サンタが「いない根拠」を探したかった。
人の性格や価値観がどのように形成されるのかは分からないけど、わたしは昔から現実的な子どもだった。
プリキュア、ラブアンドベリー、キャラクター物に一切の興味を示さず、「プリンセスになりたい」だなんて口が裂けても言いたくなかった。
なれるわけないやん
と思っていたから。
「将来の夢」にも抵抗があった。現実的にできるか分からないことを親や先生の前で言うのがプレッシャーだと思っていたから。
可愛くない子どもだ。
そんな現実的キッズのわたしにとって、「サンタさん」は解決すべき問題だった。
いるのか、いないのか。
小学生の時から、いないだろと思っていた。
その疑いを濃くしたのは、弟がきっかけで、
弟はDSかなんか、ゲームを欲しがっていたんだけど、うちはゲームが基本的に禁止だったので(わたしも弟も父親が会社の忘年会で当てた初代DSしか触ったことがない)、父親が幼い弟に何やら説得していた。「DSもいいけど、図鑑とかもいいんじゃない?ほら、動物がいっぱい載ってる。」とか言って、本当に図鑑が来てしまって、あぁ残念だと思った。
だけど、「サンタいない説」を立証するためには、「いない証拠」を見つけなければいけなかった。「いる根拠」もないけど、「いない根拠」も無いのがサンタだ。
で、探した。
12月24日の夜、父親が帰ってくる前に、家中のタンスを探した。父親がサンタならどこかにプレゼントが入っているはずだ。今ほどAmazonとかも充実してないし、どう考えてもこのタイミングで用意ができてなかったら間に合わない。
今まで見たことがない収納も探した。
高すぎて見えないところは椅子を使って探した。
無かった。
無かったのだ。
父親が帰ってくる。靴を脱ぐ前に父親の姿を捉えるが、ビジネスバッグ以外何も持っていない。
信じた。
わたしはサンタを信じた。
もうふたつ、わたしがサンタを信じざるを得ない出来事が起こった。
ひとつめ、布団にサンタの手形が付いてた。
本当についていたんだ。くっきりと、手の形が。
(後から分かったことだが、それは鼻詰まりで寝苦しそうだったわたしを見て、母親が手に軟膏剤をつけて塗ってくれようとした時についた手形だった。)
ふたつめ、当時海外に暮らしていたわたしは旅行中にクリスマスを迎えて、
さすがに来ないかな…と思っていたら、来た。
しかも、その年はお母さんにも来た。
「あら〜、私にも来ちゃった。嬉しい〜!」
と喜んでいる母親を見たら、この人が仕掛け人という疑念は全く晴れてしまった。
お母さんに聞いてみたことがある。サンタはいるのか、と。
確か、
「ママも知らないけど、いるって思ってた方が楽しいじゃん?」
と言われて、確かにそうだと思った。
わたしがサンタさんになる日は来るのだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?