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カナダデーと私

壮大なテーマでお送りする今回。いや、題名を何とつけようか迷っただけです。

先日7月1日は、カナダデー、建国記念日でした。詳しくはこちらを。

去年は申し上げませんでしたが、実は毎年、このカナダデーの是非を問う声が上げられています。そして、今年はこの5月に判明した痛ましいニュースもあり、とても祝福する気にはなれないと「Cancel Canada Day」という姿勢を持つ人が多いイメージでした。

レジデンシャルスクールについて、ご存じない方も多いと思う。上の記事では寄宿学校と訳されているが、カナダでは residential schoolsと呼ばれている。

「カムループス・インディアン・レジデンシャル・スクール(Kamloops Indian Residential School)」は、19世紀後半に設立された139の寄宿学校の中では最も大きく、一度に最大500人の生徒が在籍し、1890年から1969年まで、カナダ政府の意向でカトリック教会が運営していた。
こうした学校に強制的に入学させられた北米先住民やイヌイット、メティス(白人と先住民との間に生まれた人)の子どもたちは合計で約15万人に上り、校長や教師から肉体的・性的に虐待され、文化と言語を奪われた。 (上記サイトより抜粋)

これらのレジデンシャルスクール、最後に閉鎖されたのが1996年だという事に驚きを隠せなかった。ほんの25年前。

同性婚や差別禁止法等、カナダすごい。カナダ素敵、と思う事が多いなか、とても衝撃を受けた。

7月1日、トロントでは、オレンジ色を身につけ(オレンジ色のTシャツは、先住民族への過去の非道な扱いを振り返り、考えるというモチーフである)街をいく人やプロテスト集会も行われたという。

オタワの国会議事堂前でも大規模な集会が行われたようだ。

そして、この日、カナダ政府もこうした声明を出していた。これを読み、私は少し安心した。5月のニュースは我々の心に酷く突き刺さったから。子どもから大人まで悲しみや無力感に襲われたと思うから。中には、幼稚園や小学校の授業でこの事について触れ、子どもの心のサポートに力を入れている事を知った、とツイートしている親御さんもいた。

先住民族に対する政府の非道な過去を語る時、よく聞かれる単語が二つある。この上の声明にも出てきている。

「reconciliation 和解」と「reflaction 反省」の二つ。カナダに住んでいる邦人の方が「対話が成立する事というのはすごく尊敬に値することだと思う。問題が起きても解決出来る力があるから、やはりこの国に将来を感じるな」と話していた。

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私は、カナダデーを廃止するべきなのか、どうなのかという問題の答えはない。

私にとっては、もともとカナダデーは祝日の一つ。カナダではクリスマスやイースターなど宗教に基づく祝日も多く、無宗教の私には、カナダデーもそんな日々の一つだった。

更に、カナダに住んでいながらも市民権は持っておらず、愛国心とは?と割と冷めた視線を送っているのも本当である。

とは言え、もう半分の私はお祭り好きの盛り上がりたがり屋。市民が赤と白、メープルのモチーフを思い思いに身に纏い、車やお家の軒先に国旗をなびかせている姿に単純に「いいな」という感情もある。自分の国をこんなにも愛し、祝福する喜びを、私は羨ましくも思うのです。

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ところで、「カナダ人とは」「カナダデーとは」は、永住権を申請中の私には大きな視点である。

まず、トロントに住んでいる多くの人々は、カナダ6年目の私を「カナダ人」としてみてくれることがほとんどである。政府のサイト等でも、「Newcomer」として扱われるのは、0年から5年くらいのよう。そういう意味でも、私はもう新参者ではない。そして、そもそもカナダの「東京」みたいな立ち位置のトロント市。全国から集まった住人(生まれや育ちはカナダの別の地域だがこの地で就職した、進学を経てそのまま住んでいるなど)も多い。更に、私のように他の国から引っ越して来た人々も多く居る。「カナダ人」の何人かは、実際にはカナダ人ではないが、あなたがそれを望めば「カナダ人」として振舞える、みたいなイメージである。

まあ、これも私が見ている世界なので、異論はあるだろう。私の周りには、移民が多い。例えば、子どもの頃は違う国に住んでいた、なんてよく聞く話だ。実際、パートナーがそれである。彼は高校生の途中で、父親と弟と共にカナダに引っ越して来た。

学校に通っていると、カナダデーが終わった次の週からサマースクールが始まることが多い。サマースクール一発目でよく小論文のお題として出されるのが「あなたにとって、カナダデーとは」というものである。

私はこのお題が大の苦手である。以前は、私はカナダに臨時で住んでいるだけで「みんな楽しそうで、自国が好きな様子がうかがえて何よりです」的な内容でまとめていた。今となっては、永住権を申請したので「私もカナダデーが少し身近なものになりました」とかかな。別に身近でもないけれど。

このお題について(実は冒頭にリンクを貼った去年のnoteでも書いたので、わざわざ読んでくださった方は重複してしまうが)

以前パートナーに尋ねたことがある。「カナダ人とは?」「あなたにとってカナダデーとは」

彼は軽く返して来た。「カナダ人は、市民権を持ってカナダに住んでいる人」「カナダデーは祝う人もいれば、祝わない人もいる。俺は別にお祝いしない」

この、あまりのサッパリとした回答に拍子抜けしたのを覚えている。思春期にカナダに引っ越して来たから、こんなもんだろう、と、今になっては思うが。

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ちなみに、カナダデーは例年、一晩中花火の音が鳴り響くここトロント。昨日、私の家の周りでは、空が暗くなり始めた10時ごろから、一時間くらいでパタッと静かになっていた。引っ越して来たばかりなので、この地域で過ごすのは初めてでいつもがどうだかは比較が出来ないけれど。

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あと、例年はよく挨拶の付けたしみたいな感じで使われる「楽しいカナダデーを!」とか「昨日のカナダデー楽しく過ごせた?」みたいなやり取り。もともとオンライン生活&学校もお休みになった事もあり、知り合い二人としかやり取りを交わさなかったが、どちらの二人とも「良いカナダデーを過ごしてね!」みたいに言ってくださった。これはもう、体に根付いたものなんだろうな。私はボケっとしてるのでお一人に「カナダデー連休楽しんでね!」と送って、翌日の今日(金曜日)は平日である事に気付いて赤っ恥をかいたりもした。どうも、金曜日がそれで、金土日と連休なイメージだったんだよな。

そうそう、これはちょっと冒頭の話に戻るが、カナダでは先住民の方々の事をindigenous peoplesと呼ぶ事が多い。

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