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悪口とチョコレートの夢

石ころぼうしを被りたい。

同僚の悪口を聞きながら、昨日の投稿で書いた "あなたはブンちゃんの恋"でブンちゃんが欲しいと答えたドラえもんの道具の事を思い出している。

「感じ悪くてほんとありえなーい」
更衣室に響いたその高音は、私の1日をどす黒く塗りつぶすには十分だった。

悪口を言われていた人の事を、私はとても尊敬している。確かに不器用なところはあるけれど、それも含めてその人の良さだと感じてる程に、その人は好ましい人物だ。

感じ方は人それぞれ異なるという、そんな、小学生の頃から知っている、当たり前の事実が、思春期に味わっていた孤独の底にあって、苦しくなる。

私たちは、誰かとすれ違うたび、何かを話すたびに判定されている。

社会に出れば、それが、わかりやすい形で示される。どれだけ他に良いところがあろうとも、会社の利益にならない人間は、会社にとっては不要なのだ。理屈をごねることすら許されない。

ヒリヒリと、肌がいたくなる。

と、ここまでの私の話も悪口である。


そもそも悪口というのは、人間が当たり前のように感じている、ざらっとした気持ちを言語化しただけなのだ。

悪口を言っていたその人は、それを吐き出すことで、何か少し軽くしているのかもしれないし、悪口を言われたその人は悪口を言われた事を知らないのだから問題ないのかもしれない。

「あの子が嫌い」といいながら泣いていた友達の言葉は完全な悪口だったが、苦しみに満ち満ちた叫びだった。

こういう事を考えていると、大森靖子さんのきゅるきゅるという曲にでてくる、

きゅるきゅる 私 性格悪いから
あの子の悪口 絶対 言わない


というフレーズを思い出す。

いい子でいるために私たちは、黙るのだ。

傷つく対象が存在していて、平穏を崩さないためには、私たちは黙らなくてはいけない。

でも、私たちはどうしようもなく弱い。
心は壊れる。壊れたら正常な判断ができない。
誰かの上に立って、認められない自分を認めたいだとか、そんな理由で傷つける。

私たちは大体似ていて、そういう性質をお互いに抱えている。

だから、どうしようもない。

傷つけられた側は、その苦しみをどうにもできないし、傷つける側は吐き出す事でしか心を保てない。

私たちが私たちを守るためにできる事は、大切な人の事を大切にする事だけだ。


「死にたいけど、エヴァみたい」と
つぶやいた声を拾い上げてくれた友人は、

「やっと、アニメ版と、序破Qを見終えたから映画に行こう!!」

と、連絡をくれた。

私は、彼女に渡す、チョコレートの夢を見て週末を待っている。

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