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映画『超擬態人間』で耳と情緒がぶっ壊れた話(ネタバレ有考察・感想)

ごく最近、Twitterで映画好きアカウントさんをフォローする映画アカウントを立ち上げたばかりなんだけど、RTで回ってきた映画が気になって衝動的に観てしまった(music.jp動画にて)。

その名も『超擬態人間』。
タイトルの印象では“日本でセンスのない邦題をつけられたアメリカのB級怪物ホラー”かな、みたいな感じだったが、何と邦画、スラッシャーとの事。
いやまあ、白石監督の『超・暴力人間』とかあったし、この露骨なタイトルはギャグ&キッチュのナンセンスグロっぽい作品じゃない?
などと、観る前からボンヤリ思っていたわけだが、結果的に
「ナメすぎてましたすみません」
と。
いや……駄作だろうとかナメてたわけではない。
愛すべきB級らしいB級ホラーだと勝手に思ってましたごめんなさい、と。

描写は期待通り、待ってましたのB級テイストなのよ。だがしかし、作り込みがエグい。
正直、映画としては作中で明かされない事も多く、意味深なシーンに対する明確な伏線回収も少なめ。
ただ、はっきり明かされる所ははっきり説明されているので、視聴中はまるでパズルの数独を遊んでいるような感覚に襲われていた。

その不透明感に加え、いわゆる悪趣味系の演出が多いので、人によって好き嫌いは如実に分かれるだろうし、たとえ好きでもその全員が細部までを考察したいと思えるかはまた別、というのが正直な印象。
今回は私なりに、私個人の好き嫌いに基づいて『超擬態人間』の感想を書いていく。

※導入部の簡単なあらすじのあと、警告文を挟んでネタバレ有の内容となります。

■物語の冒頭

黒い画面に白い文字でメッセージ。
「本作は【擬態】する様を〈抽象的表現〉を用いて描いています。
主人公が《誰に擬態していくのか?》順を追って下さい。それにより、超擬態人間の世界を更に楽しんでいただけるはずです。
監督 藤井秀剛」

鳥のさえずり。
どこかの森か、林だろうか。
一匹のナナフシが這っている。
そこに、裸足で歩く人間の足。
体も裸だ。
身につけているものはただ一つ、腕から垂れ下がり引きずっている長い鎖だけ。
裸の人間は一人、木々の中を歩いていく。

場面が変わり、白い服を着た男がベッドの上で目覚める。
ベッドの置かれた環境もまた、森か林の中。
驚き警戒する男に、白い服の少年が
「パパ」
と声をかける……

……以上、これがこの映画の始まり。

※以下、展開や登場人物、ラストに触れながら感想と考察を書いていきます。
(私個人の感想・考察なのでそれをご了承の上お読み下さい)
また映画の性質上、残酷・暴力等の内容を含みます。
ネタバレ注意!

□“つくり”に対する感想ーー質感は良いが構成と音の幅のキツさが没頭を阻む

盛大な殺戮流血シーン、醜悪なエログロ装置、偽物感丸出しの内臓や犬の死体、カクつきで表現された不気味さ、虫、そして名作ホラーへのオマージュ等、質感は「これぞ!」な、まさにB級ホラー映画。
これらの要素にははっきり言って大満足だった。
映画の公式サイドが見所というか特徴的キャラクターとして明かしていた殺人鬼ポジションの“なまはげ”はストーリー全体を通して出るわけではないが、国際的なイベントで大いにウケただろう和風のおどろおどろしさを持った良ビジュアル。
殺され描写もコミカルなものが多く、まさにB級ホラーの趣。

代理母→舌引っこ抜かれ
チャラ新郎→下駄めり込み
結婚詐欺師おかん→足切断の後割腹
結婚詐欺師息子→おかんの腸を巻き取りながら底無し沼溺死
研究所長→クローンスキンヘッド軍団によるグリーンインフェルノ群がり、からのムカデトドメ

私が一番好きだったのは研究モジャさんかな。
腹パン貫通からの二分割。

(私に限らずゴア映画を語る人がやたらポップにグロシーンを表現することがありますが、これは残酷大好きなイキり狂人ぶってるわけではなく、大抵がまともに文にするのが憚られるくらいのシーンや映画だからです……少なくとも私は)

はっちゃけたゴアや露悪エログロ、殺人鬼的なポジションである例の母子のサイコ&異形の組み合わせとか、“擬態者”の白目とかは本当にいい感じ。
和製ホラーのおどろおどろしさでアメリカンホラーの描写にあるポップさナンセンスさと折衷して、なのに基本、ストーリー的なおふざけ(笑わそうとするギャグシーン)は一切無しなのがJホラーのハードコア感というか。
陰鬱として薄気味悪い雰囲気が全編通して漂う。私の好きな緑がかった暗~い画面の感じもあり。

……なんだけど、恐怖シーンでもない所でもジャンプスケア狙いなのかよっていう突然の爆音が何ヵ所かある。
これはまあ、ホラー映画だから「驚かし」のギミックとして良いとしても。
で、登場人物達のほとんどが小声でボソボソ、プラス早口気味に話すシーンが多い。
前述の、あんな冒頭のメッセージだとか意味不明なカットが連続したら、観る側としてはボソボソ台詞の一字一句もしっかり聞きたいわけで。
良いヘッドホンを使いボソボソトークを注意深く聞き取るーー

……そこに爆音ドーン!!

気が散るマジで。
驚くとかうるさいとか以前に気が散る。
でまあ、殺人鬼出てきて爆音したし音量下げようね、となると、またボソボソ、ボソボソ。
聞きとれないから音量上げて耳を澄ます→また爆音。

集中して観れない。気が散りすぎて一度視聴中断したもん。
で、色々試した結果、音量MAX+1000円の安イヤフォンにしてパーカーのフードをかぶる、という作戦で視聴再開。
これでも所々聞き取れなくて数秒戻したり。
これは、単純に私の音声環境がクソザコなだけとか、芝居がかった台詞回しではない迫真の演技とか自然な人間の喋りってことなのかも知れないけど。

本当にこの音のバランスと台詞の聞き取りにくさだけは何とかして欲しかった。
映画館のサウンドなら問題なかったんだろうな、と思って気づく。
サウンド以前に、好評価を得たっていう国際イベントでの上映って絶対字幕つきじゃん。必死こいて聞き取ろうとするこの大変さを経験しなくても、全部文字で出てるわけか。
海外の観客はストレスフリーだっただろうな。いやマジで字幕欲しい。それだけで普通に観れるもの。
Netflixみたいに、日本語音声でも日本語字幕つけられる環境で、耳がぶっ壊れない音量でもう一度観たい。

あとは「主人公に注目しろ」と冒頭で言われても、初見開幕じゃどれが主人公か分からないから注目しようがなくない?
全部観終わってから
「冒頭の主人公って、レンの事か」
と思い返してギリ。だったんだけど、キャストの並びではレンではなくフウマが最初に表示されてるから、結局「主人公」はどっちなの?というモヤつきが残る。
後述するけど、ここに注目してね、と提示しておいて
“主人公は誰の事か。それは観た人それぞれによって違います”
みたいなのだけはやめて。そういうの一番嫌い。
擬態に注目すべき主人公がレンの事だとして、なまはげ男に擬態してからの殺戮理由が分からない。
擬態すると、擬態したものそっくりの性格になるよ(レンに殺す理由がなくても、殺人大好きなまはげに擬態したから殺人大好きになってしまったよ)という事なのか?
姿形と能力(筋力等)を完全に真似るのがこの作品でいう“擬態”であるとして、レンなまはげによる殺戮も、なまはげ男の生まれもった殺戮衝動(=能力)の完コピという事なのかな。
でも実は私としては、このレンなまはげの殺戮の理由が分からないのは痛し痒しでもあったというか、虐待されたからフウマに復讐したいとか、息子溺愛新開や息子と共犯サクラのような(ある意味)仲の良い親子を見ると妬みで殺したくなる、みたいな「悲しい過去がそうさせる狂気」を描かなかっただけ個人的に良かった。
逆にそういう、擬態したとはいえ子供のレンが殺戮に手を染めるだけの理由とか、因果応報の復讐劇みたいな理由づけカタルシスがあった方がいいな、って人もいるだろう。

いずれにせよ、擬態したレンが文字通りの殺人鬼になって山で行った殺戮の理由が明かされないのは消化不良ポイント、ではある。

□時系列と謎のまとめ

映画の中では色んな場面が飛び飛びになるので、爆音&ボソボソと格闘しながら頭の中で整理しながら観たわけだけど、一応私の中でつながりはしたのでざっと書いてみる。

いや、ここはこうでは?みたいなのあったら教えて下さいね。

(40年前くらい)
政府直轄の研究施設で、人類の潜在能力を引き出す?ようなプロジェクトがスタート。

フウマ、父親に虐待されて育つ。
児童相談所が駆けつけ、父は病院送りに。父、フウマの目の前で犬を殺す。
その後虐待事件を起こしたフウマは1975年に死刑が確定

なまはげ大男の外見からして20年前後過去。新開(ウェディングコンサルタントのフリをしてたおばさん)、政府の研究施設で人工受精により大男を出産。子供の産めない体になってしまう。
不完全な子だったため施設に殺されそうになった我が子を匿い、その後、震災の原発事故で立入禁止区域となった山奥の民家で我が子を育てる。
狂暴な大男の為にウェディングプランで釣って男女を誘き寄せ、子供を生ませては息子に殺させていた?

5年前、起こした虐待事件により逮捕されていたフウマの死刑執行
※ストーリーに登場するフウマは虐待事件の原因となったと思しき「父からの虐待の記憶」のみ残された、この死刑囚のクローンと思われる。
何人もおり、腕に大男のように数字が刻まれている為人工的な存在のようだと分かる

研究施設、何人ものフウマのクローンと、孤児のレンを元にした何人ものクローンとを何組も親子として生活させる
(レンを死なせてしまったクローンはガスで殺害なり眠らせていると思われる)

ある日、とある一組のフウマ・レン親子の虐待風景において、レンが「擬態」の兆候を見せる(潜在能力の解放。進化)。
殴られそうになった時にバットをつかんで身を守り、自身にとって最も強く恐ろしい存在・「天敵」である父親のフウマに擬態し施設を脱走

レンがいなくなり、別室に横たわる自分(のクローン)とレンを見てしまったフウマも、防護服を着て職員になりすまし施設の外へ

(この時、フウマに擬態したレンか、フウマのどちらかが、研究施設内で大量に袋詰めされているクローンを目撃)

トオル、花嫁のサクラとの格安ウェディングの為に、サクラの父親に化けているサクラの息子とともに、ウェディング会社の社員になりすました新開に連れられ、罠とも知らず山を訪れる。

新開、車の故障と見せかけ、トオルら三人を足止め。そこにフウマに擬態した脱走中のレンが合流。皆なまはげ姿の大男に襲われ応戦。
以降、レンは恐ろしさを覚えたなまはげに擬態。

新開の隠れ家にて、フウマ、研究施設から探しに来ていたモジャモジャ頭の研究員が合流
(さっきまでトオルらと行動していたフウマはレンの擬態だったため、トオルらは気づいていないがここからフウマはフウマ本人であり、レンはもう一人のなまはげとなっている?)
新開、トオルとサクラを強制交尾マシンにかけて、我が子に殺させる為の子供を作らせようとする。
しかし、この時になまはげ姿の我が子と思って接していたのは擬態したレン。
新開、レンなまはげに舌を引っこ抜かれ死亡。

マシンからトオルとサクラを助けたフウマとサクラの息子は、なまはげが二人いる事に気づく。
トオル、レンが擬態した方のなまはげにアキレス腱をちぎられる。モジャさん、目潰しされる。

サクラ、山の斜面にウェディングプランのパンフレットを持つ死体を発見。
新開におびき寄せられ子作りをさせられた者達と思われる。

サクラ、サクラの息子、トオルがレンなまはげに殺される。
フウマ、モジャさんから
「レンは息子ではなく孤児、フウマの虐待で能力が目覚めた」
と明かされる。
モジャさん、レンなまはげに二分割され死亡。

フウマ、レンなまはげ、ガスで施設へ連れ戻される?
フウマは新たに虐待して潜在能力を開発するための女児?とともにいる。

研究所長に政府の大臣からお褒めの言葉。
所長、進化した人類であるレンを生きたまま解剖すると決定。ムカデを見せて怯えさせ擬態能力を使わせたが、レンは擬態を見せて凄まじい力で拘束の鎖を引きちぎり、周りの研究員らを襲う。

逃げ惑う所長。袋詰めクローン達が復讐かのように所長を足止めし、そこに、ムカデに擬態したレンが追いつき襲いかかる。

鎖をぶら下げたまま山を徘徊する裸のレン(映画の冒頭とラストのシーンがここ)。
警官が彼を見つけ声をかける……。

かな?と思います。どうかな……

なかなかにキテレツ。そしてなまはげオバケが襲ってくるホラーかと思いきや何と、えっ、SF!!という驚きの展開。いいですねえ!

□虐待の連鎖を“擬態”として描いた痛々しい傑作

父親から虐待されて育ち、攻撃的で残忍な犯罪者にまでなり、死刑となってしまったフウマ。
クローンになっても虐待された記憶を持ち続ける彼は、忌まわしい過去の父親の仕打ちに怯えつつも、かつて自分がされたように息子のレンを虐待してしまう。

映画では、フウマは
“レンのような擬態能力を開花できなかった被虐待人間”
でありながら
“己の父親「そっくりになってしまった」加虐待人間”
でもある。

進化としての擬態はできなくとも、自分を痛めつけた父親と「同様に」息子のレンを殴り、恫喝する存在になった。

虐待は連鎖する、というのを何度か聞いたことがある。
子供の頃に虐待され精神が育たなかったり傷ついた人間は、やがて自分が親になっても、言い聞かせ方や叱り方が分からず、殴ったり恫喝したりを“躾”として行ってしまう……というような内容だった。

心を大切にしてもらえず、心が壊されてしまった人は、我が子の心を大切にする方法を理解できず、我が子の心をも壊してしまう、と。
私はこれを、運動部が深く考えることもなく
「自分が一年の時は先輩にこうされたから」
などと代々継承している体罰のような「思考停止が生む悪習の連鎖」のような悲劇だと何となく捉えていた。
しかしこの映画を観て、ふと思ってしまったのだ。

かつて虐待され苦しんだ子供の心が、脳が、強さを求め、最も身近な「強くて恐ろしいもの」のようになろう、と(無意識に)本能的に振る舞いを変えてしまったら……
その根底に、純粋な、傷つきたくないという怖さ、防衛本能のようなものがその子を
「虐待してきた親のような強い存在になり、虐待されないよう生きのびなければ」
と動かしてしまっていたら……。
あまりにも悲しい。何という悲しい暴力と悲しい狂暴性だろう。

また、虐待に限らずとも、この映画の中では様々な親子が登場し、その関係性の危うさいびつさを見せる。
我が子可愛さに悪事に手を染める新開、我が子と組んで結婚詐欺を働き共に破滅していくサクラ。
更に、サクラの息子が演じていた、家に見合うかどうかで娘の結婚相手を品定めする父親。
彼に騙されていたトオルも、社長の父を見返したかったような譫言を口にしている。

監督がこの映画の着想を得たという、エンディングで映される子供を抱いた幽霊画も「親子」の一つだ。
全てにおいて、人の親ではない私なんかが偉そうに、けれどもフラットに思うこと。それは“呪縛”という言葉だった。
親の罪や行きすぎた行いが呪縛となって子供にまとわりつく。
恐らくは、たとえ親がいなくなった後でもずっと……フウマが父親の記憶に怯え続けたように。
虐待の記憶はまさに、親の呪縛という亡霊、あの幽霊画さながらになって醜く、冷たく、おぞましく我が子の身に絡みつき続けるものではないだろうか……。

□余談:ちょうどいいメッセージ性、ちょうどいい考察要求、ちょうどいい抽象化

これは個人的な好き嫌いの話でしかないので、これらが好きだよって人を否定はしないけれど。

私は、若いカップルの死別を描いて涙するような余命ジャンルが嫌いな他、
「考察の余地がある映画は好きだが、ラストまで観ても完全に考察を余儀なくされる、答えはなくてもまあ良いがヒントすらきちんと提示しない事をアートぶった映画は嫌い」
「同窓会にまで思想信条の書かれたTシャツで来る人のような、常に思想大声人間みたいな映画は嫌い」
だ。
前者は、性病のメタファーかと思わせつつ違うと断言され、結局何なのか分からないだけの『イット・フォローズ』や、両親の豚がここにいないと見破った事に何の説明も的確なヒントも提示されない投げっぱなしの『千と千尋の神隠し』等。
さんざん敬遠球を繰り返して、最後に「ほらよじゃあな!」と狙いすましてデッドボールぶつけ一塁に歩かせてきたみたいな『ノー・シャーク』も多分機嫌が悪いときに観たら一日むしゃくしゃしてたと思う。なんだあいつ(笑)。

後者は、とても大事で深刻な社会問題をテーマにしつつも結局映画作品としてというより、そのテーマを攻撃的に掲げきった『キャンディマン』等。

つまり、私は頭が単純なので「せっかくラストまで観たのに、答えは監督の中にだけ~、とか、答えは観る人それぞれに~」みたいな映画や、
風刺を超えて(『異端の鳥』や『夜と霧』のように、お勉強できる映画です、というテイなら喜んで勉強する心構えで観れるけれど、普通にホラーやサスペンスのガワで客おびき寄せたとこに)「思想!思想!思想!参ったか考えを改めろや!」みたいな映画が本当に苦手なのだ。
(これは個人的な好みの問題なので異論は沢山あっていいし、だけど誰からも叩かれる筋合いはないもののはず)

で、この『超擬態人間』。
多くを語らずアーティスティックな構成で映画全体が組み立てられており、テーマとしても児童虐待の惨たらしさや残酷さという社会問題や人間の罪を扱っている。

恐らく、本当に恐らく、もう少し分かりにくかったり、細部が投げっぱなしで明かされなかったり、始終「虐待は悪!」の連打だったりしたら、私は多分物凄くこの映画を受け付けなかったであろう気がする。どんなにゴアが凝ってようとなまはげのビジュアルがカッコ良かろうと別問題だったと思う。

だけど何と言おうか、全てが丁度良かった。
B級ホラー丸出しのゴアや、トンデモなSF設定、難解な場面展開で驚かせ惑わせようとも、決して虐待という問題の深刻さを茶化したり軽んじたりぼかしてはおらず、そのヘビーなテーマを全編ごり押ししていないのにきちんと維持したまま、ストーリーとしても退屈させず分かりにくくさせすぎずに「映画として」お話を楽しませてくれた。

気になる所はきちんと明かされ、考察しないと分からない所も、考察し読み解く手がかりはある程度は盛り込まれている。

何だろう、
めっちゃくちゃ鮮やかで何が入ってるか分からないけど可愛くて見たこともない外見の、味も脂と塩がしっかりきいてるのに物凄く健康にいいです!
って山盛りのご馳走を食べさせてもらった感じ。ジャンクフードかと思ったけど実は薬膳なの?全然薬臭さが鼻につかなかったでウソやろ!?的な。

映画好きな方々の感想とか読めたら楽しいな、と思って作った映画アカウントで、早々にとても良い映像体験をすることができた。

私はこの手の映画繰り返し見られるので、レンタル期間内にもう一度観直してみようと思っている。
ゴアは大丈夫。犬が死ぬのも虫が出るのも平気。

悩ましいのはそう、爆音とボソボソ台詞交互の為の音量設定だけだ。

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