見出し画像

人生に大事なことは、すべて「ママレード・ボーイ」が教えてくれた

先日、友人とカラオケへ行き、友人が歌っていた歌詞を見ながら「なんか、親の視点と子どもの視点、どっちから見てもいい曲だね」と言ったら、

「私、自分の視点以外になったことがないから、その感覚はわからない」

と返ってきた。

視点が変わらない、という感覚が私には逆によくわからない。

子どもの頃、マンガを読み人間関係を学んでいた。
特に「ママレード・ボーイ」が大好きで、かなり熱心に読んでいた。

私立の中高一貫校に通う男女が友情や恋愛、家族との関係を通じて多感な思春期を過ごす学園ラブストーリーである。

ママレード・ボーイみたいにエスカレーター式の学校に憧れ、過酷な中学受験を乗り越える際の心の支えとしていたくらい、入れ込んでいた。

もはや、勝手に登場人物の一員になっていた節もある。(もちろん、モブとして)

さて、このマンガの素敵なところは、登場人物の全てが魅力的なところである。

実は私は主人公の小石川光希に感情移入できたことはないのだが、親友の秋月茗子に憧れを抱いていた。

小石川光希は、少女マンガに典型的なドジっ子、直上型で素直ないい子である。テニスが大好きで、勉強は苦手だか友だち思い。トレードマークのポニーテールがよく似合う。※私がいつもポニーテールなのは光希の真似をしているから、ではないです。

今となっては私が男なら確かに付き合いたいタイプである。

彼女の親は、(日本では非常識だがフランスあたりでは普通なのかもしれない)なんと4人いる。
両親s、とポップな呼び方を作中ではしているが、現実にこのような家庭があったら複雑すぎて子どもへの影響が計り知れない気もする。

両親が学生時代に4人組のグループ交際をしており、当時付き合ってた頃と同じパートナーに戻ろうと、ある日突然、決めたらしく、子どもを連れてみんなで暮らすことになった。
(つまり、元カレと再婚する、という意味です)

ステップファミリー進化版である。
やっぱり90年代のりぼんは、攻めている。
シングルマザーの親が出てくるマンガもあと2作品あった(「こどものおもちゃ」「ご近所物語」)。

家族の在り方を訴えていたのかもしれない。

話を戻すが、その連れ子がお待ちかねの、みんな大好き遊、もとい松浦遊である。

この男の子がまぁ、美形。そして、おっさんが中に入ってるのかと思うくらい落ち着いてて、この世の親がこうあって欲しいと抱く少女像そのものの光希を手のひらで転がしながら、微笑ましく見守るポジションで交際するのだ。

ザ・大人の男!(高校生です)

さて、他にも金持ちでお屋敷に住み、お手伝いさんまでいるけど、仮面夫婦の両親のもと本だけが心の拠り所である、秋月茗子(光希の親友)ですが、これまたすごい。親が日々互いを罵り合うほどに不仲で、精神を病んでいる。影のある美女です。もちろんロングヘア。

私は仮面夫婦の意味を小学生でこのマンガによって知りました。

それだけでなく、茗子はなんと!
高校の英語教師と駆け落ちし、その後に田舎で暮らしながら小説家になっちゃうんです。

ヒェー!
淫行やないか。

今調べたところ、なっちゃんこと名村慎一と茗子は高校の図書館で出会ったそう。確かにそんなシーンがあったような……。

8歳違いの茗子と恋をしたことについて「まいったなあ おれロリコンかなあ」とぼやきつつ真剣に愛している、とのこと。

何度も言いますが、ロリコンだし、淫行です。
純愛の名のもとには、法律など意味をなさないのですね。

他にも、とんでもない美少女の鈴木亜梨美という遊の元カノ(たぶん、お付き合いは中学生の頃。おませですね)が、現れます。

亜梨美さん、なぜかすんごい影を背負ってます。
ぴえん系ではないものの、光希と比較し、健康的な明るさはない。むしろ暗い。こんな美人なのに、なぜ……。

茗子もだが、作者の吉住先生は美人に世の中の苦労を背負わせる傾向がある。何か現実世界で美女に対し思うところでもあるのでしょうか、、、。

ピアニストの土屋蛍くんという男の子も美形で、佐久間すずちゃんという女の子も、まさに広瀬すずそのものの顔してました。

みんないじわるをしますが、光希の人の良さに触れ、どんどんいい子になっていき、懐いてきます。

そう、光希は、名前のごとく、みんなの光であり希望の役割を物語のなかで担っているのです。

終盤、事件が起き光希が闇堕ち。マンガから光が失われます。それまでニッコニコだったのに、表情がずっと変わらず、シリアスな空気。

別のマンガに変わったのかと思うほど、暗かった。
主人公の明るさに支えられて、展開してきたマンガだと読みながら実感していた。

ちなみに、最初の話に戻るが「視点を変える」という事について。

ママレード・ボーイのキャラは、全員生きていたのだ。
私は小学校に馴染めなかったクチなので、このマンガの中で学校生活を送っていた。

しかし、現在世界と違うのは、自分が居ない場所で、他のキャラが何を考えているのか知ることが出来ることだった。

茗子と光希がケンカするシーンもあった。
遊と光希が行き違い、もどかしい展開もあった。
光希にフラれた銀太が、光希の前では笑顔だけど影では涙目になってたのも。

自分の目に映る出来事がすべてではない、ということをこのマンガで私は学んでいた。

逆に、自分の思いだけを押し付けることも、相手には迷惑なこともあると知った。

行き違いがあっても、誤解かもしれないと思う視点を教わった。

怖くても真正面から向き合えば、人は心を開き、和解できることも描かれていた。

私にとって、「視点を変える」教科書は、ママレード・ボーイだったのだ。

だから、極上のマンガはどんどん読んだ方がいいと思っているし、子どもにも読ませたい。

りぼんが好きで好きで好きすぎて、発売日の前日、眠れなかった。0時になった瞬間に本屋さんに買いに行けたらいいのに! と思いながら眠り、話の続きを頭の中で妄想していた。

学校に行っている時間も、もどかしくて、走って帰ってきて、なけなしのお小遣い420円を握りしめて近所の本屋に駆け込んで、帰宅後トイレに行くのも我慢しながら貪り読んでいた。(膀胱炎になるからトイレには行け)

あの頃は夢中だったな……と書こうとしたが、今もあんまり変わらないという。

違うのは、全巻一気買いできる経済力がついたことだけである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?