしれないし、最近バーバリーが大量廃棄で問題になったりフ

有料
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ファッションには、無駄と消費が必要だ。

5月末、古着屋に6年間勤めた友人が退職した。彼とはもう10年くらいの付き合いで、10代の頃から洋服の話を延々としていた服バカ友達の一人だ。 当時は、まわりのみんなが「モード系」と呼ばれる、ハイブランドの洋服に憧れていた。思い返せば、あの頃バカみたいに洋服にお金をつぎ込んでいた。お金を貯めたことなど一度もない。シーズンごとに次々と繰り出される最新コレクションにありったけの資金をつぎ込み、どうしても欲しいお洋服のために泣く泣く手放したコレクションもたくさんあった。 ぼくは来る

着たい服を考えると、自分が本当に望む働き方が見えてくる

5年後に欲しいキャリア、うまく答えられない問題「小沢さんは将来的にどんな仕事がしたいの?」とよく聞かれます。 会社員時代は4半期ごとにOKRとか目標設定とか評価面談があったし、「今やらなきゃいけないこと」に取り組むことはできる。フリーランスになってからも、3年単位での「こうなりたい」はわかる。目標もある。 でも、それ以上先は自分でもわからないんですわ……。なんせインターネットの仕事ってめまぐるしく変わっていくしね。やりたいことやできることだけでなく、市況を見ながら生存戦略

人に見せないならオシャレも要らない?

テリー伊藤が、自身の経営する服屋を閉店した。服がまったく売れないらしい。 一方で、きのう営業再開した高島屋でブランド品を買う人もニュースに出ていた。 誰も服なんて買おうと思わないテレビ番組の中でテリー伊藤が、自身の経営する服屋を閉店したと言っていた。「このご時世、誰も服なんて買おうと思わない」とのことだった。 厳密には「おしゃれな服を買わなくなった」ということだろう。ステイホーム期間、つまり自粛期間中におしゃれする気も失せてしまった人が多いのではないかと思う。 ダサい