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別れの瞬間、わたしは通知表を受け取りたくない
お世話になった仕事メンバーとの別れが近づく。定期的にあることとは言え、今年さよならするメンバーがいなければ、私はこの1年を乗り越えられなかった。
だから私は、この3月がとても恨めしい。
2年前、こんなnoteを書いていた。
同僚とともにお別れのギフトを選びながら、「誰かのために何かを選ぶこと」がとても久しぶりだったように感じた。
別れを惜しみながら、感謝をしながら、それを形として伝えることを、怠っていた気がした。
自分がいなくなる時、そこに貢献しない人間になった時、どんなふうに扱われるかが怖い、なんて、考えることは、結構図々しいなと思う。
承認欲求の象徴みたいだ。
だけど、それは人間力やそれまでの時間の通知表だから、やっぱりこわい。
得意も苦手もひっくるめて突きつけられる。
がんばったけど伸びなかったな、とか。
うまくできなかったな、とか。大事にしていたつもりが全然できてなかったことだって、当然ある。
それは、ひとりよがりだったり、自己満足だったり、知らないところで人に負担をかけていたとか、そういうことなんだろう。
至らなさが身に沁みるから。
お前なんかその程度だった、と突きつけられるから。
ハリボテでもどうにかやってるそのボロを、撃ち抜かれる気がするから。
だから自分がいつかいなくなる日は、人知れずスッと消えたいと、今は思う。
惜しまれる自信がない。
人からどう思われてもいい、なんて思えない。
だから、
私は通知表を受け取りたくない。
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