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高倉さん家の雑談(5) 俳句について

これは劇作家の高倉麻耶とその夫Y.G(わいじー)の他愛もない雑談をメモしたものです。少々勝手な決めつけや独断偏見の類は笑い飛ばしてください。形式は当分このまま対談形式になりそうです。


・「俳句を詠む」と「句会に行く」
夫:俳句を詠むこと、句会に行くことは別のことだと思う。句会に行かなくても俳句そのものは詠める。
妻:まず句会のメリットについて考えてみよう。
夫:俳句好きと出会える(笑)
妻:最初は絵と同じで、自分だけでやっていても、良し悪しがわからない。私は中学のときから塾で絵を描いていたが、他の人たちの作品と一緒にズラッと並べて講評してもらう事になじみがある。芸術を学ぶときのひとつの形態としてね。
夫:茶杓づくりも、茶碗作りも、私は教室でやっているわけではない。私自身がやりたいときに体験という形で教えてもらっている。他の人と比較されることも基本的にないし、自分自身が比較する相手は先生だけ。だから参加している句会だと他人の作品について意見を求められるが、そういうのに慣れてないので緊張する。句会って、ただ俳句を詠むだけだったら行かなくてもいいと思う。賞をとるとか、人に認められるとか、句集を作りたいとか、スキルを磨きたいとか、そういう人には必須だろうと思う。俳句の社会に属さないと、どうにもならないことは多いと思う。
妻:ヒエラルキーみたいなものがあるよね、コミュニティとか。
夫:集団だからあるでしょう、それは。私の父が俳人で有名な人とのお付き合いをしていたことからの印象だけど、俳句結社は人付き合いや気遣いがけっこう必要な気がする。いわゆる落語家と一緒で、師匠と弟子の関係になる。そうすると教えてもらうわけだし相手との関係は重要。
妻:句会に行かないことにはメリットはある?
夫:私みたいに一人が好きな人間からしたら、人間関係の煩わしさがないというのはあるだろうね。ただ、俳句の話をする相手がいなくなるのはさみしいよね。やはり教えてもらったり指摘してもらったりするのは、ありがたいよね。
妻:私は句会に行くのがひとつの夢だった。けっこう長いことブログでひとりで詠んでいたんだけど、やっぱり句会で添削を受けてみないとわからないことが多かった。他の人の作品を読むというのが、他の人が添削を受けているのを見てなるほどと思うところもあるし、テレビで「プレバト」とかNHK教育テレビの俳句番組とか、あれは句会のかわりだと思う。
夫:確かに勉強になるよね。たぶん、人付き合いが煩わしい人以外は楽しいと思う。決まった日時を指定してやるっていうのが、平気か平気じゃないかで、おひとりさまか、社会活動がちゃんとできるかが分かれる。
妻:私はもともと、独り好きな傾向が強かった。高校のときとか、大学でもそうだったし、社会人になっても、どっちかっていうといつも一人で好きなことをしている。それが変わったのは演劇を始めてから。もしも演劇やらなかったら、句会に行きたいと思わなかったかもしれない。

・俳句とはなんぞや
妻:芸術には二種類あると思う。人と一緒に作るのが前提の、『共同作業的な芸術活動』と、一人で孤独に深めていくような、絵を描くとか、小説を書くような、『ひとり作業的な芸術活動』。たとえば音楽だと、ピアノをソロで演奏するのと、合唱をするのが違うような。俳句はそれでいうと、ソロなんだよね、もともとは。そうなんだけど、俳句の起こりをたどると、生まれ起こりは短歌だった歴史がある。短歌は歌合せで、人と一緒にやる文化だった。短歌、連歌、俳句と移ってきた。句会の起こりをたどると、平安時代くらいまで遡る。
夫:私は、自分の父がそこそこ偉大な俳人と思っている。それも踏まえて、自分の中で持ってる「俳句とはなんぞや」というのは、父の生活態度に問題があったからかもしれないのだけど、おおもとは、自分が日常を送る中、当たり前の生活の中で、ふと「いいな」と思ったこと、なんか気に引っかかったことを言葉に残すというのが俳句なのかなと思ってる。だから吟行、友達連中で自然なところ行ったりとか、観光地行くとか、それはそれでいいけど、そっちがメインな空気感は苦手かなあ。参加者の年齢、収入、時間の余り具合によって、吟行行くのもいいんだけど、私は向きじゃない。日常で感動することはないのか? と思う。
妻:「おくのほそ道」とかだと、旅人の視点になったときに、外側から日常を観察できる、いつもと違う視点になれると気づきが多いというよね。話を変えるけど、西東三鬼という超有名な俳人がいて、その全句集を買ったのね。俳句を本格的に勉強したいと思ったときに、まず自分が考えたこととして、賞に名前がついている人の俳句をとりあえず全部読んでみようと考えた。で、驚いたことは、やってみるまで全然わからなかったんだけど、読む前は「西東三鬼という人は、きっと古めかしい昔の、万葉集に出てくるような短歌っぽい俳句を詠む人なんだろう」と想像していたら、まったく違った。むしろキリスト教の影響と、戦争に対する憤りみたいなものが強かった。全句集を読んでみて、等身大の、その人自身の息吹がわかったように思う。
夫:たぶん奥さんが話しているのは、美術にしろ俳句にしろ、作品を見たときの感動があって、惚れ込んで進んでいく感じのことを言っているのかなと思う。私は、個人の感動を表現したら、ハイおしまい、でいいじゃん、が根っこにある。スタートラインが違うんだろうね。
妻:私は芸術をずっとやってきた人間だから思うのだけど、芸術とはなんぞやということを考えたときに、生命感の想起であると、自分が美しい景色を見たときに感動したら、その感動がなぜ起きたかをつぶさに観察して、それをなんらかの形で表現することによって、他人にもその感動を起こさせること、それが大きな、純粋な目的かと思う。
夫:私が思うに芸術ってコミュニティに、人生の道楽として芸術を楽しみたい人と、栄誉や利益でマウンティングが欲しい人、生活の糧にする人、この三つが同じ世界にいるのが問題な気がする。「楽しみたいんです」という人に対して「このパイ、地位は譲らん!」という人は意見が合わないかな。たとえば俳句や、美術だけで食べていく人は、楽しいことだけじゃないよね、蹴落としあい潰しあいだってあるだろうね。

・道楽と人生
夫:みんなで和気あいあいと草野球やるときに、健康のためにやる人と、全国優勝目指す人が一緒にやるという感じ。私は健康のためにやる人。草野球で言ったら、「お父さんウェスト減ったね、細くなったね」と言われて喜ぶ人。俳句や美術だったら「いいのできたじゃん」と家族に言われるのが嬉しい。
妻:私はそういうの歌や演劇で体験した。ライブで歌ってたときに、お客さんの一人に「何がやりたいかわからん」と言われた。人前で歌うからにはレベルを上げて武道館目指せと。私はそういう目的でやってない。演劇でも、すぐ「一流めざせ」とか言われる。すべての人が同じではないと思う。
夫:我々夫婦は道楽で楽しんでますな。とはいえ、道楽じゃなくて人生になってる人は一定数いる。何回かこの雑談をして話題にしてるけど、人生を楽しくするため儲けとか無視してる、生活に支障が出ない程度のことを道楽と称してる。道楽はコロコロ変わってもいいし、休憩してもいい。逆の存在として、食い扶持みたいな、たとえば陶芸で言ったら、食べていくためには名前が売れて、ブランド化してなきゃいけない。有名な人や店に使ってもらわなきゃいけない。そのための人付き合い、それこそ地方議員や国会議員との付き合いやパトロン探し、いろんなことが必要になってくる。商売だから。あとは道楽ともまた別で、優先順位が違って「人生」というカテゴライズがある。
妻:「ものぐるい」ね。
夫:『道楽』と違ってその趣味についての活動の休憩も投げ捨てもしない。文房具でいうと、万年筆のインクを使わないのについつい買っちゃったみたいな、そろえてますみたいな人は道楽レベル。全国の店に買いに行ったり注文する人は、人生入ってる。人生の人と、商売の人はそれぞれやっぱり別。
妻:三種類いると。
夫:そうだね。『人生』の人はオフ会に遊びに来る。『商売』の人はオフ会を有料で開く。『道楽』の人はテキトー。
妻:これは俳句じゃなくて芸術の話だな。
夫:そうね。

・俳句とオタ
夫:俳句に落とし込むと、『道楽』の人は句会行って「作ってきた! どうですか?」みたいな人。『人生』の人は土日とかスケジュールが俳句で埋め尽くされてる人。商売はちょっと別だね。『道楽』と『人生』の人の開きがけっこうある気がする。句会に行くなら、その会における『道楽』の人と『人生』の人の比率が知りたいね。ヌルオタとガチオタの比率みたいな(笑)
妻:俳句に限らず芸術の話をすると、オタの話になっちゃうね。
夫:アニメとかのオタクだと、アイマスの代表的な曲を2、3曲知ってて「アイマスいいね」っていう人と、毎週ライブの上映見て土日のスケジュール埋まってる人の「アイマスいいね」。これを俳句におきかえて、「俳句が好きです」も立場とかスタンスの違いがあって、イコールではないなと。ヌルオタとガチオタの相互理解は無理だ(笑)。句会のガチ感……うちの父はガチ勢筆頭だったわ(笑)
妻:俳句をやってる人でも五・七・五で詠んでる人はまだ教科書通りの俳句の領域だけど、自由律で詠むようになると、もうガチオタだと思うね。尾崎放哉、種田山頭火的な。
夫:結局さ、話をしめるとしたら、「俳句をやりたいな」と思ったときに、事故らないように、嫌な気分にならないようにするには、『道楽』にしたいのか、『人生』にしたいのか、『商売』にしたいのかを踏まえて、一人でやるか、句会に所属するか、所属するなら自分の目的に合っているかどうか、いったん考えたり人生のスタンスとか見つめなおしたり、調べてからやったほうがいいと思う。私は、俳句は数ある『道楽』のうちのひとつでしかない。
妻:私は、『道楽』でやってるつもりが、沼にハマるタイプだな……。
夫:まだ優先順位が家族や仕事だから大丈夫、『道楽』レベル(笑)


(2021年9月12日)

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