僕は雨の日だけ、彼女に会うことができた。
僕は代々木で総武線に乗り換えて職場に向かっていた。
いつも通り、365日のうちの240日くらいは同じルートをなぞっていた。
いつもと変わらない通勤ルート、満員電車、加齢臭、汗臭さ、数少ない座席の椅子取りゲーム。
違ったのは、今日が雨の日だと言うことだけだった。
雨の日なんて、むしろ不快で最悪。いつもの面積が傘を持っているだけで圧迫されるし、
義務感でセンタープレスをかけてきたスーツも濡れるし、もう最悪だ。
頭の痛さと気だるさを雨のせいにしようとしていた時、僕は彼女に出会った。
ショートカットの明るい茶髪、僅かにキラキラと光る控えめなピアス、ポケットに入りそうなくらいコンパクトな折り畳み傘。
誰かと話しているわけではなく、確かにそこに1人でいるのに、「雨に降られちゃったよ〜」と誰かに話しかけているみたいに、彼女は顔をしかめてその心情を表現していた。
正直、特別美人だったわけでも、顔がタイプだったわけでもない。だけど、なぜか僕は、彼女の表情をもっと見てみたい、と思うようになってしまって、晴れの日も彼女を探していた。彼女に初めて出会った雨の日の電車、あれは確か代々木を8時15分に出るものだったけれど、その電車を捕まえても、彼女に会える確率は少なかった。あの日はたまたまだったのかと思い、その一本前や一本後、1時間前、遅刻ギリギリの30分後まで試して、いつも一定の時間に会社に到着している僕は部長に気味悪がられた。
雨の日にだけ見ることができた妖精だったんだな、自虐的に解釈していて、諦めかけていた。
その日は僕は上司に飲み会に誘われて、断りきれずに行ってしまったんだけど、会社の愚痴にも不倫事情にもうまく興味が持てずに退屈していた。流れで2軒目に向かう一行をよそに、バレないように改札を抜けた。
2号車の4番ドア、そこが1番乗り換えに便利というだけで利用していたそのホームに、彼女はいた。
偶然か運命か、台風の日で電車がだいぶ遅れていた、そんな日だった。
「雨に降られちゃいましたね」
よく考えれば僕が彼女の声を聞くのは初めてで、思っていたより低めのハスキーボイスに勝手に驚かされた。
「そうですね。困ったな」
「いつも雨の日だけ、会うよね。」
彼女はケラケラと笑った。
その一言で、僕が彼女に会えていたのはあの雨の日の一回きりではなく、その前から彼女が僕のことを認識してくれていたことを知った。
「おれんち、ここから15分くらいで歩けるけど、避難してく?」
「駅まで15分って、ちょっと誘い方下手すぎじゃない?」
彼女はまた、いたずらそうにケラケラと笑って、ヒラヒラと手を振ってホームの奥の方に行ってしまった。
彼女の方が1枚も2枚も上手でなんだか悔しくて切なかった。駅まで15分、家賃の安さだけで選んでしまった物件を恨んだ。いつもは吸わないタバコを吹かせて、20分にも30分にも感じる道のりを1人、歩いた。
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