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長く見た夢の話 カウンセラーになるまで②

私の両親はとても仲が良い。

家族というコミュニティーから1歩外に出て他の家族というコミュニティーの存在を意識出来る年齢になった頃
仲の良い夫婦だけが夫婦ではないんだなと初めて知ったくらいに自分の両親が私の中での「夫婦」のスタンダードだった。

なので自分が結婚を考えるような歳になった頃
あの「夫婦」には程遠く自分がそれになれるかどうかも全く自信が持てずにいたら
その不安は的中し見事バツイチになりました。

私の両親はまぁまぁ新しい考え方をする人で
特に母親は流石に変人の父と結婚するだけあって自分がしっかりあって頑固でもあるけれど人の話はすぐ受け入れ
そう…言われてみたらそうかなと思った。
とすぐに新しい考えを取り入れていく人なのだ。

なので私たち兄妹の体調不良以外ほぼ動じず
来るなら来なさいスタイルなのです。
そのスタイルは夫婦共通ですね。
なので仲良しなのでしょうかね。

だから子供達が言うことなどはとりあえず1度は受け入れてくれて
そこから良いか悪いか自分で考えるかそれはまだ早いかなどなど
とにかく話しや気持ちを聞き受け入れてくれる人たちで
それは今孫たちにも受け継がれているのです。
ありがたいことです。

そしてとにかく私は本当に優しくまともな兄とは大きく違い
先に書いた通り結婚も続かず独身でこのまま孤独死するんだろうなと思っていたが
実家に出会って数ヶ月の男性をいきなり連れて行ったにも関わらず
親は結婚にも反対することなく
むしろ一人でいるよりずっといいと思うよとふんわり背中を押してくれたわけです。

当時長く勤めていたところが店を閉めると当時の社長が言い出し
他に勤めるには今さらな年齢で聞いてからわずか1ヶ月で外に放り出され
派遣で食い繋ぐしかなく
どうせ不安定な仕事になるならお金だけ貯めて定期的に旅人になろうと考えたりもしていたところで
またまともからは程遠くなるところだったけれども
それはそれで素敵な未来があったのでしょうねと旅人になるには難しくなってしまった今の環境からすると本当にそれはそれで素敵だったんだろうなと思いつつ
派遣でしばらく働き結婚し運良く妊娠し無事に川の真ん中あたりから帰ってきて仕事に復帰したら
まさかの募集要項とは違った理由で派遣を切られ

あぁ
結局はこうやって自分が一生懸命やってたとしても
会社の都合でこうだよ

と派遣という立場は常にいつか切られる覚悟みたいなものは頭の片隅であったにしても
あまりにも理不尽なその扱いに長く勤めて店を閉めると言い出した社長の言動を思い出し
色々な可能性を試してみたけれど一人の力では到底考えられないような力が働いていて
あぁやっぱり組織ってこういうもん
と心底嫌気がさした帰り道に
子供の頃からの長い長い夢だったいつか絶対になりたかったカウンセラーになろうと
カウンセリング講座を受けて資格を取得しよう!と電話したわけです。

5時定時でしたのでその15分後くらいですかね。
思ったらすぐ行動!
嫌な思いをしたけれどその嫌な、理不尽な扱いをされなかったらこんなに思い切って電話していなかったかもしれないし。

ありがとう!!
当時の社長!
そして派遣先の上司の方々!!

リカバリーですよね。大事。
誰しも転んだり突き落とされたり足かけられたりしますよ。
でもどういう形であれリカバリ出来て自分が納得できればそれが正解なんだろうなと思います。
自分がどうしたいか。
誰かのレールに引きづられていないか。
知らぬ間に業務だけに囚われて稼ぐことだけに重きを置いていたのは
それがたぶん一般的に普通だとされているから。

私はカウンセラーになりたかったんですよ。
ずっと。
なので両親も特に何かいうわけでもなく
あぁ
なりたがってたもんねぇ
で終わり。

自分の人生ですから。
色々思い描いていたこととはかけ離れたかもしれませんが
自分がしたいようにしている。
もちろん好きに出来る環境には感謝してもしきれないが
この環境にしたのも自分なのです。
恵まれています。
こんなポンコツなのにみんな捨てないでいてくれる。

なので私が家族や友達にしてもらっていることを
必要な誰かにお届けしたいのです。

私を捨てずにどこか心の隅に覚えておいてくれていたことは
私の自信に繋がっています。

とっくに病んだであろう出来事もあったけれど
やはり病まずにいられたことは周りの優しさがあってこそ。
直接的な何かをしたわけではないと思われるかもしれないけれど
ただそこにいつも通りにいてくれて私の様子を見ていてくれたことの安心感。

私が誰かのそれでありたいと今は自分の進む道。

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