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日本習合論

今年の初めくらいに買ったのだけど、読みながらいろんな事を回想したり考えたり、他の本と交互に読んだりしているうちに、桜が散る季節になってしまった。

章の隙間が問いかける

この本のいい所は、「きみはどう思う?」と問われているような気がするところ。

普通は著者の意見を述べて終わりだけど、内田さんの文体には、いつも最後に余白を感じる。皆まで言わず、こちらが話し出すのを待つような、そんな間を感じる。

そんな訳で読むのに時間がかかるのだ。

スピリチュアルの領分

どの宗教においても、儀礼や戒律の起源は遠い人類史の闇に消えています。(中略)「だからそんなものには意味がない」と言い切れる人と、「いや、そこには古代人には感知できたけれど、現代人には感知できない、何らかの働きがあったのではないか」というふうに留保をつける人がいる。(p24)

この部分を読んでいて、レヴィストロースの「野生の思考」を思い出した。

内田さんは“霊的にピュア”と表現しているけど、現代ではこの“霊的にピュア”あるいはスピリチュアルという領域について否定的な感情を持つ人が多いように思う。

かく言う私も数年前までは、スピリチュアルなんて眉唾モノだ、ぐらいに思っていた。(今でもスピリチュアルに集る人達のことは快く思わない)

しかしレヴィストロースは、霊的な感性に生きる人達にも高度な論理思考があることを証明し、そういったものを馬鹿にしたり蔑ろにすることは近代人の傲慢だと批判した。

また、“本当の意味でのスピリチュアルの領分”というものを示していたとも思う。愛とか宇宙とか言ってるだけがスピリチュアルではないのだ。

性質的にどうしても抽象度の高い語彙になるのは仕方ないが、霊的な感性は誰でも持っているし、それを感じる機会は皆、平等に与えられる。  ただ、公平ではないけれど。

共感過剰コミュニティと自分語り

「理解と共感に基づく共同体」はつらい…(p47)

よくぞ言ってくれました!!たぶんみんな思ってたけど言い出せなかったよね。私も上手く言葉にできなくてヤキモキしていた。

友人から何かしらのコミュニティに誘われたり勧められたりすることはあるのだけれど、さっぱりその一員になりたいと思えない。

どんなに素敵なコミュニティでも、そういう“ベチョッ”としたものが見えてしまうと途端に嫌になる。

内田さんは現代は共感過剰だと指摘しているけど、私はそれと同時に「自分語り」する人が減ったと感じる。

酒に呑まれながら、とうとうと語るオッサンを最近見ない。

ネット上ではそれが顕著で、仮に持論を語ってもだいたい「乙w」の一言で済まされる。それならまだマシで、長々とコメントを付けるなんて迷惑だと言う人もいる。

でも他人の自分語りって、数を聞けば聞くほど面白くなっていく。他人の人生って面白い。

里山の重要性

「強い農業」論者たちが忘れているのは、農地での耕作が成り立つためには、山や森や川や海がきちんと管理されていなければいけないということです。(中略)こういった「農耕を可能にする自然環境の維持管理」コストをこれまでは農村共同体が「不払い労働」として担ってきました。(p152)

友人と農園を借りた件をきっかけに、オンラインの農業関係の授業を受けたのだけど、そこで「日本の土は死んでいっている」ということを知った。

土を蘇らせるためには、有機農法を充実させて土壌環境を改善しないといけない。

日本にいる少なくない人達が、日本の農業を守りたい、頑張ってほしいと言っている。

私もそう思うけど、できることは少ない。

とりあえず、「消費活動は個人ができる1番簡単な社会的意思表示」というのを忘れないように生活しなきゃ。

見えないところにいる人たち

作中、ブレイディみかこさんの「子どもたちの階級闘争」が取り上げられる箇所があるのだけど、その部分が衝撃的だった。

“アンダークラス”と呼ばれる、働くことができない人々。ここで生まれた子供達は、その社会的環境や家庭環境が要因で社会常識を知らずに育つのだそうだ。

壮絶だなと思ったけど、日本も他人事じゃないと思う。

今も見えないところで死んだり苦しんだり哀しみにいる大人と子供がいる。

そういう状況に何ができるんだろう。私は何ができるんだろうと思う。

葛藤する特権

葛藤が人を成長させる。彼らは成長する特権を享受した。(p238)

そうか、葛藤することは特権だったのか。

以前、2ちゃんねる開設者のひろゆきさんのインタビュー記事を読んだ時の違和感が、ここにきて合点がいった。

その記事の中でひろゆきさんは、自身の友人を引き合いに出し、競争社会に身を投じる人より、肉体労働で健康的な生活をしてる人の方が悩みも無くて幸せに見えると言っていたんだけど、なんだか私はしっくり同意できなかった。

悩みが無い=幸せ、ということに納得がいかなかった。

知恵と根性と少しの愛情を振り絞って現状を打破する。なんかちょっとスポ根だけど、意外とそういうタイプです。

今すぐ簡潔に分かりやすく説明しなさい

↑のようなことを(もっと優しくではあるけども)求められることがある。

「話を簡単にすること」が端的によいことであって、「話をややこしくすること」はそれ自体が悪いことであるという考え方がいつの間にか常識化してしまったようです。(p288)

自分のアイデンティティについて何か名刺のようなものを示せたらよいのだろうけど、私は専業主婦なのでそんなものは無い。

私はあなたが見ている通りの人間ですよ、と言っても納得してもらえた試しが一度も無い。

ほとんどの人が「自分に分かるように簡単に説明してほしい」と言う。

確かに、ある程度分かりやすく話すのが会話のマナーではあると思うけど、それを過剰に求められると、こちらもさすがにイラっとする。

あなたと私の関係は一発じゃ終わらないし、長く付き合えば、もっと分かり合えると思うんだけど。

習合論者

この他にも“伊勢参り”の件なんかほんと面白かったし、今ドキの地方移住は女性主導とか「そうなるよねー!」て感じやし、徳川の鎖国時代ってFabCityの先駆けだったんじゃない?!とか、全体的に気になるポイント散りばめられまくりでした。

私は二項対立的なシチュエーションが嫌いです。どっちか迷ったら第3の選択肢を考える。

そうすると最終的には、中取ったようなどっちつかずな決定になったり、ややマヌケな意見になることが多く、またそれが他者へ分かりにくさを提供してしまっている原因かもと思っていました。

でもこの本で内田さんは「それは習合的な考えですよ」と言ってくれた、気がします。

遠くかけ離れて見えるものを、くっつけたり共存させたりする。そういうことができたら、人生すごく楽しくなると思うし、周りの人たちも楽しくなるんじゃないかなあと思います。


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