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自己紹介

(2021.4 更新。仕事復帰しました)

はじめまして、まゆぽんと申します。
この記事に目を留めてくださり
ありがとうございます!

4月から職場復帰した、
女の子と男の子2児のママです。

今回はエピソードを交えながら
"わたし"について
そして、
こうして情報発信にいたった理由
をお伝えしていきたいと思います^^

※長めなので、目次から興味のある所を
 かいつまんでいただいても(◍•ᴗ•◍)


1.幼少期の夢とくすぶる思い

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幼稚園生の頃から
お花屋さん、お菓子屋さん(洋・和)、
魔法使い、服飾デザイナーetc...

と、
実在するものからファンタジー要素の
あるものまで、色々なものに憧れ、
「なりたいもの」として夢見てきました。

「なりたい」と言った時の親の反応は、
小学生の頃までの「いいね~。素敵だね~」は
中学生になったら「そうなのね」になり、
高校生にもなれば「(反応なし)」でした。   

そして高校時代、
服飾を学びたい気持ちから
「服飾の学校は東京が一番近い」と伝えると、

親の返事は
「家から通える4年生大学(できれば国立)で」
でした。

でも、なんとなくわかってました。

親が、
私の気持ちを本気だと思っていないこと。

自分が、
親の反対を押し切ってまでやろうと
思っていないこと。

小さいころから
「〇〇ちゃんはすごいね~」とよく褒められ
ていた記憶があります。

そう、
私は「いい子」でした。

テストはいつも良い点数で、
先生や親の意向に沿うように過ごしていました。

褒められたいと思って勉強して、
褒めてもらう。

だんだん
「私の何をみているんだろう。
 どこを褒めているんだろう」
と感じるようになっていましたが、

興味をもった「服飾」の道には進まず、
やっぱり親の意向の通り
地元の大学に通うことにしました。


2.「どうせ」が口癖の私と自由な大学時代

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親のせいだけにする気はありませんが、
夢をみても「どうせ叶わない」と思うクセ
がついていました。

私が頑張ったところで
なにものにもなれないし、
反対されたり
良い反応が返ってこなければ
途中でやめてしまう

…そんな人間になっていました。

大学は、親への少しの反抗心から、
途中でキャンパスが変わって
一人暮らしができる理系の学部を選び、

怒られるのを嫌ってほどほどに勉強し、
成績は中の中。

深夜までできるファミレスのバイトをはじめ、
サークルも楽しみました。

今思い返してみると、
せっかくお金を出してもらった親に言うのは
恥ずかしいくらい、目標も無く、
なんとなく過ごしてしまった大学生活でした。

そんな私の就活は…

・研究職も憧れるけれど大学院卒じゃないと難しい
 からやめよう。
・工場勤務は(イメージが)イヤ。
・今きてるし、親にも胸を張って言えるSEにしよう。
 資格も取れば親は喜ぶだろう。
・会社は「進んでる」イメージのある東京がいい。
 若いうちはバリバリ都会で働いて、ゆくゆくは
 地元でゆっくり暮らそう。

というミーハー気持ちを軸に進め、
運よく都内のIT会社から内定をいただいて
無事に終えることができました。


3.打ち込めない仕事と異動願い

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新社会人として入社したこのIT会社は
本社も配属先のほとんども都内で、
全国各地から集まった同期は気が合う良い人たち
ばかりでした。

でも、自分の配属先はまさかの"地元(地方)"。

(ちょうど案件があったし、
地元だし慣れてていいでしょ、という判断の下)

気持ちは荒れました。

同期は都内でバリバリ学び、
活気のある職場で良識のある先輩と働き、
アフターファイブは同僚たちと飲み会。

わたしはというと、

意欲のない人たちに囲まれ、
お昼休みは同僚の愚痴を言い合い、
仕事では「紙媒体のPDF化」を頼まれるように
なっていました。

なんだこれ。

「Happy Birth Day!
 いっぱい祝ってもらって楽しい誕生日を♪」

同期が送ってくれた誕生日メッセージをみて、
泣きました。

周りにおしゃれなお店なんてない。
仕事後に一緒に飲む人なんていない。

わたし、
会社と自宅とスーパーのトライアングルで
生きてるんだよ。

そんな出来事があり、
やっぱり「都会でバリバリ働く」ことも諦められず、
会社に異動願いを出しました。

やっと都内に出られた後は、
すべてが楽しく輝いていました。

上司は自分を理解し、
どんどん仕事を任せてくれました。

憧れのアフターファイブも、
同期や同僚、先輩と楽しむことができました。

仕事が楽しい、
任せてもらえてうれしい、
認めてもらえてうれしい。
仲間がいるってとっても楽しい。

そんな思いをたくさんさせてもらえた時間でした。

ただ、楽しいときは続かず…
契約期間満了後は地元に帰ろうと思っていた私に、
タイムリミットがやってきました。


4.人に感謝される実感を持てる仕事とは…?

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それまで会社の中で
お客様の顔を見ることなく仕事をしていた私は、

「人と会いたい!」
「もっと人の為になっている
 実感がもてる仕事をしたい!」

と、
転職アドバイザーに勧められるまま
賃貸の営業職に就きました。

・人当たりよさそうだし、
・頭の回転もはやくて自頭の良さを感じる

と、偉い立場の重役さんに面接で言われて
調子に乗りました。

ここから
「人とのコミュニケーションに悩む日々」
が待っていました。

職場は愚痴と悪口の嵐。
仕事の愚痴、お客様の悪口、
上司や同僚の悪口、陰口、イジワル…

「お客様の為を思って働く人々」
というイメージとのあまりのギャップに、
すぐに心が折れてしまいました。

同じ転職組とは仲良くなれましたが、
同僚には好かれませんでした。

仕事はできてもこんな悪口の塊なんかに
好かれなくてもいい、
と好かれる努力もしませんでした。

宅建の資格勉強会ではどんどん順位が下がり、
仕事も鳴かず飛ばずの私は、
結局わずか10か月で退職をすることに…。


5.ゆくゆくは地元で腰を据えて働こう、と思っていた

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次の仕事が決まらないまま、
地元に戻ることになりました。

28歳のことでした。

転職活動をしましたが、
今度は、選べませんでした。

すでに入籍していた私は、

「どうせこれから出産とかして
 ブランクあくでしょ。
 うちは若年層からの育成を考えてるから…」

と落とされること、数社。

あれ?

「どうせ出産する」ってなんだ。

ブランクはできちゃうかもしれないけど、
「長く働きたい」のにダメなのか。

「若いうちは都会でバリバリ働いて、
 ゆくゆくは地元で」

なんて、甘い考えだったのか。
(私に即戦力レベルのスキルは無い)

ここで、
・(出産の可能性のある)
 30代前後の女性の働きにくさ
・地方の仕事の狭さ
・若いうち(できれば結婚前)に
 どれだけスキルを得ているかが大事
ということを思い知りました。

過去の自分のちゃらんぽらんさを
後悔しながら、

「やりたいことができるとかじゃなく、
 とにかく入社できるところに入ろう」

と就活を続けました。


6.転職と妊娠と

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無事に地元のIT会社に
拾ってもらうことができました。

そこそこやりがいをもったり、
年功序列や狭い視野の考え方に
がっかりしながらも、
なんとか仕事や職場になじんだ頃、

妊娠が発覚しました。

現職場での在籍期間も短かったことから、
育休はとれるのか、
給付金はもらえるのか、
どんな申請が必要なのか、
どのタイミングで職場に言うべきか、etc...

思いつく不安の解決策を、
片っ端から検索しまくりました。

事前リサーチのかいもあり、
私より先に産休に入る同僚もいたため、
大きなトラブルはなく無事に産休に入ることが
できました。


7.幸せな産休タイム

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いま、2人の子を持ったからこそわかります。
幸せでした、1人目の産前休暇。

誰にも邪魔されず、
自分のスケジュールで動ける…
"自由"がそこにありました。

ただ、
私は色々な不安から調べものをしまくる
検索"魔"になっていたため、
あまり有意義に楽しむことができませんでした。

これを読んでくださっている
妊活中の方、
プレママさん、
子どもをもちたいと考えているそこのアナタ…

自分一人の時間がとれるのは、
今後いつになるかわかりません。

旦那さんとデートして、
お友達とゆっくりランチしてください。

子どもを預けたり誰かに頼ること無く、
時間を気にすることも無く、
自分の都合で、
自由に動ける若い時間は今だけ
です。
(私は産前休暇の過ごし方後悔しまくりです!)


8.はじめての出産

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「スイカを産む感じ」はわかりませんでした。

陣痛が、やばかった…

「あー無理無理無理無理ーーーーー・・・・
 出したい、出したい!終わりたいーー!
 痛いーーーー痛いーーーーあーーーーーーー」

と叫び、唸っていました。

産院で教えてもらう「いきみのがし」や
呼吸法なんか吹っ飛ぶ位の痛み。

逃れられない。

ありがたかったのは、
・腰をさすってくれる助産師さん
・顔に息を吹きかけてくれる旦那さん
 (すごく暑かった)

ただ、
辛かったけれど、

立ち合い出産で、親になった二人は泣きました。


9.はじめての育児

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検索"魔"の魔物レベルが上がりました。
(産後、スマホを手放せないほどになりました)

検索例)
・名前
 生まれて14日以内に届けなければいけない。
 決まってない。

・黄疸
 第一子は顔が黄色く「黄疸」と言われたため、
 黄疸とは?や、処置に関する先生たちの言葉等、
 検索しまくりました。

・授乳方法
 授乳量が足りなかったため、
 出しやすくする方法やあげ方などなど…

・子どもの体調など
 肌がガサガサゴワゴワしてる…?
 鼻ずーずーしてる?
 この色のウンチ大丈夫?
 寝すぎ?
 目の焦点合ってる?
 etc...

・ベビー服
 何をどの程度買えば良い?
 (季節も変わるしすぐに着られなくなる)
     :

第一子は、生まれてすぐの黄疸以外は
特に何も病気はなく、
とても育てやすかったと思います。

それでも、
初めての育児は私を苦しめました。

※育休育休中に辛かったこととその解消法を、
 参考までに少し載せておきます。

◆心配が尽きない
 体調など、気になるコトがありすぎて検索疲れ
【わたしの解消法】
・Amazonで評価の良い育児本を購入
 (病気系、離乳食系1冊ずつ)
 ネットだと情報量が多く処理しきれなかったが
 本に掲載されている=かかりやすい病気など
 知ることができ、夫とも共有しやすかった。
・予防接種ついでに病院の先生に質問
 薬が必要な症状があれば処方してもらったり、
 「それは気にしなくて大丈夫」
 と言ってもらって楽になりました。
 (お医者さんの言葉の安心感!)

◆寝られない
 "3時間おきの授乳"の"3時間"は、
 "飲ませ始めから次の授乳までの間"。
 まだ上手に飲めない初期は授乳に1時間位
 かかると次の授乳まで2時間しかありません。
【わたしの解消法】
 添い乳(しながら寝る)。
 母乳のママであれば「添い乳」おススメです。
 窒息しないように気を付ければ、寝られます。
 ミルクママや搾乳ミルクがあれば、
 誰かに頼めます!寝させてもらいましょう!

◆社会とのつながりがない、会話がない
【わたしの解消法】
 子育て支援センター(児童館など)を利用。
 (保育園内に支援室があったり専用の施設が
  あります。役所に聞くと教えてくれます)
 他のママさんと会話することで気持ちが楽に
 なったり、支援員の先生に相談できたり、
 アドバイスをもらったりできます。
 (夫や祖父母だと、
  自分の感覚や時代とずれていることもあるので…)

◆生産性の無い自分へのもどかしさ
 仕事では何かしらの「成果」や「結果」を
 出していたけれど、育児の正解は分からず
「何も為せていない」感に苛まれる。
【わたしの解消法】
 私が保健士さんに言われて楽になった言葉
 を思い出す。↓↓↓
 「赤ちゃんとママが元気で生きているなら
  ◎(二重丸)です!
  赤ちゃんが空腹じゃないように、
  清潔でいられるように気を遣い、
  誰よりも赤ちゃんのことを気にかけている
  のはママです。
  できないことが目につくし、
  「今日何やったっけ?」と思うことも多々
  あるけれど、
  「赤ちゃん 元気 生きてる」ならOK!」

◆お金を使うことの罪悪感
 「何もできていないのにお金を使って良いのか」
 という悩みが生じる。
【わたしの解消法】
・産後にもらえるお金を知り、
 「使える」根拠(自信)をもった。
 ※「妊娠~育休中にもらえるお金」、
  記事にしています。よければどうぞ!
・夫「お金、普通に使いなよ」と言ってくれた
 ことでも気持ちがほっとしました。
 (=贅沢していいよ、ではないです)
  
◆夫との関係性悪化
 育児への関わり方に対して双方の考え方が違う。
 家事が滞る・家が荒れること等でお互いの心が
 すさむ。
【わたしの解消法】
 (お互いに)やってほしいこと、
 期待されてもできないこと、
 思っていることをとにかく話してみました。
 (「時間が解決(うやむやに…)」
  ということも多々ありましたが…)


10.職場復帰と第2子妊娠と

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保育園が決まったことで職場復帰のめどが立ち、
復帰後の働き方について職場に行って
ミーティングをしました。
(保育園の送迎がある為、早出&残業は無し、など)

ちなみに保育園の送迎は、
義母と夫と私で分担しました。
(義母宅とは高速1時間の距離)

子どもが病気になった際、
「まず親がみる」前提の私と、
「まず義母に頼れるものなら頼る」という夫。
事前に色々なケースを想定して話しておけば
良かったなぁ…と後から後悔しました。

4月に復帰したものの、
なんと5月に第2子の妊娠が発覚しました。

産休に入るまでは半年程しかなく、
保育園で色々な病気をもらってくる子どもの対応も
あり、
職場ではサポート的な仕事がメインになりました。

「給付金もらえないかも?」
という総務の方の言葉にひやっとしながらも、
無事に2人目の産休・育休もとれて、
給付金も頂くことができました。

そして、
コロナはまだまだ収束の兆しをみせませんが、
この度復帰となりました。


11.これからわたしは

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これまで仕事は「どうせ」で決めてきて、
(やることはやるが)打ち込めなかったわたし。

でも、子どもができて変わりました。

カッコいいママでいたい。

 自分に自信を持って、
子どもたちに
「ママはこんな仕事をしているんだよ」
って胸を張れるママでいたい。

この自由な時代、
「どうせ」で諦められることの方が
逆に少ないのかもしれない。

会社に縛られず、
個人で仕事を請けている人はたくさんいる。

SNS等を利用して、
プロでもそうでなくても、
個人が自分の作品を発信することもできる…


こんな自由で前向きな時代に、

わたしも、できることを、やってみよう。
入社させてくれた会社でも生かせるように。


「どうせ」 じゃなくて、
                           
「どうせなら」

で行きたいと思います。


長くなりましたが…
これが、今こうしてnoteを書いている理由です。


少しでも自分にできることがあるならやろう。

意味あるのかな、と尻込みする前に
「やってみよう」

やったことは絶対無駄にはならない。


カッコいいママ目指して、
頑張ります!

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