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これが新しいタートルズ!映画『ミュータントタートルズ ミュータントパニック!』(ネタバレ有感想)

2023年に“TCRI”って映画館で聞くと思うか!?ニック世代でイーストマンの名前出してきちゃう(喜)!!?

私が唯一追いかけてるアメコミシリーズにして子供の頃から大好きな「ニンジャタートルズ(TMNT:ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ)」の新作映画
『ミュータントタートルズ ミュータント・パニック!(原題:TEENAGE MUTANT NINJA TURTLES: MUTANT MAYHEM)』
遂に公開!

私はこれまで、父に突然買い与えられた『激亀忍者伝(ゲームソフト)』以降、鑑賞できるニンジャタートルズをアニメーション・実写・ゲーム・コミック等可能な限り視聴してきた90年代からのタートルズファン(ファミコン→初代アニメーションはレンタルビデオ視聴の為、テレビ放映版の日本語テーマソングと吹替を知らないのだけが今となっては悔やまれる)。

基本的には世代を経て変化していくタートルズ達の刷新を
“ああ、これが今風なのか~”
と何だかんだ驚きつつも楽しめてこれていたが、正直2018年シリーズ『ライズオブTMNT(Netflixでも長編が配信中)』の最悪な改変で自分の中の雲行きが怪しくなっていた。
(この2018年版が何をしたかというと、日本でたとえるなら
「今週からドラえもんではジャイアンが金持ちでスネ夫が雑貨屋の息子!ドラえもんは未来の道具以外にも魔法を使えるよ!尚しずかちゃんは巨大化します」
みたいな事を平気でやってきた)
これはもう『ネクストミューテーション(タートルズにメス亀の追加戦士いた頃)』と並ぶ改悪黒歴史だと個人的に思っている。

このせいで、映画の情報が出た段階からどうなることかと不安でいたわけだが、洗練されつついい感じにごちゃついた唯一無二の映像美と、現代的な切り口にしつつも“タートルズ”の持ち味を魅せてくれたパワフルな作品だった。

今回は、タートルズファンのあれこれ余計な思い入れを挟みつつ、現代にブラッシュアップされた新しい彼らの冒険について書いていこうと思う。

(はじめに簡単な導入を紹介した後、警告文を挟んでネタバレ有の感想となります)


■あらすじ

ニューヨークの闇を駆ける四つの影。
夜に紛れて町を行き、下水道に潜む彼らは、人の形をした四匹の喋る亀。
青マスクのレオナルドはしっかり者のリーダー。
赤マスクのラファエロは少し悪ぶっていてやんちゃ。
紫マスクのドナテロは機械とサブカルチャー大好きのオタク。
橙マスクのミケランジェロは明るくてちょっとおバカ。
15歳になる四匹は、外の世界に、人間社会に憧れていた。
恋をし、活躍し、友達をつくり、楽しみ、学校に通う人間達に。

※ここから本編の内容・キャラクター・展開に触れる感想となります。ネタバレ注意!!

□“タートルズ愛”と過去の歴史への踏襲に満ちつつ、タートルズを知らない人も楽しめる100分

まずは、これが新しいタートルズ!と笑顔で楽しめて本当に嬉しい。
何よりも、『ライズオブ~』と違い、これまでの歴代タートルズ作品への愛と尊重を感じられた。
(一時期劇場予告で流れてた、全員赤マスクのシーンは無くなったの?原作コミックへの目配せと思って結構歓喜したのに……)

原作者(二人)のいざこざや第一次ブームの失速、ニコロデオン社に権利が移って以降、タートルズ達は大幅なヴィジュアルチェンジを行われた。
“四匹ともそっくりな亀だが、武器とマスクの色と性格が違う”
というそれまでの作品からがらりと変わり、体格、身長、マスクの色以外の装飾品等によるデザインの差別化が行われ、武器を持たないシルエットでもどのタートルか判別できる外見の差異を「個性」として組み込まれだしたのだ。日本で女性ファンが急増したのもこの頃だったと記憶している。
(原作コミックではマスクの色は全員赤。初代アニメと玩具の同時展開に際してのダメ出しによりマスクの色が分かれた。
ちなみに前述の2018年版ではタートルズ四匹の亀の種類がバラバラ、レオナルドとラファエロの「長兄で真面目なリーダー」と「やんちゃな暴れん坊」という設定を入れ替える、という、マジで余計でしかない改変がなされた)

本作『ミュータント・パニック!』のタートルズは、そんなニコロデオン革命のタートルズのヴィジュアルを色濃く踏襲しつつ、従来の設定を改変した2018年の改悪を撤廃。
“最も知られた初代アニメからのイメージカラーと兄弟の役所を持ちつつ、シルエットで誰だか判別でき性格も覚えやすいルックス”
のタートルズ
に仕上がっていた。
ドナテロの眼鏡は実写リブートでもかけていたが、ミケランジェロの歯列矯正が抜群に今風で印象的。確かミニオンにも歯列矯正のやついたよね?

タートルズ四匹の精神年齢はこれまでで最も幼く横並びで、アウトローの誇りより等身大の少年としての喜怒哀楽が強調され可愛らしいイメージに。
これにより、レオナルドのリーダーぶりも“背伸び”であり、ラファエロのやんちゃも少年らしく微笑ましいレベルに。ドナテロは科学技術知識よりも流行りのサブカルチャーについて語る事が多く、ミケランジェロもサーファーやダンサー的な若者ノリというよりひょうきん者といった雰囲気。

この幼いタートルズの感じには好き嫌いが分かれそうだが、私は絵の雰囲気とストーリーにはマッチしていたと思えた。

四匹以外にも個性豊かなキャラクター達がストーリーを盛り上げる。
最近の作品では少女として定着しているエイプリルは今回、外の世界のお姉さん的役割よりも、タートルズと同じ悩みを抱える仲間として共に歩む存在・かつ若干のヨゴレであり(笑)、こちらも新鮮。
スプリンターと他のミュータント達に関しては個人的にダメだったので、後述。

□サウンドとグラフィックが賑やかに押し寄せる、見たことのない映像体験

クールだったり懐かしかったり、演出としての音楽の強さをとにかくとても感じた。
旧実写三部作の2から「NINJA RAP」が一瞬流れたのもファンサービスとしては然り気無くて◎。

そしてとにかく、タートルズ達を彩る映像の凄さ。
この映像は一体何だ!?
というのが第一印象だった。
粘土のような質感、グラフィティのような効果、そのあたたかみある絵柄が淀みなくなめらかに動いていく躍動感。
多くの人が並べて語っているスパイダーマンの映画?アニメ?を観たことがないので私は比べて語れないのだが、CGアニメの表現はここまできているのか!!と驚愕した。

アニメに詳しくないのでアレなんだけど、かつてCGアニメは、リアリティをステータスというか、技術革新の指標であると同時に持ち味の美麗さとして掲げていた印象がある。
「ほら本物みたい!」
「水の表現すごくない?」
みたいな。
だが今は、CGによる“現実再現”の映像美に伴走するように、CGでしか出来ない「絵」の“特殊な景色と動かし方や色彩”という凄まじい技術がある事に圧倒された。
爆発や美味しそうなピザ等のリアルと、アクションや汚物等の誇張された演出が同居する不思議なリアリティとコミカルさが、ミュータント達が大暴れするポップなグロテスク世界とベストマッチ。

□ファンだからこその残念さもあり。スプリンターを「腹の出た道化老害」にするのはやめろ、そしてミュータントのバラ撒きが軽薄

これはファンとしての意見になってしまうし、ネガティブな事を書くので、文句無しに楽しめたよ・マニアのマイナス意見聞きたくないよって人は読まない方がいいです。

楽しかった今作、惜しむらくは、見た目にも性格にも威厳を欠いた、タートルズの師匠であり育ての父であるネズミ・スプリンターのキャラクター設定。
ジャッキーリスペクトキャラとしては良かったがそれだけであり、「スプリンター」というキャラクターへの理解の無さリスペクトの無さは2018年版に並ぶかそれより酷い。
そもそもスプリンターはカンフーマスターではなく忍術使い(ないし忍術使いのペット)なのに、『ミュータント・パニック』では通信教育レベルのカンフー映画が彼の情報ソース。
何よりも、本来のスプリンターは、イマドキの若者のように振る舞うタートルズに、闇に生きつつ正義を貫く心のあり方を説き、それでいて愛情をもって見守る……という威厳と大きな親心が「師であり父である、日本人の魂を持ったネズミ」というキャラクター性が柱である。
ニック版・反抗期丸出しタートルズに対してもスプリンターは厳かで優しい父であったし、タートルズもスプリンターの愛情と教えには愛と尊敬を持って接していた。
だが本作のスプリンターは、忍術使いでもなければ日本の魂も持たない、過保護で狭量な腹の出た老害で、しかもタートルズに疎まれ、愛情も空回りしてウザがられスルーされる始末。
これは最悪だった。
タートルズを等身大のティーンに描きたいがためにスプリンターを改悪しすぎ。更にゴキブリばあちゃんとのラブシーンで完全な道化にされ、本当に酷い。
現段階ではシュレッダーとスプリンターに因縁が無いので、続編やりたいなら本当にどうにかして欲しい。
スプリンターに関してのこの感じは懐古云々ではなく、たとえばドラゴンボールで亀仙人をエロ嫌いなスーツの老紳士にされるくらいの改悪だと思って欲しい。

あとは、ミュータント達に関して。初代アニメ放送期にフィギュア化されたキャラクターを片っ端から採用した感が拭えない事。
日本の初代タートルズブーム世代では
“こんなフィギュアもアメリカでは売ってるよ~日本で売るかは未定だよ~”
くらいに、コミックボンボンや玩具のパンフレットでちらつかされた存在達も多い。

特に小柄なカエルのミュータント、ジンギス・フロッグ。彼があの名前なのはタートルズのように「ミュータント・フロッグス」という四人組で、皆英雄の名を冠した仲間がおり、名付けたのはシュレッダーである。
なのに単体でジンギスだけを出されても
「適当に持ってきたな」
という印象になってしまう。
NHKの懐かし特番にだんご三兄弟の一番上だけを出すか?そのくらい愛がないし理解してない。ファンサと思って引っ張り出してる古いものが全然ファンサじゃなくて雑なんだよ。
単に“懐かしフィギュア持ってた勢”の為にガワだけ持ってきた人選+やみくもな性別変更 が、昔のキャラクター達に愛着があるからこそ残念ではあったかな。

多様性や世相へのメッセージ性がかなり強かったのもややノイズ。
醜い外見で影に生きるが心は正義の味方、というタートルズのヒーロー像を
「亀でもミュータントでも、影に生きなくちゃいけない、なんてこと無いんだ!」
みたいな形で、タートルズを学校に通わせる
のは本当に受け入れられない。
かつ、私が今まで抱いてきた“人間社会から身を隠し人知れず戦う異形の忍者”というヒーロー像を理想とする事自体が「タートルズ達にとって抑圧を強いる考え(だと本編観てて気づかなかったの?と言えてしまう・言われてしまう)」という事実が生まれてしまった事が、受け入れるのにはかなり時間がかかりそう。正直今まだかなりキツイもん。
リブート二作めのラストの二つの台詞覚えてるかな、人間からの
「思いきって人前に出てみない?きっと受け入れてもらえて、普通に暮らせるよ?」
という問いかけに対し、ラファエロが何と答えたか。
あの最高のシーンの真逆を叩きつけられる形なのが、今作の答えだった。
(ニック版の日本放映につけられたGReeeeNさんの主題歌あまり好きじゃなかったけど、今思えばタートルズのヒーロー像への解釈はめちゃくちゃ私と合致してたんだな。マジでありがとうGReeeeNの皆さん)

これが今風の、差別なき多様性であるなら、ダークヒーローは描けない世の中になると思うんだけどどうなの?

□噛み砕けない事はあれども今は“これから”にとにかく期待

ファンだからこそ上手く飲み込めない部分は正直かなりある。
だが、原点とその世代からのファンを大切にしつつ、現代の観客に向けた「新しいタートルズ」の誕生には素直に声援を送りたいし、これからの彼らの活躍や、人間社会の中で成長していく彼らのストーリーがどんなものになるのかは、今後の楽しみとして期待してしまう。

とにかく、2023年、また彼らに会えて私は本当に嬉しい。

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