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2歳4ヶ月の娘からまなぶ「やさしさ」について

2歳4ヶ月の娘と過ごす毎日は本当に楽しい。親バカであることを承知の上でいうけど、娘はとてもよくしゃべり、こちらの言うこともわりと理解しており、そこそこ賢いのではないかと思う。

最近の私はなにかと考え込むことが多くて、わかりやすくいうと自己肯定感が低くなっているのだが、数日前に娘を寝かしつけるために二人で布団に入っていたときのやりとりがコレ。

会話を楽しんでいる娘に「おなかすいた~」とか「ねむたい~」とか話しかけると「だいじょうぶ?」「◯◯ちゃんがごはんつくってあげるよ!」などと、彼女なりの『正解』を導き出して答えてくれる。これが結構心地よいので、私はなぐさめてもらえることを期待して、娘に弱音を吐いた。とはいっても「よしよし」とか「がんばれ」とかそれぐらいのレベルのものを想像していたので、まさか「泣いたら、笑顔になるんじゃない?」なんて哲学的な回答を2歳の娘にされるなんて思っておらず、動揺した。動揺ついでに少しだけ涙が出た。娘は泣いている私に気付いたのか気付かないのかよくわからないけど、泣いていることについては見事にノーリアクションだった。2歳の心は秋の空もびっくりの速さで移り変わる。

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プロ保育園児の娘の成長が著しい。娘はいまのところ保育園ではしっかり者ポジションのようで、先日行われた発表会でも誰よりも真剣にダンスを覚えて、フォーメーションや段取りも完璧だったので、「◯◯ちゃんに助けられました~!」と担任の先生に言っていただいた。当日は保護者が多くいるという状況に号泣していたのにもかかわらず、演目が始まればほぼ完璧なパフォーマンスを見せて大人たちを驚かせた。音楽が流れた瞬間に俊敏な動きで場ミリの位置を確認して移動したのは笑った。おもろ真面目である。

半年前の自宅保育期間に、公園で同じ園の1つ上の学年のお姉ちゃんとよく遊んだ。1歳半の娘はまだあまり言葉を喋ることはできなかったけど、言葉は通じる方だったからか、お姉ちゃんも娘をとても可愛がってくれているようで、「◯◯ちゃ~~ん!!」と声をかけて元気いっぱい遊んでくれていた。とはいえ1歳半なんて今思えばまだまだ赤ちゃんで、遊んでもらっていることに感謝なんてするわけもなく、唐突に一人で遊び始めるので、面倒を見たいお姉ちゃんが不貞腐れてしまったり、娘が手をつないでくれないことに悲しんでしまったり、親としてもハラハラすることもあった。とはいえ、0歳の頃の本当に何もできなかった頃に比べればなんて楽になったのだろうと感動したのだけど。

お姉ちゃんに遊んでもらいながら、「いつか娘も年下の子と遊べるようになるのだろうか」と考えていた。この世は循環社会である。自分が奢られたら後輩に奢っていかなくてはいけないように(?)、与えてもらったやさしさを与えられるようにしなきゃいけないなぁとぼんやり思っていた。子育てというのは、自分ができないことを棚に上げて、子どもになにかさせなきゃとまるで使命のように思うことが多い。

そんな娘に、後輩ができた。0歳児クラスの可愛らしい女の子である。公園で「あー、△△ちゃああん!!」と駆け寄っていった後ろ姿は、そこそこ頼もしかった。私はその子を知らなかったのだけど、その子のママは娘のことを知ってくれていた。余談だが、娘は誰がどの子の親かを把握しているので、誰かの親が迎えに来ると「□□ちゃん、お迎えだよーー!!!」と大きな声で教室に告げる役をやっているらしく、保護者の中で娘の存在は知られている。△△ちゃんのママは「娘に似ているなぁと思って、いつも見てるんです」と話しかけてくれた。確かに顔の雰囲気が似ていて、私も懐かしい気持ちになった。

とにかく△△ちゃんの世話を焼きたい娘は、すごかった。「滑り台、すべろー!」と言って一緒にのぼり、前をゆずり、肩にそっと手を添えて、すべる。すべりおわったらまたすべるために一緒に坂をのぼる。手をつなごうと必死である。少しでも△△ちゃんがよろめこうものなら、すかさず「だいじょうぶ?だいじょうぶ?」と顔を覗き込んでいた。愛が重い。

ボール遊びもお手の物である。△△ちゃんはボールは投げられないから、そっと渡して遊んでねと伝えると、真剣な表情で「はい」と返事をして、そっと渡しては△△ちゃんが落とすボールを拾いに行っていた。途中で△△ちゃんがボールを遠くに投げてしまい、その勢いで膝をついてしまったときには、一瞬ボールを取りに行くかをあきらかに躊躇ったあとで、△△ちゃんにかけよって「だいじょうぶ??」と聞いていたのは笑ってしまった。やさしい。

感情が、育っている。「やさしさ」ってどうやって身につけるものなんだろう?と、娘を見ていると不思議な気持ちになる。娘は理解力があるように思うので、周りの真似をすれば、大人に「すごいね」と言われることに気付いている。私も夫も、「すごーい!」となんでもかんでも馬鹿みたいに褒めるタイプなので、褒められることは彼女の原動力になってしまっているのではないかと考える。

育児書では、『褒められるために頑張る子にならないために、具体的な内容を褒めてあげるようにしましょう』ということが、よく言われている。私はそれの呪いにかかってしまっているようで、素直に褒めたい、語彙がない、すぐ反応したい、などの自分自身の気持ちと、かつて読んだ育児書の『正しい育児』が頭の中でぶつかることが最近増えてきた。具体的に褒めるってなんだよ気持ち悪いな、と今でも本音では思っている。でも、なんでもかんでも「すごい!」「えらい!」「天才!」で果たして良いのだろうか、とも考えてしまう。でも褒めることを我慢するのは、嫌だ。

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最近物事を難しく考えすぎているのかもしれない。私の語彙がなくて、しょうもない褒め方しかできなくても、娘は私にやさしい。育児も仕事も人生も、どうにも私は「こうしたい」と「こうしなきゃいけない」が強すぎて、目の前にあるものを軽視してしまいがちである。こんなにすくすく育ってくれている娘が、「おかあさん、だいすき」と笑ってくれるのに、好きでもない涙を流したってしょうがない。いや、でも、泣いたら笑顔になれるかもしれないから、それはそれで良いのかもしれない。

#やさしさにふれて

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