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甘い匂いの漂う図書室

ああー。。ああー。。に、笑ってしまった。
わたしたち、小学生の頃に出会っていたら、ふたりで図書室に籠城したかもしれないな。
わたしも、ドッジボールが大の苦手だった。何故、ボールをぶつけて、喜ぶのか…痛いじゃん、、痛いって嫌じゃん、、慄き理解に苦しむわたしをよそに、活発な子どもたちは、次はボールを二つに増やそう、と、はしゃぎだす。もうほんと、狂気の沙汰。そんな言葉はあの頃まだ知らなかったけれど。

学校生活が、全く身体に馴染まなかったか、というと、そこまでではなくて、かといって、やはり、大好き!というのでもなかった。みんなで『合わせて』作る生活への違和感や疲労は、薄くあった。そんな中、図書室の親密さったら、素晴らしかった。
まだ創立10周年とかその辺だった新しい小学校。それに更に新しく増築された棟の一階に図書室はあり、綺麗で、広かった。図書室と連続して、調理室があったのが特徴的で、本たちの醸すあの匂いと存在感のただ中に、時たま焼き菓子の甘い香りがまじっていたりした。

物語が大好きだった。『魔女の宅急便』も、ジブリの映画版と共に、自立の御守りのような存在だ。進路はあれこれ迷い悩んだけれど、大学には家を出て通う、ということだけは、心に決めていた。その決心はたぶんキキとジジにわくわくしたころから育ったもの。相場違いの、自分の中の不安や寂しさ、それは大切に抱えていけばいい、と、励ましてもらったような気がする。角野栄子さんの言葉の通り。

長女もこのところ、読書が大切な楽しみになっている様子。小さな頃から、何して遊べばいい?遊ぼう、遊ぼうよ!と、依存して絡みっぽかった娘が、宿題を済ませ、妹との遊びも欠かせず、テレビもみたい、ゲームもしたい、その上、読書も、というわけで、忙しい、忙しい、と、口を尖らせているから、可笑しい。
彼女の気に入りは、あんびるやすこさんの本たちだ。ルルとララがお菓子を作ったり、お裁縫上手な魔女のシルクがお洋服をリフォームしたりする。挿絵の可愛さをきっかけに選んできたようだったそれらだけれど、お手伝い猫や、お菓子、お茶、ハーブ、宝石、魔法、と、女の子の心躍るものが散りばめられた世界観に夢中になり、返却期限まで、何度も、愛おしそうに頁をたぐっている。日々の暮らしとは一線を画した、ここではないどこか。耽読の横顔に幼い自分もまた重ね見る。

だが、そういえば、今の長女くらいの頃、わたしは突如、伝記にはまっていた。偉人たちのエピソードのいくつかは、ねつ造がささやかれている、ということは後に知ることとなるが、あんな子どもがこんなふうに育ったよ、という、テンプレートが、楽しかったんだと思う。異国のものを好んだから、やはり、ここではないどこか、に惹かれたところも大きい。図書室にある伝記はあらかた読み尽くしてしまった。
部屋の突き当たり、大きな本棚が、その場所で、右手の校庭に面した窓から差し込む日差しと、少し遠くの賑々しいざわめきを浴びながら、今日はどれを、と、わくわくした。白地に赤い文字のリンカーン、ナイチンゲール、ヘレンケラー、コロンブス、キュリー夫人、ファーブル、シートン…。本を借り、躍り出た廊下の、薄暗いのに、祝福に満ちた雰囲気。

小学生の頃にしまったままでいたはずの記憶。匂いや色味、空気の質感、細部まで鮮やかなまま思い起こせるので、驚く。あの頃のわたしは、まだ世の中を系統立てて見ていなかった分、ひとつひとつのことにありのまま向き合って、驚いたり、喜んだり、時に不安になったり、心震わせていたんだろう。瑞々しい、とか、しなやか、というのは、きっとそういうこと。
不自由や我慢に目の向きがちな、息苦しささえ覚えるこの頃だけれど、またあの頃のように、瑞々しく、しなやかに、目の前の世界と結びついてみたい。と、思いを新たにする。頼もしい案内人であるに違いない、娘たちと。

写真は、小学校へ向かう道。帰省する度、何度でも、姉妹と散歩したくなる、気に入りの道。わたしの原風景。このところ、この景色を渇望している。

まいちゃんの旅行記、たのしみ。

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