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心の声はエンタメの姿を借りて私たちの前に現れる、のかも。

なんかもう、全部投げ出したいかもしれない。
諦めてしまいたくなったそのとき、「諦めず、最後までこの国を見捨てずやろう」と長谷川博己が急に私に語りかけた。

これは映画【シンゴジラ】で長谷川博己演じる矢口蘭堂が「日本はこれからどうなるんだ…」という絶望的な場面で告げた台詞である。
矢口蘭堂はゴジラ対策グループのリーダーなのだが、この台詞でグループを鼓舞してゴジラ対策を進めていく。


別に国は背負ってない。私が止まってもゴジラは来ない。国は滅びないし仕事も止まらない。
だけど、私が諦めたら、多分失われる道はたしかにある。

「あぁ、やるか」

また、ペンを握った。

エンターテイメントでは、そんな台詞に遭遇することがよくある。偉人の名言以上に行き当たるのは、その世界観のなかで放たれているから、より響くのかもしれない。

一時期は、私の中にONE PIECEの白ひげが住み着いていて、何かあるたびに「馬鹿な息子を、それでも愛そう」と裏切った部下を抱きしめながら言い続けていた。

私には白ひげほどの度量も力もないのだが、白ひげがずっと頭に響かせ言い聞かせてくるので、ので、なにやら許し続けていた。


大事にしたい価値観が揺らぎそうな時、自分の心がそういう言葉の形を借りて、自分に語りかけてくるのかもしれない。

ちなみに、困難やびっくり案件に遭遇した時は、だいたい私の頭では帽子を被ったジェシーが「人生まさかの連続」と言っているし、HiHiJetsがジャニーさんに言われたという「YOUたちは自分で考えるんだよ」という台詞、樹木希林の「楽しむんじゃなくて、おもしろがるのよ(ニュアンス)」みたいな言葉も急に出てくることもある。

ちょっと脱線するけど、強烈に覚えているのは、角田光代の「20代は『これをしたくない』で前に進めたけど、30代はそれでは一歩も進めない」みたいな台詞だ。
10代の頃に読んで、もはや私に暗示レベルで強烈なインパクトを残した何気ない言葉である。多分、「対岸の彼女」だったと思う。

話を戻すと、心に刺さるエンタメは、美しかったり自分の感性の琴線に触れたりするから、結局本能的な部分や深層心理に語りかけてくるものなのだ。
琴線に触れるのは私たちが大事にしているものだ。その時はなんとも思っていなくても、ある日急に思い浮かんだりする。

折れそうな時、エンターテイメントは私たちに方向を指し示してくれる。

見失いかけたものやなくしかけたものを、ひょっこり「これ大事でしょ?」って、かゆいところに手が届くみたいなスピード感で。

王道じゃないけど、そこがいい。
そこに支えられて、明日も生きていける。

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