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生き方プロセス~小学校まで~

社会人として勤めて10年経ちます。
人生100年時代。 
今、どう生きるか改めて思索をしています。
どんな人生にするか、 
どういう仕事をするか、
どんな人と一緒にいたいか、 
どんな自分になりたいか、

実はめちゃくちゃ考えてます!

ということで、
私の人生における信念というか、
価値観のプロセスを 
自分で振り返ろうと思います。

「他人が嫌がることはしない」

私の人生でおそらく1番最初に、こういう自分でありたいと意識したのがこれ。 
たぶん小学校6年生くらい。

私は、幼稚園時代は、友達の輪に入る事が苦手だった。多分、コミュニケーションのとり方がわからなくて、一緒に遊べなかったんだと思う。
一輪車の練習も、鉄棒の練習も1人でコツコツやって、できるようになってた。
1日1冊幼稚園の図書館で絵本を借りて家で1人読んでた。

小学校にあがると、急にクラスの複数の子に好かれた。たぶんいつも笑ってる顔だったのと、なんでも受けいれるから、周りから優しいと思ってもらってたんだと思う。

友達がたくさんできると、いろんな気持ちになることを知った。

小学校1年生の時、4人くらい友達が家に遊びに来た。
嬉しかった。
けど友達が帰った後あるものを見つけて、私の心は悲しみに覆われた。

私の母は器用な人で、よく手芸で人形を作ってくれた。
髪が赤茶でフワフワな可愛い女の子の人形。
私の勉強机に飾っていたものだ。 

忘れもしない。
なんとその人形の顔に、緑色のマジックでぐちゃぐちゃに落書きがされてあった。

「え。」
胸がぎゅうとなって、涙がジワジワ溢れた。
それ以上言葉なんて出なかった。
あんなに瞬間的に心が悲しくなったことはその時が人生で初めてだったと思う。 
あまりの衝撃だったから今でもこんなに鮮明に覚えている。

その時は確か母が上手く慰めてくれ、特に犯人探しもしなかった。お陰で誰かを恨むことにはならなかった。

この時に人ってこんなに悲しい気持ちがあるということを認識した。 
その後も多分いろんなことがあった。

傷つけられたこともあれば、自分が相手の気持ちを想像せずに感情の言葉で、クラスメイトを傷つけてしまったこともある。

小学校高学年になって、女の子のグループが嫌だなと思うことが多かった。

気が強い子が、自分が気に入らない子を仲間外れにしちゃう。
その時の私は、まだ自分のことしか考えてなかった。
その場の空気に合わせて、みんなと一緒になって仲間外れをしている側になってしまっていた。

仲間外れにされた子が、泣いていた。
担任の先生が間に入ってくれて、和解という形になった。
私は悲しかった。
ごめんね、ごめんねって思った。
自分てなんなんだって自分を嫌に思った。

そんなこんなで、
「他人に自分がされて嫌なことはしない」
って決めた。
他人の気持ちを想像するようになった。

今大人になっても、自然と大事にしていることだ。
目の前の人の気持ち、感情、心にできるだけ寄り添いたいといつも思っている。

今までの辛かったことも、悲しかったことも、嬉しかったことも、踏ん張ってきたことも

全部全部、無駄にならない。
他人の気持ちに寄り添える自分でありたいから、
全部感謝に変えられる!
そう思えるには時間がかかった事も多いし、
自分の事で大変な時は、むしろ人に助けてもらってるけど。

根本は変わらないな、今までもこれからも。

つづく。



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