歯医者の異常な愛情 エピローグ(カルマティックあげるよ ♯31)
慣れ親しんだ地元を離れ、新しい土地に引っ越して新生活を送り始めた私。
無知な田舎者の分際で、未知の仕事と土地に慣れるのは色々と大変だった。
それでも人間やることをやっていれば馴染んでくるもので、新たな人間関係もでき、移転から1年も経つ頃にはそれなりに働いてそれなりに遊んで、それなりに楽しい毎日を謳歌できる身分にはなっていた。
その次の年始、あの歯医者から年賀状は届かなかった。
一方で私からも送らなかった。
もうとっくに、離れた土地で別々の生活を送る他人同士の関係となっていたから、年賀状を交換し合うような仲でもなかった。
少なくとも私はそう思っていた。
そうして時が過ぎゆき、地元を離れて2年近くが経過した、ある蒸し暑い夏の深夜のこと。
ちょうど北京オリンピック開催直前の頃だったと思う。
私は街中の、とあるDJバーで開かれたオールナイトパーティの場に顔を出していた。
ミラーボールがギラギラと光るホールの中で、複数人のDJが入れ替わりながら大音響で音楽をかける中、興奮を求める客が酒を片手に踊る。
……と書くと格好良いが、実際には顔見知りの常連数人が酔っぱらってミラーボールの下でぐだぐだじゃれあってるだけの、やかましい小規模な宴会といった感じだった。
私は当時住んでいたアパートが割とそこの近くだったこともあり、週末には憂さ晴らしのためよくその店にも顔を出していた。
そんな経緯から店のDJや客とも何人かは知り合いで、その夜も比較的仲良くさせてもらってる面々主催のパーティが店で開かれていたため、ゆるやかに楽しむ気分で出席していたのだった。
宴の時は流れ、夜中も1時を過ぎた頃だったろうか。
スピーカーから流れる大音量の音楽を聞くのに疲れた面々数人は、ホールからエントランスのドアを挟んで外に出た、比較的静かな受付ブースにたむろしていた。
そこはもはや受付というより、客もDJもスタッフも入り交じった面々の会話スペースとして機能していた。
やかましい音楽がノンストップで流れているホール内では、とてもゆっくり会話など楽しめなかったからである。一応受付ブースだが、既に深夜1時過ぎ、こんな穴ぐらのような場所に今更来る客など身内を除けばまずいない。
その日もブースを酒席とした酔っぱらい同士の談話は弾んでいた。
ありがちな世間話や恋バナなんかでそこそこ盛り上がった後、「本当に体験した怖い話」みたいな話題に会話の方向性がシフトした。
危ない奴にストーキングされた話とか街で見かけた怖い奴とか、各人そんな恐怖体験を口にしては場を弾ませていた。
そこで私は、地元でバイトしていた頃に遭遇した、例の歯医者との一件を思い出し、「これはいいかも!」と、体験した出来事の一部始終をその場にいたメンバーに話した。
反応は話下手な私にしては、まあまあだったかなと記憶している。
「うわ~、それは大変でしたね~!その宗教団体って、なんていう団体だったんですか?」
その場で私の話を聞いていた、Mさんという女性が質問してきた。
彼女はよくその店でDJとして参加している、長めの茶髪にアメリカ西海岸風のお洒落なファッションに身を包んだ、キュートな雰囲気の女性だった。
数ヶ月前に大学を卒業したばかりで、今は営業職の仕事を務めながら平行して趣味であるDJも楽しむという、まさにリア充と呼ぶにふさわしいライフスタイルを謳歌していた。
彼女の質問に対し、今思えば無警戒だったとは思うが、私は何の気なしに答えた。
「あ~、○○○(団体の名前)ってところだよ」
私の返事を聞いた彼女は、驚いた表情で叫んだ。
「えっっ?○○○ですか!?アタシ入信してましたよ!高校生の頃に!」
……えっっ!?
なんだって?
驚いた表情の彼女の返事に、私は逆に驚愕した。
こんなにキラキラして、雑誌のファッションスナップにも載ってそうな女の子が……あんな狂気じみた物騒な宗教にハマっていたのか!?
「えーー!? あんなのハマっちゃダメじゃん!」
私は驚きの余り、思わず叫んでしまった。
今思えばその場で全否定するなんて、ちょっと無神経だったかなと思う。
でもMさんは臆する様子もなく、笑顔混じりのあっけらかんとした表情で答えた。
「でもその頃○○○が流行ってたんですよ~。他の人の家をまわって、勧誘とかやってましたよアタシも!」
流行ってたってなんだよ!
ファッションやグルメと同じでカルト宗教にもトレンドがあるのかよ!
ってか流行で信仰する宗教コロコロ変えるなよ!
口には出さなかったものの、そんなツッコミの台詞が頭をグルグルまわった。
思いもよらない彼女の過去に対する驚異も混じり、私はちょっと混乱していた。
呆気にとられていた私の心境を察したのか、彼女は言った。
「……う~ん、世間的にはよくない印象もありますけどね。でも、真面目な人もたくさんいましたよ。一緒に活動してた人達も熱心な人ばかりでした」
ちょっと意外な言葉だった。
他人のことを考えない、とち狂ったような教徒ばかりいるもんだと思ってたから。
しかし、冷静に考えてみれば件の教団に熱心な人が多いのは、ある意味自然なことなのだ。
カルトな宗教団体というものは、人が集合した団体としては危険性を持ち合わせていたとしても、集まってきた個人の中には
「何か人の役に立ちたい」
「困っている人を助けたい」
「暗く閉塞感に満ちた世の中をよくしたい」
と、慈悲や奉仕の心から入信してきた人も数多くいるだろう。
件の宗教団体にしても、オモテ向きの活動の大義名分は
「自分たちの教えを広めることで、国難から日本を救う」
というものであり、市井にいる熱心で献身的な人々の心を射止めそうな言葉ではあった。
かつて私を勧誘してきた、あの歯医者もこんなことを言っていた。
「あなたのようなお若い方も、われわれの元にはたくさんいらっしゃいますよ!
みんな、国の行き先を憂いている真剣な方ばかりです」
それは事実かもしれない。
しかし私からすれば、言っては悪いが彼等は世界を救う者達ではなく、狂信の被害者でしかないように思える。
教団が持つ独特の排他的かつ攻撃的な信仰、かつ一部の信者達が行ってきた数々の過ちを容認していることを考慮すると、善意から入信してきた人々の理想を叶えてくれる団体とはとても思えないからだ。
良いことをしようと決意に入信した彼らの大勢は、その慈心につけこまれ、巨大な力に操られているに過ぎないのではないか。
そして、本人が自覚できないうちにいつの間にか、被害者から加害者へと変わってしまっているのかもしれない。
邪宗を排除する尖兵として。
結局のところ、Mさんもとっくにその教団を辞めてしまっていた。
辞めた理由こそ聞かなかったが、なんとなく察することはできた。
それにしても、無事に脱会できてよかったと思う。
ちなみにMさんの名誉のためにかいておくと、彼女は一見派手な今どきの女性に見えて、元来他人を助けたりするのが好きな優しい性格の人だった。
好きなDJの活動をやる一方で、人身売買の撤廃を訴える国際的な団体の活動に参加したりしていて、私も声をかけられた展示のイベントで少しだけ協力させてもらったりした。
そちらは私が知る限り、変な宗教とは無関係のはずである。
それにしても、一時期の話とはいえ彼女のような華やかで明朗な人が、あんなカルト宗教に熱中していただなんて。
人の世とは不透明でわからないものだなと改めて感じた。
逆に考えれば、特異な信仰に没頭してしまう人々は、それだけ社会の中で身近な存在であるとも言える。
彼等の中には、我々一般人と人間性の面ではそう変わらない人々も多いのかもしれない。
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それから時々、あの歯医者がなぜカルト宗教にハマってしまったのか、考えることがあった。
恋人からの勧めで入信したと言っていたから、元々はあれほどの狂信者ではなかったはずだ。
私が高校生だった頃、当時倫理の授業を担当していた社会通の教師が、授業中に宗教の話題が出た際にこんなことを言っていた。
「新興宗教にのめり込みやすいタイプの人ってのはね、心の中に隙間がある人なんです。私の周辺でもありましたよ。希望の大学に入れたけど友達ができず、孤独に苦しんだあまりに怪しい宗教に入って、変な祭壇を買ってアパートの自室で毎日お参りをするようになった、なんて例がね。
心にスキマがあると、悪い宗教につけこまれますからね。皆さんも気をつけてくださいね」
あの歯医者は喫茶の席で、かつて少年だった頃ブルース・リーに憧れていた、と言っていた。
ブルース・リー。そう映画に詳しくなくてもその名を知っている人は多いだろう。
優れた武術家であると同時に、現代も多大な影響を及ぼす唯一無二の映画スターである。
その名を聞いただけで、持ち前の格闘術と鍛え抜かれた肉体で、悪い奴らをバッタバッタと倒していく彼の姿が思わず目に浮かんでくる。
彼の人気が絶頂期だった時代、「自分もブルース・リーのようになりたいっ!」と憧れた少年は世界中に大勢いたであろう。あの歯医者もその中の一人だった。
しかし、彼はブルース・リーにはなれなかった。
彼がなれたのは、地方都市の街外れに佇む、小さな歯科クリニックの院長であった。
私自身、歯医者は立派な職業だと思う。高い知識と技術が必要とされる仕事だし、社会的なニーズや貢献度も高い。
付け加えれば収入も悪くないだろう。
だが、彼がブルース・リーに対して抱いていた「巨大な悪と戦う無敵のヒーロー」というイメージとはかけ離れた職業であろう。虫歯を治療したところで歯医者をヒーローと崇めてくれる人は恐らくそういるまい。
彼は数々の難解な試験を突破し、歯科医として開業し、社会的には一定の地位を得た。しかし、心の中はどこか満たされてなかったのではないだろうか。
少年時代からずっと自らの中に溜め込んでいた、やり場のない闘争心と功名心。
それが彼の「心のスキマ」になっていたのではないだろうか。
本当の俺はこんなんじゃない…
俺がなりたかったのはこんなちっぽけな医院の歯医者なんかじゃなく、悪い奴らを倒していくヒーローなんだ…
そんな少年時代に思い描いていた自身の理想像が、ずっと彼を縛りつけ、苦しめていたのではないだろうか。
大人になって自立した後も、心にポッカリ穴が空いていて、そこにはずっと冷たい隙間風が吹いていたのではないか。
しかしある時、痛ましいその穴を埋めてくれる存在が現れた。
「我々には、あなたの力が必要なんです」
「共に日本を救いましょう。滅ぼそうとする悪の手から守りましょう」
「他の宗教は全て邪教です。彼等を滅ぼし、間違いに捕われている人々を目覚めさせなければなりません。それがあなたの役目です」
「世を救うのはあなたです。あなたこそ英雄、ヒーローなのです」
甘くもアジテーションに満ちた数々の言葉は、闘争と名誉に飢えた彼の心を揺さぶったに違いない。
なんだ、彼女の願いでイヤイヤ来てみたけど、ここは俺の存在を認めてくれる素晴らしいところじゃないか!
そうして彼は、晴れて教団の立派な一員となった。
熱心な信者としてその後に至るわけだ。
かつて思い描いていた、理想の自分自身になることができなかった。
そういう人はたくさんいる。
私だって挫折した夢の1つや2つくらいある。
それでも感性豊かで愛情深い人は、日々過ごしていく中で小さくもささやかな幸せを見つけたり、挫折の末進んだ別の道で新しく熱中できることに出会ったりして、自身の人生を満たすことができる。夢破れようとも自分を見失わず、新たな人生を受け入れて生きていける。
あの歯医者は、そういう生き方ができなかったのだろう。
少年時代の願望に囚われ心が満たされないまま、人の心のスキマを狙う連中に支配されてしまった。
人生の道中でたまたま出会ったあの宗教こそが、彼にとって「新しい人生の新しい幸せ」そのものになってしまったのだ。
そう思うと、彼もなんだか哀れな人間に思えてくる。
そして、似たような境遇の人は、他にも世の中にたくさんいるのかもしれない。
本来心の中に宿っている愛情を、他者により握られ歪められ、利用され続けている人々が。
長々と書いたが、これはあくまでも私の勝手な推測である。
的外れかどうかはあなたの判断にお任せする。
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そして北京オリンピックが終わり、何年か経った。
あの歯医者は北京オリンピック終了後に中国が日本を武力制圧すると言っていたが、結局のところそれは現実にはならなかった。
様々な外交上の問題が発生してはいるが、ひとまず今のところまで表立った軍事衝突は起きてはいない。
北京オリンピック開催の年から4年後、ロンドンオリンピックも終わった年の歳末。
私は自宅で年賀状を書いていた。
勤め先の社内の人間と、近い友人知人数名に送るのみで大した枚数ではなかった。
年賀状を書く作業が終わったら、部屋を軽く掃除して、荷物をまとめて実家に帰省する予定だった。仕事も年末年始の長い連休に入っており、数日間ゆっくり羽を伸ばせる喜びを感じながら、私はリラックスした気分で筆を動かしていた。
突然、手元のスマートフォンがブルブル震え出した。
電話が来たことを知らせるバイブレーションだった。
スマートフォンを手に取り画面を見てみる。
090から始まる知らない人の端末から着信が来ていた。
通常ならこういった知らない携帯電話からの着信には出ないようにしていたのだが、その時ばかりは時期が時期であった。
仕事先の誰かからの緊急連絡かもしれない、だとしたら出ないとまずいな。そう思った私は通話ボタンを押し、スマートフォンを耳にあてた。
「もしもし、コセさんですか?」
私の名を呼ぶ声が聞こえる。聞きなれない声だ。けれど、どこかで話したことがあるかもしれない。少しかすれた感じの、中年男性と思しき声。
そうですよと答えつつ、誰だろう?と疑問に思っていた。そんな私の尋ねを待たずに、受話器の向こうにいる彼は話し続けた。
「コセさん、ご無沙汰してます。◯◯クリニックの、◯◯です。昔お茶しましたよね。覚えてらっしゃいますか?」
私をカルト宗教に引き込もうとした、あの歯科医からであった。
彼だとわかった途端、私の身体に戦慄が走った。
かつて私を勧誘した時に見せた、狂信に満ちた淀んだ眼差しが、脳裏に蘇った。
そういえば彼のクリニックに通院し始めた頃、初診の際に携帯電話番号を記入登録していたのだった。
それを読んでかけてきたのであろう。
しかし突然何の用だろうか?かつて面倒を診ていた患者とは言え、もう離れて何年も会っていない私なんかのところに。
内心動揺していたが、それを悟られないよう落ち着いた口調で私も「ああ、お久しぶりです」と返した。
「コセさん、覚えていてくださったんですね!いやあ嬉しい」
私はあまり嬉しくなかった。
色々と世話になった相手ではあるが、もう接触したくはなかったからだ。
「コセさん、年末はご実家に帰ってこられます?もしよろしかったら、またご一緒にお茶でもしませんか?久々にゆっくりお話でもしましょうよ」
この時点で彼の魂胆は読めた。
年末年始に、大した付き合いもなかった人をわざわざ呼び出して談話を楽しもうとする人なんているだろうか。
間違いなく別の目的がある。
また私をうまいこと誘い出して、今度こそ自分が盲信する教団に入信させようとしているのだろう。
そうとしか考えられなかった。
会わなくなって何年も経ったというのに、なんとまだ私のことをあきらめていなかったのだ。
けれど、さすがの私も同じ手に2度引っかかるほど愚かではない、
彼の願いに対し、何と答えたかはよく覚えていない。
仕事が忙しくて帰れないと伝えたか、帰るけど予定が詰まっていて会える暇がないと伝えたか。
とにかく私の中で彼に会いたい気持ちは0に等しかったので、何かしら会えない理由をでっちあげてその場を切り抜けたと記憶している。
彼の誘いを受け流せさえすれば理由など何でもよかった。
「そうですか…。もしお会いできる時間ができたら、お気軽にご連絡くださいね。それでは」
歯医者は別れの挨拶を告げ、通話はそこで切れた。
思いの外あっさりした幕引きだった。
私は安堵のため息をつき、スマートフォンをテーブルの上に置くと、年賀状を書く作業へと戻った。
あの歯医者があちらこちらに熱心に電話をかけまくる姿を想像しながら。
恐らく上から信者を増やすように促され、帰省ラッシュとなる年末年始を狙って私のもとにも連絡をしてきたのだろう。
患者の名簿を利用してまで誠にご苦労様ですといったところだ。
けれども、私はもうその頼みに協力するつもりはない。そんなことで自分の貴重な時間を削られたくはない。
本当なら、もう一度会って、彼を説得して狂った宗教から脱会させるのが社会的に見てもいちばん良い選択なのだとは思う。
しかし、かつて見せてきたあの妄信しきった様子だと、恐らくそれはとても難しそうだ。
下手をすると私の方が危険に陥るリスクも高い。
だから、悪いけど会わない。救わない。
無慈悲ではあるが、それが私の考えだ。
彼からの突然の電話には執念と恐怖を感じたが、ほんの少しだけ懐かしさも感じていた。
彼の治療を受けたのも、しつこくおかしな宗教に勧誘させられたことも、私にとっては地元で育んだ大切な思い出の1つであることに違いはないのだから。
その後、彼からの連絡は一度も来ていない。
人生という道は素敵な出会いで溢れている。
けれどもその道中、大して仲良くもない人から突然お茶でも飲みにいこうと誘われたら、少しばかりは用心した方がいいかもしれない。
人生に素敵な出会いは多かれど、素敵な出会いばかりとも限らないから。
ちなみに例の歯医者は、今も同じ場所で営業を続けている。
~おしまい~
文:KOSSE 挿絵:ETSU
※この作品は筆者が実際に体験した出来事を元に、台詞などに多少の創作を交え執筆しました。
目次→https://note.com/maybecucumbers/n/n99c3f3e24eb0
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