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青井町役場戸籍係の日常【5】

【登場人物】
私  :主人公。戸籍係歴3年。30歳を目前に控えた女性。
先輩 :戸籍係歴5年。クール。
源さん:宿直室に勤めるベテラン。


「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます、今年もどうぞよろしく」

三が日明け、1月4日の早朝。
まだ人気がない役所の宿直室の前で、新年の挨拶を交わす。
相手は私が役所に入るよりずっと前から宿直室にいる、源さんだ。軽い挨拶が終わると、源さんは徐に大きめの箱を宿直室から持ち出してくる。

「ほい。じゃあこれ、休みの間の分ね」
「……ありがとうございます」
「まあ、頑張りな」

これほどまでに中身を見たくない箱には、今後早々お目にかかることはないだろう。宿直室からトボトボと市民課へ向かう。まだ仕事は始まってもいないのに、心はもう疲れ始めている。
自席に箱を置き、一旦朝の準備を始める。パソコンの電源を入れ、プリンターの紙を補充する。カウンターを軽く拭き上げながら、インクの切れたペンがないか確認していく。しばらく人がいなかった役所のカウンターには、薄っすら誇りが積もっているような気がしてならない。なのでいつもより念入りに、綺麗に噴き上げていく。あらかたの準備を終え、席に戻る。軽く深呼吸して、意を決して箱を開けた。
この箱は通称「宿直箱」。
役所の閉まっている夜間や休日に出された戸籍の届出をしまう箱だ。毎日業務終了後に、宿直室にからの箱を持っていき、翌日の朝回収して中身を確認することになっている。
今は、12月28日の夜間から、1月4日の早朝まで、約1週間分の届出がこの箱に入っていることになる。
開けてまず目に飛び込んできたのは鮮やかな花が散りばめられたピンクの紙、婚姻届だ。夫婦のイニシャルが入ったもので、おそらく手作りだろう。その届出を筆頭に、パラパラと残りの届出をめくってみる。
ざっと数えて17件。1日2〜3件程度といったところか。休み前に先輩と2人で話していた予想と大差ない件数に胸を撫で下ろす。ここで予想件数を大きく上回ると、今日のモチベーションが下がってしまう。

だんだん周りの職員も出勤し始め、次第に周囲が新年のあいさつで溢れていく。こちらも始業前ギリギリに出勤してきた上司の元へ新年のご挨拶を済ませる。

手短な朝礼を終え、始業開始と同時に3人で分担して届書に不備が無いかを確認していく。書き漏らしが無いか、書かれていることが一言一句間違っていないか、うちの役所だけで分からないことは、他の役所に電話で問い合わせて確認していく。よそも同じことをしているのだろう。先ほどから各市町村からの問い合わせの電話が鳴りやまない。同時進行で戸籍を作る、または閉じるための準備をしていき、併せて住民票に反映させるものを隣の係と連携しながら進めていく。あちらからこちらへ届書と受話器が飛び交い、あっという間に時間が経過していく。

午前10時。ある程度届書の審査が片付き始めたころ。ここから私と先輩は再び受話器に手を伸ばし始める。今から掛けるのは他の役所ではなく、これらの届書を出した届出人たちだ。

宿直の窓口に提出された届出で一番厄介な作業は、届出人に電話をかけることだと私は思う。
政令市のような大都市では、宿直担当者がある程度の内容審査を行うこともあるそうだが、うちのような小規模自治体では大原則が「お預かりするだけ」である。そのため、記入漏れや誤り、添付書類の不足などが起こりうる。大抵は軽微なものなのだが、稀に受理が出来ない届出も存在する。年末から三が日にかけての届出は、日付を気にした届出が多い。特に婚姻届は最たる例だ。それが不備によって受理できないとなることは、イコール結婚記念日がその日ではなくなってしまう、ということだ。たかがそれだけの事、と未婚の私は思ってしまうのだが、それが一大事になってしまうカップルがいるのもまた事実なのだ。

そんなことをぼんやりと頭に思い描きながら、電話に出た届出人に、子供の入籍届に不足している書類の説明をしていく。

「2日に出していただいてるお子さんの入籍届なんですが、裁判所からの書類の添付が無かったもので……はい、それが必要なんですよ。はい……じゃあ明後日ですね、分かりました。お待ちしてます」

と同時に、隣の先輩の会話を盗み聞く。先輩の方は、どうやら審査していた婚姻届に致命的な漏れがあったようだ。1月1日に出されたものだったはずなので、結婚記念日をどうしても元旦にしたかったのだろうが、それは出来ないと伝えているのだろう。電話越しに文句を言っているであろう相手の声が聞こえてくる。淡々と対応しているが、あからさまにイライラしている先輩の左手を見て、そっと目を逸らした。


新年の山は、この宿直室の届出だけではない。
休み明けの役所というのは、単純に客足が多い。1週間も閉まっていればなおのこと、普段は閑古鳥の戸籍係も、この日ばかりは大繁盛になる。いい夫婦の日の日じゃないくらい客が来る。
しかも、いい夫婦の日はほとんどが婚姻届だが、正月休み明けは様々な相談が舞い込んでくる。それだけ仕事も煩雑になり、忙しさに拍車がかかる。
今日も朝から、出生から死亡までありとあらゆる届出が出され、養子縁組、離婚、入籍、転籍などなど、これでもかというほどバラエティに富んだ相談がやってきた。何故わざわざ今日来るのか。何人目かのお客から、待たせすぎだ!と怒鳴られたが、普段ならこんなに待つことも無いんだけどなぁと頭の中で思う。正月休み明けの役所なんて人が多いことは誰でも分かりそうなものだが、どうしても今日じゃなければダメな人は、いったい何人いるのだろうか。
午前中はほとんど休日に出された届出の審査と電話対応に追われ、午後からは怒涛の窓口ラッシュで、気づけば夕方になっていた。終業まであと一時間と言ったところか。さすがにこの時間になると、客足も落ち着き、電話もほとんど鳴らなくなった。つかの間の休息に自席で伸びていると、隣でぐったり背もたれにもたれる先輩と目が合った。

「……1週間分働いた気分だ」
「やっぱ何回やっても新年一発目は大変ですね」
「だから言ってるじゃん、この日が一番忙しいって」

先輩は1月のこの日が戸籍係の1番忙しい日だと毎年ぼやいている。確かにこなす窓口や届書の件数は圧倒的にこちらの方が多いだろう。
けれど私は、件数の多さはそこまで苦ではない。それよりも内容の濃さが苦になるのだ。膨大な数の届書を相手にするより、一組のカップルの恋模様を見せられそれに振り回されるほうが、よっぽど私の心は穏やかでないのだ。独身の僻みと言われてしまえばそれまでなのだが、何とでも言えばいい。私にとって1番(心が)忙しい日ランキングは、「いい夫婦の日」が殿堂入りしているのに変わりはないのである。

あらかたの業務を終えたと思っていたころ、再び点灯した戸籍係の番号を確認し、カウンターに向かう。
やってきた一人の女性に本日何度目かの笑顔を浮かべ、提携の挨拶を述べると、心底困った顔で相手は口を開いた。

「母の再婚相手と何度も養子縁組をしてて、名字が何度も変わってるんです。でも全員母とは離婚してて……もう関係ない人たちだから、私の名字も生まれたときのものに戻したいんです!」

前言撤回。
やはり正月明けも忙しいかもしれない。
結局戸籍係は、人様の恋模様に振り回される運命なのだ。

彼女の戸籍を見て、明らかに1、2回ではない名字の変更履歴に気が遠くなりそうな頭を振り、どう手続きしていくのが一番本人にとって都合がいいか、そして、残された時間でそれらをどこまで出来るのかを、頭の中で整理し始めた。

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