見出し画像

俺はド田舎生まれサブカル育ち

悪そな奴は大体苦手です。
どうも、さっちゃんです。エッセイもどきです。
いかつい先輩ヤンキーたちに囲まれる学生時代でしたが、そのお陰(?)か同学年以下のヤンキーはあまり怖くありません。

さて。私は生まれも育ちも鳥取なのですが、最近こそともかく私の学生時代は文化資本というものが全くもって発達していなかったように感じておりました。近所のTSUTAYAもなくなったし。
私は父の職業柄、インターネットに触れたのが比較的早かったため、小〜中学生の頃にはすでに「鳥取の外にはこんな夢のような文化があるのか!」とワクワクしながらインターネットチャットをしてみたり、SNS運用してみたり、あるいは動画を観たり調べ物をしたり、と今では当たり前なことを、田舎では先んじてやっていました。憧れと少しばかりの優越感を抱きながら楽しんでいたような気がします。
デュラララチャットとか生きてるんかな?生きてるか。
そしてあまりにもオタク気質だったので、中学入学頃と同時にサブカルチャーの沼にどっぷりと浸かりましたが、その時に今の活動の土台となる出会いがたくさんあったように感じます。
小学1年生の時友人宅で初めて読んだドラゴンボールから始まった漫画・アニメ好き、そこで絵を描き始めた上にインターネットカルチャーを経由してアニソンやボカロにハマり、バンド音楽に出会ってバンド始めちゃう…みたいなまさにサブカルの権化みたいな生き方をし、いわゆる黒歴史のようなものを生産し続けるマシーンと化した私を止められるものはいません。オタクとレッテルを一度貼られてしまった以上覆すことは難しく、開き直ってはっちゃける悪循環に陥ってしまいました。そこで高校デビューに賭けバンド音楽を聴き漁ったりもしていました。
しかし、当時はそういったオタク的サブカルチャーが受け入れられがたい土壌だったので、それなりに排他的な扱いをされたと思います。それ以上に振る舞いの問題もありそうですが…。

閑話休題。

中学半ばから高校生にかけて、鳥取は田舎すぎて文化資本に乏しい!ということを強く主張するようになりました。その頃にはインターネットが少し身近になり情報収集の幅が広くなっていたため、先述したものたちから更に深堀りすることが可能に。そうなると再び私を止められるものはおらず、気付けば戻れないところまでサブカルチャーの深海へレッツダイビングしてしまったわけです。
ただ、前述の通りここは鳥取。周りを見渡せば見渡すほど自分の周りにあるカルチャーたちは他の人たちに浸透していないことに気付いてしまいます。

先に述べておきますが、決してそれが悪いこととは思いません。あくまで趣味嗜好の話であり、個々人が楽しければそれでいいのです。

端的に言えば、私はその社会に馴染めませんでした。この街でそういったサブカルチャーの話題を出すのはやめようと思うくらいには。まさにカルチャーショック。
そして図らずもそれは、私自身の人生を大きく変えることとなるのでした。

というところで続きは次回へ。
ぜひぜひフォローよろしくお願いいたします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?