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青井町役場戸籍係の日常【4】

【登場人物】
私   :主人公。戸籍係歴3年。30歳を目前に控えた女性。
係長  :戸籍係の係長。冷静で頭が切れる。
先輩  :戸籍係歴5年。クール。
北尾さん:証明発行窓口担当。4月に入った新人。
前川さん:市民課の常連客。いつも主人公を訪ねて色々聞いてくる。


以前、役所には所謂常連さんがいるという話をしたと思う。
今日はそんな常連さんかつ、私の固定客が来ていた。

「でね。お隣の奥さん、この間ようやく退院してきたんだけど、病院でソーシャルワーカーさんから介護認定受けなさいって言われたみたいでね……」
「ああ、それだったら介護保険課で手続き出来ますよ。資料貰えるので、新田さんに渡してあげてください」
「そうなの?後で行ってみるわ。あと、この間テレビで言ってたんだけど、あの……何だったかしら、給付金がどうのこうのってやつ」
「非課税世帯の給付金ですかね?それだったら福祉政策課が担当なので……」

今日来ているのは前川さん。おしゃべり好きのおばあちゃんだ。
以前戸籍を取りに来た時、何をどうしたらいいか何も分からず困っているところを少し手助けして以降、何かにつけて窓口に来て私をご指名するようになった常連さんだ。最近は雑談を交えながら相談事を振ってくるが、そのほとんどが市民課に関係しないものばかりだ。

うちには総合案内という、役所全体の受付みたいなところがあるのだが、何分田舎なもので総合案内には日替わりで二人しか職員がいない。一人が代表電話の対応して、一人が来客対応していたら、次に来たお客はほったらかしになってしまうのが常だ。そんなお客はどうするかといえば、行き先が分かっている人はそのまま担当課に向かっていくが、困るのは分かっていない人だ。そんな人は大抵、一番近い窓口の市民課にやってくる。
ここだけに限った話ではないのかもしれないが、青井町の町民は、
「困ったらとりあえず市民課」と考えている人が多いように思う。

「いつもごめんねぇ、ながなが話聞いてもらっちゃって!じゃ、ちょっとあっち行ってくるわね!」

前川さんはそう言って介護保険課に向かって行った。そのあと福祉政策課によって帰るのだろう。その背中を見送って、私はカウンター前に再び腰かけた。

窓口でも電話でも、1日一回は「それはウチじゃないんだよなぁ……」という案件にぶち当たる。町民からしたら、役所という大きなくくりで物事を見ている。そこに所属する職員なのだから、どんなことでも誰に聞いても何でもわかると思うのだろう。けれど考えてみてほしい。普通の一般企業であれば、営業のことは営業に、経理のことは経理に聞くのが普通だ。経理の内容を営業担当に確認したり、営業のコツを経理担当に聞くことはないだろう。それと同じことなのだが、役所となると途端にその感覚が崩れてしまうように感じる。

一番困るのは、窓口に来るお客もよく分かっていない状態で来ることだ。お互いよく分かっていないから、どこに案内するのが正解かも分からない。こうなってしまっては大人しく総合案内に連れて行って正しい課に案内してもらうよう促すのだが、最初からこちらに行ってくれれば時間が短縮できるのになとはいつも思っている。

私たちも、畑違いのことは分からないのだ。同じ課でも係が違うだけで分からなかったりすることもある。私たちは戸籍係だが、住民票のことになればもう一つの係に質問しに行くこともあるし、逆もまた然りだ。
自分が過去に所属したことのある部署に関することならまだしも、まったく関連が無い課のことはてんで分からない。例えば、私は市民課に来る前福祉関係課にいたので、そちらに関することはある程度答えられるが、土木や水道に関することはからっきしだ。逆に係長は福祉関係課以外はまんべんなくいろいろな課を経験しているので、福祉以外はある程度のことは分かるらしい。先輩は市民課の前は教育委員会にいたので、そちらの方面にとても詳しい。なので窓口や電話で困ったときは、こっそり助けてもらっている。

市民課に異動してきたときは、市民課の仕事と合わせて役所全体のどの課がどのような業務を担当しているのかを頭に入れるのが地味にきつかった。何となくここじゃないかなと思っていたところが実は違ったり、内容によって細かく担当課が分かれていたりと、色々複雑なのだ。何でこんなことしなきゃならんのだと当時は憤慨したが、今その知識は大いに役立っている。行き先の分からない人に行き先を示す手助けをするのに、市民課では必須スキルなのだ。

ふと横を見ると、隣の窓口では北尾さんがおじいちゃんと話していた。
おじいちゃんが何やら訪ねているが、北尾さんの表情が明らかに困惑している。助け船が必要かな?と思い席を立とうとすると、不意に北尾さんが何かを相手に説明し始めた。すると相手は数回頷き、席を立ってどこかへ行ってしまった。
ありがとうございました、と丁寧に頭を下げて見送り終えた北尾さんに、横から声をかける。

「北尾さん、今のお客さん……うちのじゃなかったの?」
「はい、もらってたカンニングペーパーが役に立ちました!」

北尾さんがいつも持っている小さなノートを開いて見せてくる。
そのノートは、北尾さんが東本さんと一緒に市民課に入った時、私が行った業務研修の内容を自分の中に落とし込むために、自身で作った自分だけのマニュアルなのだ。窓口で困ったときや、悩んだ時、誰かに聞く前に言ったんそのノートを見て確認して、それでも分からない時は素直に聞いてくる。北尾さんは、今まで私が見てきた中で誰よりも仕事熱心で、まじめだった。
そんな北尾さんがマニュアルノートに貼っていたのは、私が以前参考にと渡した、関係課の業務一覧表だった。市民課に異動してきた当初私が覚えたものを、より簡略化して単純に書き換えたものを二人に渡していたのだ。
市民課の窓口では、市民課以外のこともよく聞かれるから、と何気なく渡しておいたものを、ちゃんととっておいたらしい。

「さっきの人、税金の証明書って言ってここに来てたんですけど、よくよく聞いたらふるさと納税のことで……この表に『ふるさと納税は地域振興課』って書いてあったので助かりました」

思いもよらないところで、また市民課以外の知識が役に立っている。
『市民課は役所の顔』とはうちの課長の口癖だが、あながち間違っていないかもしれない。いや、というより町民は役所=市民課しか知らないというほうが正しい気もしてきた。

しかしまあ、新人がここまで育ってくれたのは嬉しい限りだ。二人がここに勤め始めて早数か月、今や二人とも窓口を一人で任せられる立派な戦力になっていた。

「はじめは不安でしたけど、色々教えてもらって、自信がつきました。ありがとうございます」

私もいずれこの課を離れる。今年で3年目、そろそろ異動も視野に入る時期だ。
ここにいられたわずかな時間に、これだけ優秀な人材が育ってくれたことに、むず痒さを感じながらも少しは胸を張れる気がした。

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