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『こどもたちはまっている』『ちへいせんのみえるところ』④ー漫画集団って何だ?

暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?さてさて、8月ももう終わり。最終週の今回は、かなりディープな話が展開されていきます。絵本作家さんと漫画の意外な関係が明らかに…!あなたの好きな絵本作家さんの名前も登場するかも??

「漫画集団」とは??

テン:『ちへいせんのみえるところ』ビリケン出版の方は1600円やん。エイプリル出版のは980円って書いてある。

ナナ:ひょ~!

マヨ:だいぶ値段がちがうなぁ。

テン:エイプリル出版の方の著者紹介のところに、「漫画集団所属」って書いてあるけど、これはなんやろう?

ナナ:漫画集団?長さんは漫画家だったけど…。

テン:(Wikipediaで調べる。)お、アメリカのナンセンス漫画みたいな『大人漫画』を描く集団やって※。

※「漫画集団(まんがしゅうだん)」とは、日本の漫画家の団体。アメリカのナンセンス漫画の影響を受けた、いわゆる「大人漫画」を描く漫画家が中心の団体でした。新聞や一流雑誌を舞台とした、漫画集団メンバーを中心とする大人漫画の流れは、1960年代に少年漫画や劇画などのストーリー漫画が漫画人気の中心になるまでは、漫画の本流とされていました。
かつて日本の漫画界は、個人的な繋がりによる任意のグループを結成し、そのグループを通じて仕事を請け負うことが一般的でした。昭和初期における主なグループには、「日本漫画会」(北澤楽天、岡本一平、池部鈞、水島爾保布、田中比佐良、宮尾しげを、前川千帆ら)、「漫画連盟」(麻生豊、宍戸左行、下川凹天、小野佐世男ら)のほか、村山知義、柳瀬正夢、須山計一らいわゆる「プロレタリア漫画」のグループ、田河水泡、松本かつぢら児童漫画のグループがありました。
主な出版メディアはこれらの漫画団体に独占されていて、若手はチャンスが巡ってくるのを長く待つほかなく、新奇な作風のものを発表する機会にも恵まれませんでした。そんな中、杉浦幸雄と近藤日出造の2人を中心に、当時無名だった若い漫画家たちが集い、「新漫画派集団」を結成しました。「新漫画派集団」は業界に驚きを歓迎を持って受け入れられ、知名度と人気を獲得していきました。その後乱立や統合を経て、戦後、「漫画集団」と名を改めて再発足し、新進の雑誌や新聞を舞台に、漫画界の主流派になっていきました。
1950年代には、合同プロダクションの機能は失われ、1964年に日本漫画界の職能団体として「日本漫画家協会」が発足して以降、「漫画集団」は協会内の親睦グループとしての性格を強めていきます。1960年代以降、手塚治虫、赤塚不二夫、石森章太郎、藤子不二雄、上村一夫、ちばてつやら、主に少年漫画や劇画などのストーリー漫画で活動する漫画家たちが、相次いで参加しました。(以上Wikipediaより)

マヨ:そんな仕組みやったんか。

テン:(Wikipediaを読みながら)前史に出てくる、柳瀬正夢は、戦前のロシア絵本の収集家のひとりやね。あと、村山知義も同じ「プロレタリア漫画のグループ」やって。へー!

ナナ:え、村山知義って童画家※の人よね?

※「童画(どうが)」とは、子ども向けの絵画のことで、特に、大正時代に童話や童謡などの児童文学の台頭の影響を受けて成立した、児童文化に属する絵画の一分野を指します。それを描く人を「童画家」といいます。それまで軽んじられてきたジャンルに、「童画」という名称を与えて芸術的価値を向上させたのは、まさに童画家として有名な武井武雄でした。ほかに初山滋、川上四郎、岡本帰一、村山知義、清水良雄などがいます。

テン:そうそう、『子供之友』(婦人之友社)とかの絵雑誌※のね。でも"MAVO"※っていう抽象芸術のグループのメンバーでもあるよ。柳瀬正夢もそう。

※「絵雑誌」とは、明治後期〜大正時代に台頭した、子ども向けの絵(童画)入りの雑誌。戦後の日本の絵本文化の下敷きとも言えます。『子供之友』(婦人之友社)をはじめ、『赤い鳥』(赤い鳥社)、『金の船』(金の船社)など、それぞれ個性ある絵雑誌が人気を博しました。
※"MAVO(マヴォ)"とは、戦前日本のダダ(ダダイズム:既成の秩序や常識に対する、否定・攻撃・破壊といった芸術思想・芸術運動)のグループ。日本のダダ運動の先駆をなしました。(Wikipediaより)

ナナ:へぇ~。漫画家でもあり絵本作家でもある同世代の人と言えば、井上洋介※さんとか、馬場のぼる※さんとか…。そのあたりの人たちは関係ないの?

※井上洋介さんは、『でんしゃえほん』(ビリケン出版 2004年)や『くまの子ウーフ』シリーズ(ポプラ社 2001年〜)の挿絵で知られ、馬場のぼるさんは、漫画家としては元より、『11ぴきのねこ』シリーズ(こぐま社 1967年〜)でも人気の絵本作家です。

マヨ:(Wikipediaでメンバーを調べる。)赤塚不二夫!手塚治虫!

ナナ:最初からすごいな(笑)

マヨ:あ、井上洋介さん入ってるね。

ナナ:馬場さんもいる!

マヨ:東君平もいる!

ナナ:みんな絵本の人だね。

マヨ:柳原良平や…。

ナナ:岡部冬彦だ。『きかんしゃ やえもん』(岩波書店 1959年)の画家だよね。『ちびくろ・さんぼ』(岩波書店 1953年 のちに瑞雲舎より復刊)の絵もか。
言われてみれば、漫画っぽいっちゃ漫画っぽい。

テン:漫画ー絵画ー絵本って色々繋がるね。

ナナ:そうそうたる面子だね。漫画から前衛芸術の方にいったり、絵本方面いったり…。

テン:うんうん。

ナナ:これは…どんどん沼にはまっていくね。深すぎる。

テン:かなり前衛的やけど、同じ漫画から絵本ってルートでも、ガロ系※ではないんやなぁ。
しりあがり寿とか、タイガー立石とか、佐々木マキとかみたいな…。

※「ガロ系(ガロけい)」とは、かつて青林堂が刊行していた漫画雑誌『ガロ』に掲載されていたアングラな漫画作品、ないし、その作家である個性派の特殊漫画家、またその作風を指す表現。(Wikipediaより)

マヨ:あっ、そうなんや!佐々木さん※はガロ系なんや!

※佐々木マキさんは、『やっぱりおおかみ』(福音館書店 1977年)、『ぶたのたね』(絵本館 1989年)シリーズなどで人気の絵本作家ですが、元々は実験的な作風で人気の漫画家でした。


漫画家から絵本作家へ

テン:『ちへいせんのみえるところ』ってさ、いったん絶版になったけど、なんか絵本編集者さんが『別冊太陽』(平凡社)かなんかで取り上げて、再評価されたんやったっけ…。

マヨ:そうそう!誰やったっけ~。埋もれてたけど…てやつなぁ。

ナナ:小野明さん??

マヨ:そんな気もするなぁ。

テン:やとしたらさぁ、今回の『東京人』で対談してるの、まさに小野さんじゃない?(笑)

マヨ:小野明さん(笑)

テン:やんな(笑)

"長さんはめっちゃ絶版になるんだよ"って話もめっちゃおもろかった。

マヨ:うん、めっちゃおもろかった(笑)

ナナ:なんでもかんでも出すから…みたいな話ね(笑)

マヨ:ネームバリューあるから出せるけど…って(笑)

テン:絵本編集者のさ、澤田精一さんの本『ひそませること、あばきたてること』(現代企画室 2014年)に、井上洋介さんとの対談があるね。「戦後漫画のもう一つの水脈―井上洋介」。

…長新太、井上洋介、真鍋博、久里洋二あたりの人が「芸術漫画」って呼ばれてたみたいよ。

マヨ:漫画から絵にいったひと、漫画に残った人、絵本にいったひと…。

ナナ:ちなみに真鍋博さんは、わたしの研究する林明子※さんの師匠だよ。

※絵本トークvol.1〜4『はじめてのおつかい』の絵を手がけた絵本作家。

マヨ・テン:えーっ!!!

ナナ:真鍋さん、漫画家だったっけ(笑) あれ?イラストレーターだと思うけど。

マヨ:手っ取り早く入れるのが漫画やったんかな、その頃って。

ナナ:あぁ~、時代がそうだったんかもね。

テン:漫画をベースにして、他のいろんな美術があったんかな。

マヨ:表現方法として、すごいこう、メイン…じゃないけどそういう感じで。

ナナ:結構大事な位置にあったんやろね。表現媒体として主流やったんかもね。

テン:特に戦後かなぁ。

マヨ:確かに、紙とペンがあれば描けるもんね。物資が無い時代だとしたら、入りやすいかもね。

テン:漫画から、絵本を追究したひとも一定数やっぱりおるんやね、佐々木マキもそうやし、長新太もそうやし。

ナナ:井上洋介、馬場のぼる…。

テン:なんで絵本やったんやろな。

マヨ:表現方法としてしっくりきたってことなんやろな~。


かつては、漫画が美術史の中で重要な位置を占めていたことがわかりました。もしかすると、漫画が、当時主要なメディアだった新聞に連載されていたことも関係しているのかもしれません。そこから新たな表現手段として、絵本という媒体を選択した漫画家たちが、名作絵本を生み出し、現代に続く日本の絵本の歴史を紡いできたのですね。漫画と絵本…似て非なる芸術ですが、意外なつながりがあったんだなぁ。マヨ.7の絵本研究に、新たな視点が加わった有意義な回となったのでした。

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