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娘の一歩

立たぬ、歩かぬ、喋らぬ、の三拍子揃った娘。
もうすぐ1歳2ヶ月になる。
そんな娘が今月頭から、大きな一歩を踏み出した。

保育園デビューだ。

転居の都合により、4月入園の申し込みは間に合わず、今は一時預かりを利用している。今月半ばには、5月入園を考えている人向けに、最新の保育園の空き情報リストが市から公開される。
娘はひとまず、今月と来月は一時預かりさん。
5月から正式にどこかの園に入園するか、今の園での一時預かりを継続していくか、夫婦と娘で話し合い中である。

保育園の話は、娘が生後半年を過ぎた頃にも一度あった。わたしの病状が悪く、家庭内保育だけでは厳しいのではないか、保育園の力を借りてみようよ、という信頼している保健師さんからの後押しもあった。

わたしは何日も考えた。
何日も考えて、何日も泣いて、
どうしてわたしは自分の子を自分で育てられないのか
悔しくて、死にたくて、つらくて、
考えていること自体がしんどくて、逃げたくて、
保育園入園の準備のことを考えただけでパニック発作を起こしていた。

そして、わたしと夫が出した答えは

NO

だった。

予期不安で潰されるくらいなら今を見よう。
今のわたし、今の夫にできることを無理のない範囲でやっていく。
こころと体がしんどいときには親の力を借りる。
それでやれるところまでやってみる。
そう決めた。

うまくいった日よりうまくいかなかった日の方が多かったかもしれない。
調子がいい日より調子が悪い日の方が多かったかもしれない。
娘に優しくできた日より叱ってしまった日のほうが多かったかもしれない。

それでも娘と過ごしてきた。

晴れた日には散歩をした。
カフェに寄り、青空の下でコーヒーを飲んだ。
近所の畑のじいちゃんから大根をたくさんもらった。

雨降りの日にはいろいろな絵本を読んだ。
大好きな絵本を飽きるほど、繰り返し繰り返し読んだ。

いつだって娘と一緒だった。
ごはんを食べるのも、お昼寝をするのも。

でも本当は、もっといろんなことを経験させてあげたかった。
調子が悪くて動けなくて、散歩に連れて行ってあげられなかった。
薬の副作用で舌が回らず、絵本を上手に読んであげることができなかった。
わたしがしてあげたい、と思うことの半分くらいしかしてあげられていなかった。

転居を機に、わたしがやってあげたいと思うことを保育士さんの力を借りて娘に経験させることを決めた。
つまりそれは、娘と離れる時間をもつことを意味する。

保育士資格とベビーシッター資格をもちながら、
自分の娘に自分の力だけで最適な環境を作ってあげられないことへの情けなさは、これからも心の隅にあり続けるだろう。

それでも決めた。

娘にとっての1日、1時間はかけがえのないものだから。

保育園から帰ってきた娘を思いきり可愛がって、抱きしめるためのエネルギーをわたしはひとりの時間にためておく。
練習から帰ってきた夫を労い、他愛もない会話を楽しむためのエネルギーをわたしはひとりの時間にためておく。

長い目で見たとき、娘や夫が思い出すわたしの顔が笑顔であるように。

娘はまだまだ慣らし保育頑張り中。
離れるときには大粒の涙をボロボロとこぼしながら、
わたしに向かって手を伸ばし、これでもかと大きな声で泣く。

迎えに行くと、おもちゃで黙々と遊んでいる姿。
わたしに気がつくと、おもちゃを放り投げ、泣きながらハイハイで寄ってきて抱っこをせがむ。

保育園に行き始めてからの娘はちょっぴり甘えんぼでワガママさんになった。
そりゃそうだ。娘は小さい体で頑張っているんだ。

盛大に甘えさせてあげよう。
たくさんぎゅーっとしよう。
絵本を何冊だって読んであげよう。
2人でお風呂に入って、くせっ毛を丁寧に洗ってあげよう。
ぽんぽこのおなかも、ちっちゃな手足もピカピカにしてあげよう。
お風呂上がりには大好きな牛乳をあげて、
ぽかぽかのまま眠らせてあげよう。

娘と2人で過ごす時間は短くなった。
だからこそ、2人で過ごす時間は笑顔でいっぱいになった。

そうやって少しずつ、後悔を拾い集めて消化して、
心の状態が良くなるといい。

娘の一歩。わたしも一歩。

うつ病も摂食障害も病状は行ったり来たりだけれど、
家族の関係だけは安定とあたたかさ、幸福感でいっぱいにしたい。

娘と夫、そして自分を愛するために休む。

休むのは悪いことじゃない。

娘が今日も楽しく過ごしてきてくれますように。

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