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青井町役場戸籍係の日常【1】


あらすじ
 ある地方の片田舎にある「青井町」。町役場の市民課で戸籍係に配属されて3年目の主人公のもとには、様々な悩みや問題を抱えた一風変わった町民が訪れる。頼れる上司や先輩の手を借りながら過ごす日々を描く『お役所小説』

【登場人物】
私            :主人公。戸籍係歴3年。30歳を目前に控えた女性。
係長        :戸籍係の係長。冷静で頭が切れる。
先輩        :戸籍係歴5年。クール。
西村さん:証明発行窓口担当。おしゃべり好き。
松井昇一:市民課の常連。生まれも育ちも青井町の自称「青井っ子」


役所には、毎日様々な人がやってくる。
若者からお年寄りまで、年齢も来庁する理由も十人十色。怒り狂いながら来る人もいれば、何を考えているかわからない無表情な人もいる。しかしそれでいい。一般的な商店と異なり、基本役所に毎日来る人なんていない。確定申告などで年に数回来ることはあるだろうが、それでも基本その場限りの関係なのだ。役所の人間も、一々窓口に来た人のことを全員は覚えていない。
しかし、稀に毎日役所に訪れる所謂「常連さん」がいる。
役所の磁場が気に入ったとかで、自作のアンテナを持ち込んで宇宙と交信を図る「UFOマン」、ギターを弾き語りしながら役所内を練り歩く「徘徊シンガー」など、用事もないのにやってくるのは、大概個性的な人だ。そして、そのほとんどにあだ名がつけられている。
窓口に根を張ったように彼是1時間近く話し込んでいるのが、我らが市民課の常連、松井昇一さん。あだ名は「アッコ」だ。

そんなアッコにつかまって話を聞いてあげているのは、市民課にもう何年いるのか分からない、超古株の西村さんだ。西村さんを含めた数名は、証明発行を主な業務とする窓口担当として配属されている職員で、私とはまた違った係に所属している。
「市民課は役所の顔」というのが、我らが市民課の課長のモットーだ。そんな重い看板背負わせないでくれ、とは常々思ってはいるのだが、確かに世間の人が抱いている「役所の仕事」は、市民課の仕事と似通っている。
市区町村によって若干の差や名前の違いはあれど、市民課は住民票や戸籍を作ったり、それを発行したりするのがメインの仕事だ。もっと細かいことを言いだすときりがないので省略するが、大雑把に言うとそんな感じ。
私が所属するのは、戸籍の編製やそれに関する業務を担う戸籍係。この係に配属されて早三年になる。同じ係にいるのは、戸籍係歴10年目、大ベテランの係長と、配属5年目の先輩職員の計3名。一番下っ端でバタバタしながらも、頼れる二人に支えられて何とかやってきた。


さて、もうすぐ定時の17時に近づいているが、松井さんの話は終わりが見えない。ほかにお客がいないのをいいことに、くだらない話がずっと続いている。

「あ、そうそう!今日はちゃんと用事があったんよ」

このまま雑談で終わると思っていたが、松井さんは急に真面目な顔で大声をあげた。

「そんなこと言って……そう言っていつも用事なんてないじゃないですか」
「いや、今日は本当!俺ね、家系図っちゅーもんを作りたいんよ」

窓口のカウンターから少し離れた自席で仕事をしていた私の手が止まる。表情こそ崩していないが、私の隣の席の先輩もキーボードをたたいていた指が一瞬止まった。私と同じように、聞き耳を立てているようだ。

「家系図」。我々市民課、より詳細に言えば私の所属する戸籍係にとって、切っても切れない存在。そして何より、こんな時間に一番聞きたくない言葉。

「んで、調べたら家系図を作るには戸籍を取らんといかんって聞いてな。俺の一族はずっと青井町におるし、本籍も青井やし……ここで取れるんやろ?」

松井さんは生まれてから今までずっとこの青井町で暮らしており、自分を「生粋の青井っ子」と呼んでいる地元民だ。あだ名のアッコは、その青井っ子からきている。そんな松井さんは、

「ま、今日は時間無いからまた明日来るわ!」

と、申請書だけ書いて帰ってしまった。こういうお客は一定数いる。うちとしては、レジの締め作業もあるし、できれば今日来たお客さんの清算は今日済ませてしまいたい。けれど、こうなってしまってはもうどうしようもないので、潔くあきらめる。長時間の話し相手をして、疲れ果てている西村さんの手から申請書を抜き取り、目を通していく。
必要なのは、松井さんを起点に、家系図を作るための戸籍、ということだった。家系図用となると、松井さんから始めて父母の代、祖父母の代と、戸籍をさかのぼっていくことになる。口で言うのは簡単だが、これが結構骨が折れる作業だ。要は松井一族の戸籍を遡れるだけ遡るという事だ。いくつ発行できる戸籍があるのか、やってみないと分からない。今から始めるとなると残業は確定だ。私の後ろから申請書を眺めていた西村さんを振り返る。

「西村さん。あとやっとくんで、今日は定時で上がってください」
「えっ!いいの?」
「いいんですよ。この間お菓子くれたじゃないですか、そのお礼です」

先月、西村さんの旦那さんが職場でもらってきたホワイトデーのお返しのおこぼれを頂いたのだ。高級ブランドのチョコレートは、普段激安スーパーで買う大袋のチョコレートとは一味違って、お酒の味がしっかりする大人の味だった。
「何か高い味がする」
と、その時の私がした馬鹿舌丸出しのコメントに、西村さんは笑いながら後頭部を軽く小突いた。
今日の残業は、その高い味の御礼なのだ。

しかし、せめてあの雑談をせず、早々に家系図の話を切り出してくれていれば、残業時間も短くて済んだのに。まあ、どうせ松井さんだから雑談しに来ただけだろうと高をくくっていたこちらにも非はあるが。
とりあえず自席に戻り、申請書を片手に腰掛ける。隣の席の先輩は視線をこちらに向けることなく

「また仕事貰っちゃって……」

と聞こえるように言って大げさにため息をついてきた。

「いいんです。この間おやつ貰ったお礼なんで」
「ちゃっかり餌付けまでされてるのか」

相変わらずこちらを見ることなく、指はものすごい速度でキーボードをたたいている。相変わらずクールな人だ。先輩は仕事はできるし、頼りになるけど、本人曰く他人に興味が無いらしい。他人に時間を割いて、自分の時間を削りたくないと常日頃からぼやいている。

「今日残業なの?手伝うよ」

反対側の隣の席から、係長が覗いてくる。

「大丈夫です。今から取り掛かれば、そんなにかからないと思うんで」
「そう?じゃあちゃちゃっと始めちゃいな。残りの雑務はやっとくから」

そう言って係長は、私の机から書類の束を取った。先ほどまでやっていた書類整理を肩代わりしてくれるようだ。お言葉に甘えて、さっそく松井さんの戸籍を調べ始める。現在は戸籍は全てデータ化され、専用のパソコンで検索して探せるようになっている。一昔前なら一枚一枚紙をめくって探していたと思うと、この時代に生まれてよかったと思う。あらかたの戸籍を発行し終えるのと同時に、終業の鐘が鳴った。
ざわざわと周囲が賑やかになっていく。
各々が机上を片づけたり、レジ締めを始めたりと、帰り支度を始めていく。
隣を見ると、先輩の机はすでに綺麗さっぱり片付いており、先輩の姿もなかった。
相変わらず、お早いご帰宅だこと。

ふと、自分の机の端に置いてあるものが目に留まる。銀色の紙に包まれたチョコレート。いつも、隣の席の先輩がつまんでいるものと同じ包だった。残業のお供に、と言うことなのだろう。


周囲の人気がまばらになり出した頃、プリンターの用紙トレイを開き、A3の白紙を取り出す。戸籍謄本で溢れた机の真ん中にスペースを作り、用紙を広げた。

「えーっと、まずは松井さんを……」

用紙の下の方に、松井さんの名前を書く。次に戸籍を見ながら、彼の両親の名前を書き加える。そうして用紙に次々名前や線を書き加えていくと、だんだんと家系図らしい形になっていく。

正式な家系図は戸籍を見ながら松井さん本人か、依頼してなんちゃら書士が作るのだろう。これは松井さんに説明するためのいわばカンニングペーパーだ。そしてこの作業をすることで、赤の他人の戸籍を間違って発行してしまうことを防ぐ効果もある。

「ん?これより前の戸籍がありそうだな……」

あらかた発行し終えたと思っていたが、やはり漏れがあった。戸籍を発行して再びにらめっこを続ける。昔の戸籍は手書きで書かれているため、当時の職員の書き癖に戸籍の出来、クオリティが左右される。何度この難解な文字に泣かされ、振り回されたことか。頭をひねりながら、何とか家系図に落とし込む。
作業を開始して数時間、辺りはすっかり暗くなり、他の課の残業組もまばらになっていた。思ったより時間がかかってしまった。大きく伸びをして、深く息を吐く。何とか形になった家系図と戸籍の束を見て、満足する。そういえばと、先輩が置いて行ってくれたチョコの包を開ける。私の好きなイチゴ味のチョコ。他人に興味ないとか言いながら、何気なく話したこういうことはちゃんと覚えてる。本当、素直じゃないんだから。

翌日、再び窓口に松井さんがやってきた。悪びれた様子も無く、ニコニコと西野さんと談笑している。後ろから西野さんの肩を叩き、席を譲ってもらう。相変わらずニコニコしている松井さんの前に戸籍謄本の束を差し出した。
パラパラと戸籍をめくりながら、誰が誰の何なのかを簡単に説明していく。

「この泰造さんという方が、あなたから見て父の父の母の父になります」
「ほう……」
「で、この泰造さんの長女、ヨネさんがあなたの曾祖母に当たる人で、5歳の時に養子縁組して、そのあと曾祖父の幸吉さんが婿養子になっています」
「へぇ……」

最初は一生懸命聞いていた松井さんも、後半は空返事になっていた。大体の客はあらかた説明し終えると、みんな頭がパンクしているような、呆けた表情になる。そりゃそうだろう。松井さんも例外ではなかったようだ。

でも、家系図作るって言ったのはあんただからな。


大体の説明を終えると、松井さんはすっかり疲れ果てていた。きっと今頃、頭の中は出会ったこともないご先祖の名前で溢れかえっていることだろう。

「俺は顔も名前も知らねえけど、確かに俺の祖先にこういう人らがいたんだもんなぁ」

松井さんが、誰に言うでもなくぼやいた。
そう。戸籍を見ることは、自分のルーツをたどることだ。自分の知らない、けれど確かに存在した祖先たち。彼らと会えるのは、戸籍の中だけなのだ。

「で?松井さん、何で急に家系図作るなんてことになったの?」

西村さんがひょこッと顔を出して尋ねる。
フランクに話しているが、松井さんと西村さんは小、中学校の同級生らしい。実家もご近所で、所謂腐れ縁というやつらしい。

「いやぁそれがさ、こないだテレビでファミリーヒストリー見てよ、俺も家系図作ってみてぇなって思ってよ!」


……頼むから、思い付きでそんなことやろうと思わないでくれよ。



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